将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:高山登久太郎

2017021820

11060809書  名  警鐘
著  者 高山登久太郎
発行所 ぴいぷる社

 著者は、京都を縄張にするやくざ会津小鉄一家4代目会長です。1代目の上坂仙吉については、飯干晃一「会津の小鉄」で読まれるといいと思います。幕末から今も現役でいるやくざ組織といったら、この会津小鉄一家くらいじゃないでしょうか。山口組も京都だけには手をつけない(まあ、実際にはいろいろと抗争がありましたが)。
 それで、この本は悪法「暴力団新法」に対する怒りの書です。まえがきに

  私(高山登久太郎)は、平成四年三月一日、全国八万八千人の
  侠道に生きるヤクザ、これに対する撲滅作戦を受けて立つ覚悟だ。
  「暴力団新法」の施行は、人間である私らの生きる権利を奪うも
  のである。私らヤクザも人間であると同時に、日本国民の一人で
  ある。それが、ヤクザであることだけを理由にして、憲法が保障
  している人権を私らから取り上げようとしている。これでいいの
  か。

とあります。いいえ私はいいと思っていません。たった1日の審議で、全員一致でこんな悪法を通した国会なんて、ファシズムかスターリン主義としてしか思えない。この法に賛成していった社共にPKO法案を違憲なんていう資格があるのか。私はPKOの国会を見るとき、どうしてもこの「暴力団新法」のことをいわなければと思っていました。そうしたら一昨日この本と出会いました。

  この「暴力団新法」は何が犯罪であり、どんな刑罰が科せられ
  るかもはっきりしていない。いや、「刑罰」だけははっきりして
  いる。刑法では「殴っちゃいかん」「脅しちゃいかん」「殺しちゃ
  いかん」と「犯罪」がはっきり明示されている。「暴力団新法」
  はまことに複雑怪奇だ。法律のなかの「犯罪」について、「何を
  したら」いかんとか、「あいつらが、具体的に何をしたらいかん」
  とか「いま、どういうことをしたから悪いんだ」とかが具体的に
  は何も書かれていない。これほど不思議で怖い法律があるだるう
  か。

 まったくそのとおりです。人を殺したら。人を脅したら、人を殴ったら、いけないことだし、現行法で捕まるんですよ。現行法で罪なんですよ。これじゃ「破防法」とか「公安条例」と同じじゃないですか。現行法で取り締まれるものを、何故こんな法律をつくるのだ。
  日本国憲法に

  第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反
          する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の
          全部又は一部は、その効力を有しない。(以下略)

とあるわけです。よろしいでしょうか、「悪法」は法ではないのですよ。ソクラテスは「悪法もまた法なり」といって、毒杯をあおいだといわれますが、この98条でそれが間違いなのははっきりするはずです。したがって「条規に反する法律」は「効力を有しない」のだ。
 ここまでかいていたら、本日(6月13日)の毎日新聞の1面「余録」欄にこの本のこと書いていますね。私とは向かうところが正反対みたいですが。
 いったいこの「余録」を書いた人並びに毎日新聞は何を考えているのだ。あなた方がこの「悪法」に賛成などということは、みずから言論の自由をすてていることなのですよ。そんなこと戦前の日本、ワイマール共和国下のナチスで分かっているじゃないですか。

 私はヤクザ映画は大好きです。でもやくざは嫌いです。会えば怖いです。映画はあくまでそれをつくった人達のある表現行為なんです。現実のやくざは、そのほとんどが、弱いもの苛めしかできない、くさった弱い人間たちです。この著者には、「いやちがう、仁侠だっているんだ」といわれるかもしれないが、私はそんなのに会ったこともなければ、見たこともない。
 だけどそんな「くさった弱い」連中でも、私たちと同じ人間なんです。私はこのひとたちを守りたいと言っているわけではありません。自分たちをこんな国家から守らなければと考えているのです。
 日本の大部分の弁護士がこの「暴力団新法」に反対しなかったようです。それどころか、積極的に推進した人がいたみたいですね。このことに限らず、私は日本の弁護士の4割は悪い奴(5割は無能、1割は普通)だと思っています。会社の総務課で苦労されてる方など、うなずかれるのではないですか。もっとも普通のいい弁護士さんもいますよ。例えば、私の会社の役員である大口昭彦弁護士は素晴らしいひとです。
 でもほとんどはひどいものですよ。なんかの本に「弁護士はヤクザには強い」なんて自己宣伝してあったけど、嘘つくな。君たちの大部分がそんなヤクザとのトラブルなんかいつも避けているの、よく知ってます。私は仕事上で悪い弁護士とけっこうやりあうのですが、いままでのところ絶対負けたことありません。法律のことの問題じゃなく、悪いことは悪いのだ。もちろん私のクライアントに非があれば、私はこちらからあやまります。
 このひとたちも、憲法学者土井たか子もみんな賛成。かなしくなります。
 べつにこの法でヤクザ行為がなくなるわけではないのだ。むしろ合法と称して、もっとヤクザと私たち堅気との関係は陰湿になりますよ。それは本日の毎日新聞の27面「用心棒代『減ってないよ』」の記事で明かですよ。もっともっとめんどうになりますよ。いったい法や警察が私たちを守ってくれるのか。
 私はたとえ相手が誰であれ、自らを守るのは自らだと思っています。

 ひとつ例をいいます。私がほんのたまに飲みにいく池袋のある飲み屋でのお話です。
 私が友人と飲んでたら、ある男、どうみてもヤクザが入ってきて、ママの前に座りました。それで、小声で「クミアイに入れ」なんてことを執拗に言っている。ママは昔全共闘シンパだったということなんで、ぜんぜん平気で相手にしない。そこへ突如へんなよれよれのおっさんが入ってきた。マスターが断ろうとするが、カウンターに座って、酒を要求する。
 私ピンときて、たちあがって、「もうおやじ飲めないだろう、帰ったら」と肩をたたいた。でも絶対帰ろうとしない。私腰のあたりつかんで、カウンターからおろした、マスターが気がついて、私とふたりでひきずって、店の外に出しちゃった。そうしたら、予想どうり、ヤクザが私にむかっておこったのなんのって、「お前いいことしてくれるじゃないか」私「いやああのおじいさん、もう酔ってたし、それと私歌ってばかりで騒がしくてすいません」なんて。いくらヤクザおこったって、表向きは私を怒る理由がない。そのうちプリプリしてでていっちゃった。もう格好悪くてこれないだろう。
 つまりこのヤクザとあのおっさんはぐるだったのです。おっさん2,3千円つかまされて、とにかくあの店で暴れる気で、それをあのヤクザがうまく2,3発殴って追い出して、「そらやっぱりこの店だって、俺みたいのがまもってやったほうがいいだろう」ということなんです。それを私のために、彼の出番がなくて、かわいそうだったけど、その店のママもマスターも私好きだから、当然のことしたまでです。
 私のいいたいのは、現行法にしろなんにしろ、法の救済を待つことなく、自らの権利は自らが守るべきだということです。

  権利とか自由といったものは、黙っていて守れるものではなく、
  権利また自由を不当に侵害しようとするものがあるときは、適法
  なる国家の機関によって救済されるのを待つことなく、その場で
  これを阻止しなければならない。もしそれをしないものは権利や
  自由を投げ捨てるに等しい。  (ポポロ事件の東京地裁判決)

 私たち自身でやるべきことなのですよ。現行法にしろ、そして「暴力団新法」にしろ、私たちをまもってなんかくれません。それどころか、また「凶器準備集合罪」と同じことになるのでしょう。

 この「暴力団新法」については、まだ「破防法」「売春禁止法」などとからめて、検討したいのですが、会津小鉄一家の会長さんの本の紹介としてはこれでおわりたいと思います。
 最後に、涙腺のゆるい周がまた涙ながしたところ、紹介します。この著者が62歳歳の誕生日に二女からもらったラブレターです。

 「お父さん、誕生日おめでとう。私も他家へ嫁ぎ、苦労して子ど
  ももできて、やっと世の中がわかるようになりました。だから、
  お父さんのやってきたことも、恥ずかしくないと思うし、お父さ
  んは、素晴らしいと思っていることをやっているのだから、とこ
  とんやったらいいと思います。自分のやったことが、結局、いま
  わかってもらえなくともいいではないですか。死んでから十年先、
  二十年先に、あの人は良かったなあ、と言われればいいのではな
  いですか。だから初志を貫徹して下さい。自分のやっていること
  をキチッとして、一滴の水ももらさないで、次の人にバトンタッ
  チする義務があるでしょ。それをちゃんとやっていかないとあき
  まへんよ」

 私はヤクザ嫌いだけど、この本読んで、この会長さんのことは、好きになった気がします。(1992.06.13)

10121004 しばらく前になりますが、飯干晃一が亡くなりました(1996.03.02)。何か書いておきたいという思いだけで、もうこうして時間が経ってしまいます。
 私は飯干晃一の著作というと、「会津の小鉄」と「仁義なき戦い」しか読んでいません。でもこの二つともにかなり印象深い作品でした。この二つとも角川文庫でそれぞれ全2冊になっています。
 会津の小鉄については、私は名前くらいしか知りませんでした。清水次郎長、国定忠次、飯岡助五郎、笹川繁蔵などと並ぶ博徒でありながら、私にはどのような人物だったのか知りませんでした。ただなんといっても、この幕末のときから現代まで存在しているやくざ組織といったら、この京都の会津小鉄会くらいでしょう。あとは寄居一家もそうかもしれません。ほかのやくざは実をいえば、博徒でも香具師(テキヤ)でもなく、戦後のギャング集団でしかありません。そんな中で現在も元気に京都を仕切っている会津小鉄会というのは興味がありました。とくに現在の小鉄会の元会長の高山さんが、暴力団新法に反対してテレビや雑誌に出演しているのを見て、かなり感心していたものです。この高山さんの暴力団新法に関して書かれた著書に関しては、以下で私は書評を書きました。

   高山登久太郎「警鐘」

 しかしたいした知識のなかった私に、この飯干晃一の「会津の小鉄」は、いろいろなことを教えてくれました。私には会長の高山さんの存在はこの会津の小鉄の姿からきているのだなと確信したものでした。
 つぎに「仁義なき戦い」のことです。誰も映画は見ているのではないでしょうか。全5作で完結して、さらに番外篇というか(なんというか内容は関係ないのだが、題名が同じシリーズが)あと3作あります。私は何度も何度も見ました。そして全8作をビデオで一気に連続で見たことも2回あります。
 実をいえば、私は深作欣二という監督が好きでありませんでした。彼はマキノ雅弘や山下耕作、加藤泰のように、ヤクザ映画を綺麗な映像には写しません。いつも「しょせんヤクザは無駄なことばかりやっている」というように描きます。ヤクザは結局無意味なことの為に戦い死んでいく、そしてしかもその死に方も少しも綺麗ではなく、戦う場も例えば汚水の中でやくざ同士を斬り合いさせたりします。私にはどうにもこれが許せなかったものでした。
 その深作欣二が「仁義なき戦い」を撮るといいます。またかよ、何が「仁義がないのだ」という思いでした。「所詮やくざには仁義なんかなにもないのだ」といいたいのだななんて思いでした。私はついには「深作って日共じゃないのか?」なんてことまで言っていたくらいです。
 だが私は映画をみて感動しました。実にいいのです。東映の俳優がそれこそ、端役に至るまで、みんな精一杯演技しています。そしてこの映画の内容である広島ヤクザの抗争史が実にいいのですね。私は必死にあらすじを整理していたものでした。

 私はこの感動できる「仁義なき戦い」の作者は4人いると思いました。
 まず、この映画の主役である菅原文太のやる本当のやくざ本人であり、このもともとの手記を書いた美能組組長美能幸三です。実際の美能という方は、文太さんとは違い、もっと太った方のようですが、この人が書いた自分たち広島やくざの抗争の歴史が、まずはこの「仁義なき戦い」ができる発端だと思います。そしてこの手記自体がかなり好感をもって読むことができます。
 そして次には菅原文太その人も、この「仁義なき戦い」を作った作者であると私は思います。それまで、いい線行っているのに、何故か文太の映画は当りませんでした。「まむしの兄弟」「新宿の与太」等々、いいのに当りませんでした。「なんでやろうな、なんであたらんのやろう」という文太のぼやきが聞こえてくる気がしていました。だがそれまでの苦労がこの映画ですべて見事生かされた気がしています。
 次にこの「仁義なき戦い」の作者は監督の深作欣二です。私はこれで、彼への偏見を棄てました。もうそののちは深作さんの映画はおそらく全部みてしまったと言い切れるくらいだと思っています。
 そしてやっぱり4人目の作者といえば、この原作である「仁義なき戦い」を書いた飯干晃一であると思います。私はこれで、広島ヤクザの抗争史だけでなく、山口組・本多会の抗争史、及び山口組の地道行雄、本多会の平田勝市などの存在とその姿を知りました。昔見た東映のヤクザ映画で、あの役やっていたのが、「あれが山口組の地道のことだったのか」なんてことが判ったものです。
 この飯干晃一の原作は何度も読み返しました。広島ヤクザの抗争と、山口組・本多会の関係、警察及び国家の頂上作戦のことなどをよく理解したかったからです。実に飯干さんにはなんだかお世話になったなというような感じがしています。
 できたらこの際、彼の他の著作も読んでみようかなと思っています。
 飯干さん、ありがとう。合掌します。 (1996.03.23)

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