将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:黒澤忠三郎『絶命詩』

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 この画像は、私の長女おはぎの家のトイレで見られるものなのです。
 いつも私は必ず読んで、会津藩を思い、また孔子を思い浮かべています。
 旅行で会津へ行って、若松城に登ったあと、ブルータスが私に言いました。「パパはこの会津藩も嫌いなんだろうね」と。それは私が水戸天狗党で私の嫌いな水戸諸生党のことを言っているのです。私は「いやもうそんなことはないよ」と言いましたが、私の心の中の本心をいい当てられた思いがしたものでした。
 私は昔に、「浅野」でいつもの通り、詩吟の「黒澤忠三郎『絶命詩』」を詠ったところ、私の初対面の方(私より年上の方でした)に「白虎隊の詩をやってほしい」といわれたのですが、「それは私は嫌いですからやれません」と答えたものでした。本気で当たり前のことなのです。
 しかし、詩吟というと、みな同じしか思えない人には心の底から嫌になるものです。
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12090611 また書くわけですが、私はけっこうしつこいでしょう。
 それでですね、私は「当時の芝浦生」さんに、多分69年に大学へ入られたということは、私が昭和23(1948年)生まれで、現在64歳ですが、「当時の芝浦生」さんは現在62歳か61歳だと推定します。
 そうだとしたら、私がこうしてブログを毎日書いているように、ぜひ「当時の芝浦生」さんもブログを立ち上げてください。私なんかは、いつも酔っ払いでどうしようもないのですから、それよりはずっとましだろう「当時の芝浦生」さんにもぜひともやってほしいものです。
 私なんかは、もともと漢詩が好きで、詩吟をやっていて、実際に70年安保闘争の6・23のときには、埼大のバリケードの中の集会で七言絶句の「黒澤忠三郎『絶命詩』」(実際に詠っているのはここです)をやったものでした。そのあと司会者の一人だった中核派のAがものすごく感激した旨のアジをしてくれたものでした。
 私のブログは内容はともかく、UPしている量だけは、誰にも負けません。中国にも米国にも欧州にも、私以上の量を書いているサイトはありません。私は知りません。
 まあ、しょせんインターネット上のブログなのですが、今は誰でもできるはずです。とにかく、私がやれてしまうのですから。

12082902 この長春有情さんのUPでいくつものことを思い出しました。

 篤姫が鹿児島では評判の悪い財政改革をした調所広郷や井伊直弼の死を悲しんでいた場面に心を打たれました。

 うーん、そうですね。調所広郷は実に大変だったなあ、という気持を抱きます。島津重豪が大変な人でしたからね。島津藩を借金だらけにしました。まあ、ここではそんなことをいうところではありません。
 でも彼の死に篤姫が泣く気持は分かるつもりです。いえ、これは原作宮尾登美子の描く篤姫のことですよ。
 ただ私は井伊直弼は今でも少しも好きになれません。ただただことなかれ主義のどうしょうもない保守性の人でした。その保守性の中で開国していますのですね。
12082903 私の一番好きな詩は、「黒澤忠三郎『絶命詩』」ですがこれは桜田門外で井伊直弼をテロしたときの詩です。万延元年三月三日のこの日(実際には安政7年)のこのことを詠った『絶命詩』を私は70年安保闘争の6・23で埼玉大学のバリケードの中で、私も詠いました。もちろん、そのときに私のかぶるヘルメットは私だけの思想のものでした。

 でも私も自分の中学甲東中に行きたいな。

 4月28日の中学校の同窓会の時に、中学校訪問もありました。
 中学校卒業写真を校長室で見せて下さいました。 
 その時、君の写真を見たことを伝えておきます。
 そこには私のイメージにある君がいました。

 懐かしいです。でも私がもうあの中学へ行くことはないだろうな。

 君とは同じクラスにはなりませんでしたが、廊下や校庭で、
 二言三言話をしたことははっきり覚えています。
 君の薩摩弁ではない語り口からの知識に、少年の私は何か惹きつけられたのではと、今思います。

 私は言葉は、名古屋にけっこう長くいたのですが、名古屋の言葉は非常に汚くて大嫌いでした(私は秀吉とおねねが言い合いをしているともうひどい名古屋弁で言い合いしているさまが見える気になります)。だから、あの鹿児島で話す私の言葉は札幌のものじゃないかな(札幌も私には嫌な都市ですが)。

 君の好きな曹操、私も次第に彼に惹かれてきました。

12082904 曹操はいいですよ。歴史上の彼もいいですが、彼の詩は最高です。いえ、もちろん曹丕の詩もいいし、もちろん曹植もいいです。この三曹の詩は、私のこのブログでは大部分紹介していますが(一部まだやっていません。長すぎるのだと、どうしようかと悩むのですね)、そのうちにやります。漢詩は大変なのです。出てこない漢字があると(これはいくつもあります)、それをどの字に置き換えるかということで悩みすぎるのです(そしてその解説はしますよ)。

 ついでに、先日の同窓会には当時の生徒会長健一君も来て挨拶をしました。彼はお医者さんになっています。
 君と同じ高校に行った、秀才の女性も3人来ていました。
 MNさん、MYさん、SNさん。
 わかりますか。
 

 懐かしいです。あの生徒会長は熊本大学だったのじゃないかな。
 MNさん、MYさんは分かりましたが、SNさんって今では分からないのです。12082905

 そういえば、長春有情さんは69年70年のころは高田馬場や戸塚町にいたのじゃなかったかな。私も当時あそこらへんにいたので、懐かしいのです。今歩いても懐かしいです。私の今住む王子とは都電で今もつながっているのですね。

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 私の 周の漢詩入門「陶淵明『雑詩 其五』」に 則幸さんという方から、次のコメントがありました。

1. Posted by 則幸   2010年03月14日 11:12
お邪魔致します。コメントをお許し下さい。
 今朝物思いに耽っていましたら、不意に「何ぞ図らん人後の憂い」が浮かび、これは陶淵明の詩にあったものじゃなかったかなと、ネットで調べるうち、こちらに到った者です。真偽の程はどうなのでしょう。因みに、上の詩は、もう30年ほど前に出会ったもので、非常に懐かしく当時を思い起こしております。猛り狂う志などとは程遠く、思い浮かばない回路図と悪戦苦闘しておりました。息抜きに漢詩を読むことが、バランスと取ってくれていたのかもしれません。戯言を申しました。御容赦を。
 杜牧もいいですよ。唐詩選には載っておりませんが。
では、失礼します。

 うーん、私では判らないですね。陶淵明にはいくつもの詩があり、そして現在も残されていますが、その中にあるのかどうかも判りません。ちなみに漢文ではどう書くのでしょうか。陶淵明は、詩はほぼ一行は五言のみです。
 私では、こうして片言を書かれてもまず判らないです。
 杜牧は好きですよ。ついこの間は、杜牧の『烏江廟』*という詩を詠いました。そうすると、私よりもお年寄りの女性が、私にあわせて吟ってくれましたが、そのあと、私がまた詩たいました「黒澤忠三郎『絶命詩』」は知らないようでした。詩吟をやっていても、幕末の志士の詩は知らないようです。私は70年安保闘争において、大学のバリケードの前で詠ったものでした。

*ええと、この「杜牧『烏江廟』」はどうしてか、私のサイトで見られません。早急に見られるようにします。

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