将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:高島俊男

12102912 私が、以下で書きました裴松之について、また私は過去に将門Web内で書いています。

司馬遷『史記五帝本紀第一黄帝』へのコメントへあてすとろ〜るさんからのコメント

 以下のようにです。

2011年05月06日
横山光輝『三国志』
http://shomon.livedoor.biz/archives/51927302.html
  本来「三国志」というのは、晋の陳寿が書いた「三国志」という歴史の本でした。ただ内容は「演義」とはかなり違っています。三国のうち魏を正統として書いているのです。そして実に簡潔です。いや簡潔、簡略すぎるといっていいでしょう。これがのちの世まで残る名著になったのは、南北朝時代の宋の文帝が、「あまりに簡略」と不満を述べ、裴松之(はいしょうし)という人に、「三国志」の補正をさせたことにあります。このことが、陳寿「三国志」を不朽の名著にしました。
12102913 実にこの裴松之の付けた註こそが、陳寿の書いたものよりも膨大な量であり、実に内容が豊富であり、面白いのです。のちの「三国志演義」も、この裴松之の註から生まれたともいえるでしょう。私たちの知っている「三国志」のたくさんのエピソードは、実は陳寿ではなく、裴松之の註に書いてあるのです。
 ところで、この陳寿作・裴松之註「三国志」は、実は日本で訳されたことは、長い間ありませんでした。日本で初めて全訳されたのは、昭和五〇年代のことです。筑摩書房の「世界古典文学全集」でです。当初は高橋和己が訳す予定だったのです(高橋和巳は亡くなってしまいました)。私は高橋和己の訳でも読みたかった気がしています。
 でも、ということは、すなわち、これだけ日本人に親しまれた歴史物語なのですが、正史「三国志」というのは、この日本でそれを通して読んだ人は、江戸時代、明治時代もまずほとんどいなかったのだといえるでしょう。

2011年08月26日
第62回「司馬遷の史記」
http://shomon.livedoor.biz/archives/51956298.html
 それで、大昔(つまり1,000年以上昔から。中国だけではなく、この日本でも)から、「三国志」よりも、この裴松之の「註」のほうが長いと思われてきました。3倍くらいあるのじゃないかと思われてきました。
 そして20世紀になっても、清の三国志の研究家が、12102914

  私は実際に字数を数えてみたが、やはり裴松之の「註」のほうが字数が多い(3倍あると)

と言ってきました。だが、近ごろ本当に数えた人がいましてね、「三国志」のほうが裴松之の「註」よりもわずかに字数が多いそうです。これはすごいことですね。私は実にたまげました。これは前にも紹介した高島俊男さんが書いています。

 それからこの高島俊男さんの本は以下で書いています。

2005年06月04日
高島俊男「三国志 きらめく群像」
http://shomon.livedoor.biz/archives/24139620.html

 私は高島俊男さんのファンと言ってよく、彼の実際の声が聞こえる気になっています。
 しかし、実際には、どうなのでしょうね。私も読んでみて裴松之の「註」の方が長く感じるが、実際は陳寿が書いた「三国志」のほうが字数は多いのでしょうね。
 でもでも高島俊男さんも、

   この俺も騙されているんじゃないかな。12102915

と言っていますから、実際のとこころ分かりません。かつ私たちは原文を漢文で読んでいるわけではないですからね。

 思えば、いつまでも裴松之には大いに感謝もして、そしてまた首を傾げていくことでしょう。

11082502   Sunday, August 08, 2004 11:40 PM
はい、はい、了解です。

 私以外にも載せられるメールがあってよかったですね。
 椎名誠さんは私もファンで文庫が出ているのを見るたび買っていたんですが、十年ほど前でしょうか、続けて三冊ほど週刊誌の連載のつまらないエッセイをまとめただけのものとか、どこかの雑誌の企画で無理に旅行してまとめた様なものを続いて買ってしまい、それ以来対投資効果が薄いと判断して買わなくなってしまいました。
 海音寺潮五郎さんの平将門はyahoo booksで検索したところ、文庫は絶版で3800円の豪華本しかないことがわかりました。残念です。読みたい本がいくらかまとまると、送料も無料になるのでネットで年に二三回まとめて注文しています。昔は注文を出した後で楽しみに待ったあげく絶版とわかったりして苦労したものですが。
 それでというわけではないんですが、項羽と劉邦については誰の小説がおもしろいでしょう。オーソドックスなところで司馬遼太郎の項羽と劉邦は読んだんですが、膨大な文献を読みこなしてできるだけ本当にこうだっただろうと正確に書こうとしているように思えました。そのためキャラクターの魅力に乏しく歴史の講義を聞いているようで感情移入するところまでいきませんでした。血わき肉躍るというタイプが好みなんです。よろしくおねがいします。

   Friday, August 27, 2004 12:30 PM
Re: はい、はい、了解です。

 ごめんなさい。こんなに返事が遅れてしまいました。いえ、仕事も忙しいのですが、ようするに毎日大酒を飲んでいましてね。昨日は圧倒的美女と飲んでいまして愉しかったな。

項羽と劉邦については誰の小説がおもしろいでしょう。オーソドックスなところで司馬遼太郎の項羽と劉邦は読んだんですが、膨大な文献を読みこなしてできるだけ本当にこうだっただろうと正確に書こうとしているように思えました。そのためキャラクターの魅力に乏しく歴史の講義を聞いているようで感情移入するところまでいきませんでした。

 司馬遼さんはね、もう仕方ないのよ。彼は小説を展開するよりも、とにかく歴史を語りたくて仕方ないのですね。そしてしかも語るのは、彼の思う歴史なんです。私は彼の小説では、

  功名が辻
  北斗の人
  竜馬が行く

が好きですが、あとはみなすべて嫌いです。
 ところで、漢楚の攻防の歴史ですが、間違いなく一番面白いのは、司馬遷の「史記」だと思いますよ。「史記」は、「本紀」や「世家」、「列伝」の中にこの時代はあちこちに書かれていますが、一番生き生きとしていると私は思います。おそらく作者司馬遷にとって、「ついこのあいだのことだ」と思えるのがこの漢楚の時代だったのではないでしょうか。
「本紀」というのは、中国を支配した帝王たちの歴史です。最初から

  五帝本紀
  夏本紀
  殷本紀
  周本紀
  秦本紀

と続きます。ところがこのあとが、何故か「秦始皇帝本紀」となり、そして漢の「高祖本紀」となる前に、中国すべてを支配したとはいえない、かつ漢の敵であった楚の「項羽本紀」が書かれているのです。おそらく司馬遷は、この「項羽本紀」が実に好きだったのでじゃないでしょうか。
 司馬遷の「史記」を思いながら、私は司馬遼と比較して、私の好きな作家は宮城谷昌光です。ただ私は最初の頃、彼の小説を読みまして、

  この人は、司馬遷「史記」はあまり評価しないのかな

と思ったものでした。あまりに彼の小説の中に「史記」の描く内容が少ないように思ったのです。「むしろ、『春秋左氏伝』なんかのほうが好きなのかな」なんていう思いでした。でもでも違うのです。
 実は宮城谷さんは、この「史記」を全文手で書いたことがあるそうです。そしてそうしてはじめて「史記」のすごさが判ったようです。「史記」を全文書き抜くと司馬遷の心、気持が判ったそうです。(しかも司馬遷は紙に書いたのじゃないものね。青竹の後ろに書いたわけだ)。
 司馬遷はあの当時中国全土を歩き、あらゆる書物を読み、かつあらゆる故老の話を聞き、またたくさんの伝承を収集しました。それはあの長大なる「史記」の数十倍あったものと想像されます。その数十倍あった資料を取捨選択していったのが司馬遷なのです。
 司馬遼の「項羽と劉邦」の項羽の最後のシーンは、私たちが知っている項羽の最後とは違います。司馬遼は、「これのほうが本当の歴史なんだ」という思いで書いたのでしょうが、実は司馬遷は、司馬遼の書くあのような最後も知っていたことでしょう。でもでも、司馬遷は、やはり自分の好きな項羽の最後を、「史記」で書いたような内容にしました。このことこそが、司馬遷の偉大さです。司馬遼の判っていないことです。
 項羽を好きだった杜牧も、この項羽の最後を何度も思い浮かべたことだと思います。(私のよくやります詩吟の一つです。ああ、昨夜は乃木希典「爾霊山」を詠いました)。

  杜牧「烏江廟」

 そして杜牧もまた司馬遷の描く項羽にこそ涙を流したのではないでしょうか。
 こうしたことに気がつかせてくれた宮城谷昌光さんが、この漢楚の時代を描いたのは「香乱記」があります(ただしまだ文庫本になっていません)。ただし、これは項羽も劉邦も主人公ではありません。私ももしこの時代に生きていたとしても項羽には絶対に就きたくないし、劉邦も嫌です。そんな思いからすると、この小説はいいですよ。
 ただそれより前に「長城のかげ」を読まれるといいです。エッセイですが、宮城谷さんの漢楚の時代への思いが理解できるかと思います。
 それから、実は宮城谷さんは、「文藝春秋」にて「三国志」を執筆中です。ものすごい内容ですよ。おそらく、世界で一番長大なる「三国志」になると思います。
 正史「三国志」は実に長い歴史書です。ただし、内容がものすごく簡潔です、いや簡潔すぎます。それで、裴松之という人がものすごい註を書きます。以下にそのことを少し書いています。

  横山光輝「三国志」

 それで、大昔(つまり1,000年以上昔から。中国だけではなく、この日本でも)から、「三国志」よりも、この裴松之の「註」のほうが長いと思われてきました。3倍くらいあるのじゃないかと思われてきました。
 そして20世紀になっても、清の三国志の研究家が、

  私は実際に字数を数えてみたが、やはり裴松之の「註」のほう
 が字数が多い(3倍あると)

と言ってきました。だが、近ごろ本当に数えた人がいましてね、「三国志」のほうが裴松之の「註」よりもわずかに字数が多いそうです。これはすごいことですね。私は実にたまげました。これは前にも紹介した高島俊男さんが書いています。

 http://myshop.esbooks.co.jp/myshop/shomon?shelf_id=08

 ここの「三国志 きらめく群像」を読んでみてください。面白いですよ。私はこの高島さんの本を電車の中で読めないんですよ。とにかく、げらげら笑ったり、急に涙がこみ上げたりしてしまうのです。
 申し訳ない、「血わき肉躍るというタイプが好み」というあなたに、このくらいことしか書けませんでした。萩原周二
(第215号 2004.09.27)

08043006  http://floatingworld.livedoor.biz/  it's a floatingworld! blog で、「水滸伝」のことが何回か語られています。以下の通りです。

 http://floatingworld.livedoor.biz/archives/50996724.html
           「水滸伝」備忘録 その1
 http://floatingworld.livedoor.biz/archives/50997832.html
           「水滸伝」備忘録 その2
 http://floatingworld.livedoor.biz/archives/50999034.html
           ドラ本 第3号 「水滸伝」駒田信二訳
 http://floatingworld.livedoor.biz/archives/50999147.html
           テレビドラマ「水滸伝」
 http://floatingworld.livedoor.biz/archives/50999156.html
           ドラ本 第4号 「新釈 水滸伝」津本陽・著
 http://floatingworld.livedoor.biz/archives/50999160.html
           ドラ本 第5号 「水滸伝の世界」高島俊男・著
 http://floatingworld.livedoor.biz/archives/51005256.html
           ドラ本(別格)「水滸伝」北方謙三

 この北方謙三さんの「水滸伝」に関しまして、以下のようにあります。

 間違いなく「水滸伝」の最高傑作である
作品の価値とか味わいとか
そういう判断基準を笑ってしまうほど
魅き込まれた

 ここを読みまして、私も早速王子図書館から借りて読みはじめました。
 私は北方謙三さんの、日本の歴史ものや、現代のサスペンスものはいくつか読んできましたが、中国に関しては、北方謙三「三国志」しか読んできていませんでした。
 この北方さんの「三国志」についていえば、まず呂布をあまりに強いと描きすぎな思いがしました。たしかに、正史「三国志」でも、呂布は強い武将です。だが、あの時代を切り拓く政治家ではありえませんでした。強い武将といっても名将とはいえなかったと思うのです。そこらへんも指摘してほしかったなあ。
 それと、のちの蜀の五虎将軍の一人、馬超なのですが、これも評価しすぎな感じがしましたね。
 それで肝心の「水滸伝」ですが、私は今はまだ第1巻を読んでいるところです。なんでも全部で19巻あるということです(今インターネットで調べました)から、この段階では何も言えません。とにかく、今後読んでまいります。

 それで、高島俊男「水滸伝の世界」も私には実に面白かったです。それで私は、この高島俊男さんの本はいくつも読んでいます。オノ君が、

高島俊男氏は以前書評を書いた「漢字と日本人」(文藝春秋)というとても面白い本も著されています。

と書いていますが、もうその通りです。もう私は、この本を読みながら、実に声をあげて笑いました。でも涙を流してしまったところもあります。
 私は週刊誌は読まないのですが、「週刊文春」だけは、この人の「お言葉ですが…」がありましたから、読んでいました。ということは、この連載がなくなりましたから、もう当然読みません。これが単行本になったものはすべて読んできましたが、思えば、つい先月全部売ってしまったのですね。しかたないなあ。
 とにかく、北方謙三「水滸伝」を読んでいきます。でも電車に乗らないと、読んでいる時間が見つけ出せないのですね。あとは、こうしてパソコンを打ちながら読むしかありません。

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 三月記(仮題)このUPがありました。

「週刊文春」に連載されていた高島俊男さんのコラム「お言葉ですが…」は、残念ながら今秋で打ち切りになってしまいました。(2006.12.30)

 えっ、と驚きです。私は週刊誌はまず買うことはないのですが、この文春を手にしたときは、真っ先にこの高島さんのコラムを読んでいました。
 私はこれを文庫本で読みまして、それからこの著者のファンになりまして、他の作品も随分呼んできたものです。

このコラムは今年で11年目でしたが、最初の10巻までは文藝春秋から単行本が出ていたのに、最後のこの11巻目だけは別の版元から出たのも何か不自然な感じがしないでもありません。それはともかく、この最終巻には全11巻の総目次と通し索引もついていますからたいへんに便利です。本当は文春文庫で7巻まで出ている文庫が11巻まで出てくれると一番なのですが、これも打ち切りが決定しているようです。文庫には単行本以降の補遺、補足が附いていて、決定版とも言える編集だっただけに残念です。

 私は文庫本で第7巻まで読んでいます。せめて10巻までは文春文庫で出してもらえないかなあ。11巻は、この「連合出版」ので読みます。
 私がいつも飲む店に行く前に行く古書店で、この文庫本や、この著者の他の著作を購入していたものでした。
 そして読んでいると、実に面白くて、そしていつも声を出して笑いそうになるので、ちょっと電車の中では、いつもページをとじて、笑いをかみ殺していたものでした。

 それと、次の点が大変に気になりました。

さて、この高島氏の他社のも含む著作類の唯一とも言える欠点は、故・白川静さんに対する徹底的な敬遠作戦でしょう。他の著者にならば遠慮なしに批判を加えるのに、白川氏に対しては名も挙げずに、カリスマ学者とか仄めかした上で、「まるで話にもならないデタラメ説」と何の説明もなく断定されていたのを一カ所目にした覚えしかありません。この奥歯に物が山ほど挟まったような物言いは、およそ高島氏にはふさわしくないのですが、これはおそらく高島氏の師匠にあたる故・藤堂明保東大教授の影響でしょう。

 うーん、と声をあげて考え込んでしまいました。私は実はこの白川静さんが大変に苦手です。という私の側の理由は私には説明できるのですが、ここに書くのには、実に大変なので、また別にしたいのです。
 そうねえ、少し言うと、日本の神話と中国の神話を比較されていて、それがなにか類似するようなことを言われている(ええと簡単にはいえないのですが)ところが私には大変に不満です。
 藤堂明保先生は、私は大好きな先生でした。私の埼玉大学でも少しだけ教えていたことがあります。

ぜひとも高島氏にはまともな白川漢字学批判の本を書き下ろしていただきたいものです。

 これは私も願いますね。
 そしてでも、この「「お言葉ですが…」の続編をどこかで書かれることを、私はおおいに願います。
 これほどの方は、他には皆無です。ぜひまた書いて行っていただきたいものです。

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