13011513 この章が私には、もう凄まじいばかりです。もう読んでいて、このときの凄まじい出来事、イエスの言葉にどうしても涙が出てしまいます。
 ペテロは、イエスから自分を「知らない」と言うだろうという言葉に「そんなことはない、そんな自分ではない」と言いきります。
 イエスはいいます。『鷄ふたたび鳴く前に、なんぢ三たび我を否むべし』。事実はペテロが三度『其の人を知らず』と言ったときに、『また鷄なきぬ』となるのです。
 ペテロは『思ひ反して泣きたり』となるだけなのです。

第14章
  さて過越(すぎこし)と除酵(じょこう)との祭の二日前となりぬ。祭司長・學者ら詭計(たばかり)をもてイエスを捕へ、かつ殺さんと企てて言ふ『祭の間は爲すべからず、恐らくは民の亂あるべし』
 イエス、ベタニヤに在して、癩病人シモンの家にて食事の席につき居給ふとき、或女、價(あたひ)高き混(まじり)なきナルドの香油(にほひあぶら)の入りたる石膏(せっこう)の壺を持ち來り、その壺を毀(こぼ)ちてイエスの首に注ぎたり。ある人々、憤ほりて互に言ふ『なに故かく濫(みだり)に油を費すか、この油を三百デナリ餘に賣りて、貧しき者に施すことを得たりしものを』而して甚く女(をんな)を咎(とが)む。イエス言ひ給ふ『その爲すに任せよ、何ぞこの女を惱すか、我に善き事をなせり。貧しき者は常に汝らと偕にをれば、何時にても心のままに助け得べし、されど我は常に汝らと偕にをらず。此の女は、なし得る限をなして、我が體に香油をそそぎ、あらかじめ葬りの備をなせり。まことに汝らに告ぐ、全世界いづこにても、福音の宣傅へらるる處には、この女の爲しし事も記念として語らるべし』
13021503  ここに十二弟子の一人なるイスカリオテのユダ、イエスを賣らんとて祭司長の許にゆく。彼等これを聞きて喜び、銀を與へんと約したれば、ユダ如何にしてか機(をり)好くイエスを付(わた)さんと謀る。
 除酵祭の初の日、即ち過越(すぎこし)の羔羊(こひつじ)を屠るべき日、弟子たちイエスに言ふ『過越の食をなし給ふために、我らが何處に往きて備(そな)ふることを望み給ふか』イエス二人の弟子を遣さんとして言ひたまふ『都に往け、然らば水をいれたる瓶(かめ)を持つ人、なんぢらに遇ふべし。之に從ひ往き、その入(い)る所の家主に「師いふ、われ弟子らと共に過越の食をなすべき座敷は何處なるか」と言へ。さらば調へ備へたる大なる二階座敷を見すべし。其處に我らのために備へよ』弟子たち出で往きて都に入り、イエスの言ひ給ひし如くなるを見て、過越の設備をなせり。
 日暮れてイエス十二弟子とともに往き、みな席に就きて食するとき言ひ給ふ『まことに汝らに告ぐ、我と共に食する汝らの中の一人、われを賣らん』弟子たち憂ひて一人一人『われなるか』と言ひ出でしに、イエス言ひたまふ『十二のうちの一人にて、我と共にパンを鉢に浸す者は夫なり。實(げ)に人の子は己に就きて録されたる如く逝くなり。されど人の子を賣る者は禍害なるかな、その人は生れざりし方よかりしものを』
 彼ら食しをる時、イエス、パンを取り、祝してさき、弟子たちに與へて言ひたまふ『取れこれは我が體なり』また酒杯を取り、謝して彼らに與へ給へば、皆この酒杯より飮めり。また言ひ給ふ『これは契約の我が血、おほくの人の爲に流す所のものなり。まことに汝らに告ぐ、神の國にて新しきものを飮む日までは、われ葡萄の果(み)より成るものを飮まじ』
13021504 かれら讃美をうたひて後、オリブ山に出でゆく。
 イエス弟子たちに言ひ給ふ『なんぢら皆躓(つまづ)かん、それは「われ牧羊者(ひつじかひ)を打たん、さらば羊散るべし」と録されたるなり。されど我よみがへりて後、なんぢらに先だちてガリラヤに往かん』時にペテロ、イエスに言ふ『假令みな躓(つまづ)くとも、我は然らじ』イエス言ひ給ふ『まことに汝に告ぐ、今日この夜、鷄ふたたび鳴く前に、なんぢ三たび我を否むべし』ペテロ力をこめて言ふ『われ汝とともに死ぬべき事ありとも、汝を否まず』弟子たち皆かく言へり。
 彼らゲツセマネと名づくる處に到りし時、イエス弟子たちに言ひ給ふ『わが祈る間、ここに座せよ』かくてペテロ、ヤコブ、ヨハネを伴ひゆき、甚く驚き、かつ悲しみ出でて言ひ給ふ『わが心いたく憂ひて死ぬばかりなり、汝ら此處に留りて目を覺しをれ』少し進みゆきて、地に平伏し、若しも得べくば此の時の己より過ぎ往かんことを祈りて言ひ給ふ『アバ父よ、父には能(あた)はぬ事なし、此の酒杯を我より取り去り給へ。されど我が意のままを成さんとにあらず、御意(みこころ)のままを成し給へ』來りて、その眠れるを見、ペテロに言ひ給ふ『シモンよ、なんぢ眠るか、一時も目を覺しをること能はぬか。なんぢら誘惑(まどはし)に陷らぬやう、目を覺しかつ祈れ。實(げ)に心は熱すれども肉體よわきなり』再びゆき、同じ言にて祈り給ふ。また來りて彼らの眠れるを見たまふ、是その目いたく疲れたるなり、彼ら何と答ふべきかを知らざりき。三度來りて言ひたまふ『今は眠りて休め、足れり、時きたれり、視よ、人の子は罪人(つみびと)らの手に付さるるなり。起て、われらは往くべし。視よ、我を賣る者ちかづけり』
 なほ語りゐ給ふほどに、十二弟子の一人なるユダ、やがて近づき來る、祭司長・學者・長老らより遣されたる群衆、劍(つるぎ)と棒とを持ちて之に伴ふ。イエスを賣るもの、あらかじめ合圖を示して言ふ『わが接吻する者はそれなり、之を捕へて確(しか)と引きゆけ』かくて來りて直ちに御許に往き『ラビ』と言ひて接吻(くちづけ)したれば、人々イエスに手をかけて捕ふ。傍らに立つ者のひとり、劍を拔き、大祭司の僕を撃ちて、耳を切り落せり。イエス人々に對ひて言ひ給ふ『なんぢら強盜にむかふ如く、劍と棒とを持ち、我を捕13021505へんとて出で來るか。我は日々なんぢらと偕に宮にありて教へたりしに、我を執へざりき、されど是は聖書の言の成就せん爲なり』其のとき弟子みなイエスを棄てて逃げ去る。
 ある若者、素肌に亞麻布を纏ひて、イエスに從ひたりしに、人々これを捕へければ、
亞麻布を棄て裸にて逃げ去れり。
 人々イエスを大祭司の許(もと)に曳き往きたれば、祭司長・長老・學者ら皆あつまる。ペテロ遠く離れてイエスに從ひ、大祭司の中庭まで入り、下役どもと共に坐して火に煖(あたた)まりゐたり。さて祭司長ら及び全議會、イエスを死に定めんとて、證據を求むれども得ず。それはイエスに對して僞證する者多くあれども、其の證據あはざりしなり。遂に或者ども起ちて僞證して言ふ『われら此の人の「われは手にて造りたる此の宮を毀(こぼ)ち、手にて造らぬ他の宮を三日にて建つべし」と云へるを聞けり』然れど尚この證據もあはざりき。ここに大祭司、中に立ちイエスに問ひて言ふ『なんぢ何をも答へぬか、此の人々の立つる證據は如何に』されどイエス默して何をも答へ給はず。大祭司ふたたび問ひて言ふ『なんぢは頌むべきものの子キリストなるか』イエス言ひ給ふ『われは夫なり、汝ら、人の子の全能者の右に坐し、天の雲の中にありて來るを見ん』此のとき大祭司おのが衣を裂きて言ふ『なんぞ他に證人を求めん。なんぢら此のけがれし言(ごと)を聞けり、如何に思ふか』かれら擧(こぞ)りてイエスを死に當るべきものと定む。而して或者どもはイエスに唾し、又その顏を蔽ひ、拳にて搏ちなど爲始(しはじ)めて言ふ『預言せよ』下役どもイエスを受け、手掌(てのひら)にてうてり。
 ペテロ下にて中庭にをりしに、大祭司の婢女(はしため)の一人きたりて、ペテロの火に煖まりをるを見、これに目を注めて『汝もかのナザレ人イエスと偕に居たり』と言ふ。ペテロ肯(うけたが)はずして『われは汝の言ふことを知らず、又その意(こころ)をも悟らず』と言ひて庭口に出でたり。婢女かれを見て、また傍(かたは)らに立つ者どもに『この人はかの黨與(ともがら)なり』と言ひ出でしに、ペテロ重ねて肯はず、暫くしてまた傍らに立つ者どもペテロに言ふ『なんぢは慥(たしか)にかの黨與なり、汝もガリラヤ人なり』此の時ペテロ盟(うけ)ひかつ誓ひて『われは汝らの言ふ其の人を知らず』と言ひ出づ。その折しも、また鷄なきぬ。ペテロ『にはとり二度なく前に、なんぢ13021506三度われを否(いな)まん』とイエスの言ひ給ひし御言(みことば)を思ひいだし、思ひ反(かへ)して泣きたり。

 このことを指摘してくれたのは、吉本(吉本隆明)さんなのです。私はそのときの吉本隆明さんの言ったことを忘れることはできません。