将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:高村光太郎

11111910 私が心の中で、「王子の千恵子」と呼んでいます女性がいます。つい先日の朝私の友人に、その女性のことで、ケータイメールを出してしまいました。
 それが以下です。ただし固有名詞は直してあります。ケータイメールですから、段落もありません。それとメールはモノクロです。

今10時36分です。じゅにとブルータスに会いに行きます。今王子で乗りましたばかりです。今王子駅に歩いている中、「あ、千恵子がいる」と思った女性がいます。彼女は、朝この時間帯から、王子駅前か、王子駅前の東武ストアの前で、ずっと演説をしています。もう顔は日に焼けています。いつも演説しているのですが、誰も彼女に注目していません。私はいつも彼女で高村光太郎の奥さまだった高村千恵子をおもいだすのです。高村千恵子も晩年は街頭で、アジテーションをしていたようです。「諸君、アジアを解放せよ」「アメリカ帝国主義共産主義を打倒せよ」。そしてそのうち光太郎が来て、「千恵子もう帰ろうよ」と言って連れ帰ったようです。この千恵子は美しいひとだったようですが、王子の千恵子は、もう光太郎がいないし、大東亜戦争もありませんから、誰も注目しないし、みんな知ってはいますが、誰も気にかけません。思えば戦争は短かったとも言えますね。王子の千恵子は今日も延々と演説していくでしょう。

 いつも京浜東北線や京葉線では、こうしてケータイメールを書くか、「周のIS01ブログ」を書いています。ちゃんと手紙を書いて(あとでプリントすればいい)とも思うのですが、やっぱりこうして、どうでもいいことを書いてしまいます。
 今莫大な数のシールが手に入ったので(本当に莫大な数です)、これで書いていく手紙には、貼っていきます。漢詩の解説なんか書いて、このシールを大量に貼るのは、少々恥ずかしくもあるのですが、仕方ないですよね。
 私から手紙をもらう方は、莫大にシールが貼ってありますよ。

10111611高村光太郎<増補決定版>
  1970.8.15 春秋社 850円
  高村光太郎
    「道程」前期
    「道程」論
    「智恵子抄」論
    詩の註解
    戦争期
    敗戦期
    戦後期
  小論集
    「出さずにしまった手紙の一束」のこと
    詩のなかの女
    高村光太郎鑑賞
    高村光太郎の世界
    高村光太郎私誌
  春秋社版『高村光太郎選集』解題
    一 端緒
    二 <自然>の位置
    三 成熟について
    四 崩壊の様式について
    五 二代の回顧について
    六 高村光太郎と水野葉舟――その相互代位の関係
    
    年譜
    参考文献目録
    あとがき
    初稿掲載誌一覧

101106181966(昭和41年)

高村光太郎<決定版>
  1966.2 春秋社

101017071957(昭和32年)

高村光太郎
  1957.7 飯塚書店
  幸徳秋水事件前夜
  「道程」の方法
  智恵子抄
  「のっぽの奴は黙っている」
  戦争期
  敗戦期の問題
  「出さずにしてしまった手紙の一束」のこと
  年譜
  あとがき

  私の 『収容所群島』が必読書になる七生という方から、以下のコメントがありました。

090914201. Posted by 七生   2009年09月16日 17:50

『収容所列島』すぐに読みたいと思います。

『十二月八日』 高村光太郎

記憶せよ、十二月八日。
この日世界の歴史あらたまる。
アングロ サクソンの歴史あらたまる。
この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは彼らのジャパン、
眇(びょう)たる東海の国にして
また神の国たる日本なり。
そを治(しろ)しめたまふ明津御神(あきつみかみ)なり。
世界の富を壟断(ろうだん)するもの、
強豪米英一族の力、
われらの国に於いて否定さる。
われらの否定は義による。
東亜を東亜にかへせといふのみ。
彼らの搾取に隣邦ことごとく痩せたり。
われらまさに其の象牙(ぞうが)を摧(くだ)かんとす。
われらみずから力を養ひてひとたび起(た)つ。
老若男女みな兵なり。
大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。
世界の歴史を両断する
十二月八日を記憶せよ。
- 高村光太郎 -

 この七生さんのサイト(七生さんの「七生」の語がリンクされています)が、クリックしますと、西部邁さんと秋山祐徳太子さんの「西部邁ゼミナール 〜戦後タブーをけっとばせ〜」のサイトになっています。
 西部さんもお会いしたことがありますし、秋山祐徳太子さんとはご一緒に飲んだことも数度ありますね。
 ところで、この「七生」は楠木正季の最後の言葉、「七生まで同じ人間に生まれて朝敵を滅ぼさばやとこそ存じ候へ」からとられたものですか?

 私はどうしても高村光太郎は好きですが、今どうしても毎日のように、光太郎の奥さまの智恵子を思い出してしまいます。王子駅前でいつも思い出すのですね。そのわけはまた、別なときに書きましょう。
 そうですね、「吉本隆明『高村光太郎』」は何度読み直しても好きです。

 それで、ソルジェニーツィンはいいですよ。「収容所群島」が彼が一番ソ連で公開したかったものです。ソ連当局は、「ガン病棟」だけは、公開していいから、もうこれだけにしてくれとかソレジェニーティンを妥協させようとするのですね。でもでも、彼はけっしてしないのです。そして「煉獄の中で」は、素晴らしい小説です。そしてソ連の収容所ってすさまじいです。
 そういえば、「イワン・デニーソヴィチの一日」も素晴らしい小説ですが、でもでもみんな収容所の中なのですね。
 いつも革命を忘れていない活動家がいるのですが、そして他の活動家と烈しい論争をするのですが、でもでも、それはみな獄の中なのですね。
 もう私は「ガン病棟」でも「煉獄の中で」でも「イワン・デニーソヴィチの一日」でも忘れられないシーンが、忘れられない言葉がいくつもあります。

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 私の 吉本隆明鈔集「これまでいろんなことを偉そうに言ってきたけど、自分がやっていることは全部嘘で、全部ダメじゃないかと思いました」へ以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜    2008年11月18日 01:20
 もうずっと、今は自信のある事なんて言える時代ではないと思って来ました。重要なのは、自信のある事を言う事ではなく、間違ってもいいから、その都度、思う事、信じる事を言っていく事だと思って来ました。
 もう、みんなおっかなびっくりだから、後戻りして、ロクでもない言説ばかりが横行しています。
 吉本さんは、自信があろうとなかろうと、言うべき事はずっと言ってきて、偉いなと感じて来ました。
 ご自身で、自信を持ちきれない、ダメかもしれないと思いながらも、前に出ています。それは凄い事です。
 この原因は、マルクスがダメで、嘘だったようだという事です。吉本さんは、マルクスを、前よりはいいと思わなくなり、その事を言っているのではないかと、勝手に思います。

重要なのは、自信のある事を言う事ではなく、間違ってもいいから、その都度、思う事、信じる事を言っていく事だ」ということに深く頷きます。私なんか、羞しいことばかりですが、でも自分が思うことを、ここで述べるようにしてきました。いえ、ここだけじゃなくて、毎日書いている手紙にも、なんかのことを話すようにしています。
 そうですね。吉本さんは、前ほどマルクスのことをいわなくなりましたね。私なんか、マルクスの言うことをよく読み込もうとは思うのですが、どうしてもマルクスその人があまり好きにはなれないのですね。そばでいたら、面倒な人だと思うのですね。私には、どうしても合わない人だと思うのですね。でも懸命に理解しようとはしてきたつもりです。マルクス主義は駄目でも、マルクスその人そのものはいいのじゃないか、と思うようにはしてきたつもりなのでうが、やはりどうしてもマルクスという人も好きになれないのです。
 このことは、私のはどうしても大きなことなんですね。私はどうしても吉本さんは、その人そのものが好きなのですね。
自信を持ちきれない、ダメかもしれないと思いながらも、前に出る」というのは、大切な姿勢だと思いますね。おそらく、戦後すぐに、吉本さんは、高村光太郎に、小林秀雄に、何かを喋って欲しかったのだと思います。
 その意味で、今の日本がどんなに混迷していようが、一人の吉本隆明を持っていることは、私には大変に幸せなことなのです。

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