将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:鹿児島市の甲東中学

2017071802 私は中学を鹿児島市ですごしました。鹿児島市の甲東中学というところです。私のころにも、男子生徒の丸刈り強制なんてありませんでした。ただ高校へいくと、丸刈りにしなければいけないというので、悩んでいた生徒もいたようです。それで、たしか新設校で、長髪でもいいというところがあって、そこが少し人気があったように記憶しています。
それが、この

書 名 全国縦断丸刈り強制イヤです
編 者 森山昭雄
発行所 風煤社

によると、「鹿児島はたいへん保守的なと11030410ころです」というので、「人口50万人以上の都市で全市一律に強制しているところは鹿児島だけである」ということのようです。いったいどうなってしまったのでしょうか。島津斉彬の開明君主から、島津久光の保守君主に政権交替でもしたのでしょうか。
佐藤紅緑『ああ玉杯に花うけて』のチビ公と乃(だい)公は、坊主頭だったのでしょうね。明治大正の時代、あの浦和の地で、納豆売りの苦学の少年には坊主頭が似合うのかもしれません。
ところでこの本を読むと、そんなチビ公より数倍も元気な男の子たちの姿が浮かびあがってきます。そんな子のいっていること、抜き出してみます。

入学してからは、学校へいくのが楽しくて楽しくてたまりませ
んでした。なにが楽しいのかと言うと、頭髪のことで職員室に呼
ばれて、教師達が、あの手この手で僕に髪を切らせようとする姿
が面白くて面白くてしょうがないって感じでした。
(中略)
二年生になってからは、がぜんやる気が出て、学校内で「頭髪
自由化を求める要望書」を校長にだすために生徒の署名を集めま
した。今のところ、僕の活動は一時沈黙を保っています。だが、
このままでは僕の力が発揮できません。だから、こんどの目標は
私服登校です……         (中学二年生 立松尚積)

僕は、益子中で今は一人(だと思う)で反抗分子をやっている
服部大助です。
なぜ、私服部大助は長髪なのか! これは単にボーズ頭がきら
いなだけです。ハイ。一年の時は本トにこれだけでした(今でも
そうだけど)。三年になると公民というものを勉強します。公民
の中で最高に重要なのが人権であります。身体にいちゃもんはつ
けられないはずです。大人も子どもも関係ありません。このよう
なことを学校でおしえてくれるのです。なのに学校は言っている
ことと反対のことやっているのです。
(中略)
先生方はいつもつぶやいておられます。「問題おこさないよう
に土、日すごせよ」「アメの紙がおちていた、これはあれるぜん
ちょーだ」とか言っておられます。問題おきないようにしろよ、
などと言わないで、さぁー問題おこしてみろ、我々が体あたりで
話あってやるぞ! くらいのいきごみがあってほしいものです。
お・わ・り。           (中学三年生 服部大助)

どうでしょうか。いい子たちですね。けっして今の子たちの未来は暗いのではなく、明るいのですよ。こうして日本全国で、たくさんの子たちが、親とスクラムを組んで闘っているのを知るとうれしくなります。でも中にはかなり苦しい闘いを強いられているところも多いみたいです。でも未来は君らのものですよ。

ボクの頭に生えてきた
ボクの髪のこと
ボク、自分で決めます

ところで、私は実に大学2年生(ということは、東大闘争で安田講堂で逮捕起訴されたときも)の最後まで坊主頭でした。もちろん私は自分の好きでやってたんですね。私って少し変わっていたのかな。(1992.06.20)

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10121906 私がこの本を読んだのは中学2年のときでした。
  私が鹿児島市の甲東中学というところの2年生の夏休みのたしか7月20日頃に、兄が東京の大学から帰ってきて、その1カ月後のたしか8月30日に東京へ帰る列車の指定券を買うために、朝4時から鹿児島駅に並んだものでした。
  切符の発売は午前8時でした。そのとき長時間待っているときに、私はこの新潮文庫の『猟人日記』(全2冊)の上下を持って読み始めたものです。たぶん、ただ待っているだけなのは、退屈なので、多分このより退屈な本を読んでいれば、時間がまぎれるだろうと思ったものでした。
 訳者は米川正夫だったと記憶しています。現在の新潮文庫の訳者は違うのですね。
 ツルゲーネフは1818年11月9日~1883年9月3日に生存した19世紀ロシアの代表する文学者でした。私はその後も彼のいくつもの作品を読んでいますが、最初に読んだのがこの作品でした。
 この作品は、貧しい農奴の生活を描いています。ただツルゲーネフは地主貴族の出身でした。だから、私にはどうしても何か上から見ているような視線を感じたものでした。ただし、ツルーゲネフ自身はこの作品を書いたことにより、逮捕投獄されています。
 たしか、ドストエフスキーの『悪霊』にも、このツルゲーネフをモデルとしている作家が出てきます。そしてその姿は少しもほめられたものではありません。いわばドストエフスキーがツルゲーネフをからかっている、少しバカにしているという感じです。
 なんとなく、私はこのツルゲーネフのいくつもの作品を読んできて、割と好きな作家なのですが、どうしても好きだということは誰のもいえなかったものです。その私の思いの根底には、この作品がありました。読んだことは読んだけれど、少しもそれを人にいうこともできない。そんな作品であり、そんな作家に思えたものでした。
 おそらく、今後もこの作品を読むことは決してないことでしょう。(2009.11.21)

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