将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:Mac

11100804  アップルの創業者のスティーブ・ジョブズ氏が亡くなりました。私はこのことで、この私のブログで何かを書きたい、書くべきだと思いながら、そのままになっていました、そもそも私はアップルコンピュータを使ったことがないのです。個人の方だとけっこう使っている方がいましたが、会社や個人の事務所でもほとんどなかったものでした。
 15年くらい前に、ある会社でアップルコンピータのみを全面的に使っているところを知りまして、そこの新ビル新事務所開きに行きましたが、そこの代表や、その関係の人たちのマウスを使うのを見て、「あ、これじゃまだ98を使うほうが操作が速いじゃないか」と誰もが分かる光景しか見られませんでした。
 ただ、私はiPodは、数年前にいつも持参していたものです(ただし、聞く曲は、常に詩吟と軍歌・任侠の歌でしたね)。でも今は、そのiPodもどこにいったのか、気になっているのですが、今は分かりません(そのうちどこからか出てくるでしょう)。
 ただ、このスティーブ・ジョブズ氏が亡くなったことでは、そんなMacとは縁がほとんどなかった私でもとても悲しかったものでした。
 それでも何も言うことばの見つからない私にも、このimajouさんの言われることには、うなずいてしまいました。

アップル社が自社ハードを捨て、MacOSをIBM互換機に乗せていたらどうなっていただろうか。もしその方向を採っていたら、Windowsの出番は無く、MacOSが完全制覇していたのではなかろうか。そうなっていたら、我々ユーザーも大きな恩恵を受けられた筈。Macと言うハードに固執したため、MacOSのシェアはMacに限られてしまった。

 そうだという思いしか出てきません。Macというと、その使い手は、いつもDosを馬鹿にしていて、そのあとのWindowsも同じく馬鹿にしていたものでした(そうとしか私には思えませんでした)。でもでもパソコンでは、それらの人たちは、私のような詩吟と軍歌しか歌えないような人間より、はるかにダメ(としか思えませんでした)でした。Macがいい、正しいということではなく、パソコンを絶対に人間のものにするようにかんばってほしかったのです。
 今私の孫のじゅには、入院しているところで、iPodで「アンパンマン」の曲やクラシックの曲を聞いています(私は詩吟や軍歌ばかり無理やり聞かせたりはしません)。今も今日もiPodで、素敵な曲を歌を聞いていきたいと思っています。

11091801 やはりきょう行きました私のクライアントでも、私の3歳下の社長が、パソコンをやらなくちゃという決意をしていました。もういろいろお話しました。ただ彼が使おうとしているのはMacなので、私にはよくは知りません。ただインターネットのことなどはお話できますから、今後もいろいろなことを聞かれるでしょう。
 でもそういえば、上の会社でも、私が本来きょうやり終えた仕事は、またパソコンとは別なことですよ。時間というよりも、なんだか頭を使っても使っても面倒な件で、結局は「こんなに考えてやるべきじゃないんだ、もっと単純にもっと簡単にやろう」との決意で、はじめて整理できました仕事なのです。 さて、いろいろなことを書いていかなくては、との思いだけで、そのままからまわりしてしまいます。やることが多すぎますね。

 さきほど偶然見つけた吉本さんの言葉です。(下の部分は私の言葉)

  もっとも多く沈黙しているのは「死者」たちである
 安保闘争の戦士たちは多く沈黙している。もっとも多く沈黙しているのは「死者」たちである。もっとも多く喋り、しかも、もっとも情報的にしゃべっているものは何であるのか。そして、もっとも多く弁解しながら、もっとも多くたたかわないのは何であるのか。苛酷な思想闘争の現実のなかで、撓やかな鋼のようなこころで自らの思想を屹立しえないものは何なのか。敗退と挫折の認識が情況の本源の奪取への思想的なたたかいとならず、安価な反射運動と安価な内向運動へと外れてしまむ所以は何なのか。もちろん全情況の挫折を認識しないのほほん者は論外である。
 わたしたちは追及し、唯一のか細い道を照らさねばならないし、それをわたしたちのみがするだろう。
「”終焉”以後」1962.10「試行」6号に掲載 「模写と鏡」1964.12.5発行に収録された

 60年安保の先輩たちも、私たちの時代も同じように思える。闘いもしなかった連中ほどしゃしゃりでてきて、嫌になるような空疎な言葉を連ねる。吉本さんがここにかかれたこととまったく同じ貌の連中がまったく同じように出てきたものである。だが私は今もそうしたことを忘れない。そして私たちがやらなければ、「もっとも沈黙している死者」たちを鎮魂することにならないのだ。

  これを見つけたのは、別な言葉を探していたときに目に入ってきました。なんだかこころに染み入るような気持になりました。そうだよな、俺たち誰もずっと沈黙してきたな、もう声をだすべきだなと思うのです。(99/02/23 02:30:39)

525ad3c6.jpg 小石川後楽園の画像を、いくつもUPしました。でもこうして一つのブログ記事のUPで、何枚もの画像を入れるのはかなり大変なのです。
 かなり自分の思うようにはレイアウトされませんから、あとで修正作業が実に大変です。
 そして実際には、自分がレイアウトしたとおりに、見ている方が見られているかというと、私にははなはだ自信がありません。とくにMacの方は、ずいぶんレイアウトが違っているかと想像します。でももう仕方ないんです。どうしたらいいのか、判断つかないのですよ。
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