将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:SHIROのポメラ日記

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 今、親や先生から「勉強しろ」と言われて、嫌だと思っているみなさんも多いと思います。
 そもそも、なぜ勉強しなければいけないのだと思いますか?

 これに私ならどう応えればいいのでしょか。私も懸命に考えてみます。そして、以下のように書いてあることで、私も自分で応えた気持ちになっています。

 勉強しなければいけない理由はいくつかあると私は思うのですが、一つは先の記事で書いたように、いつかは自分も「与える側」「創る側」になる、その準備のためです。

 そうですね。誰もがこうした側になるのです。なるべきなのだと思うのです。

 周りの人達、あるいは社会に対して「私はこんなことができる」「私がいることでこんなことが実現できる」と言える大人になれるように、いろいろ勉強してください。
 あなたも社会を創る人間の一人なのですから。

 私もかなりずっとさまざまなことであがいてきたものでした。そうしたことを、今になって披露しているのが、私のこのブログでもあると思っています。
 なんとか私も懸命にやっていきたいと考えています。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。しばらくレスを書いていませんでした。また再開します。

 子どものみなさんは、今は親や学校や社会から「もらう側」ですが、あと何年かすれば大人になります。大人になるという事は、周りの人に対して、あるいは社会に対して何かを「与える側」「創る側」になるということです。

 家や学校は、世の中にたくさんある場所の内の一つに過ぎませんし、そこの価値観は世の中の多くの価値観の内の一つでしかありません。例え家や学校でうまく行かなくても、社会の中には自分の居場所になるような所がたくさんあります。いろいろな場所に参加して、自分の可能性を試してみてください。

 うん、そうなんだよね。でも前に私が関係していたところでは、そういう場に来ていても、ずっと変わらない人も多いのですね。「世の中にたくさんある場所の内の一つに過ぎません」ということは理解できるのでしょうが、「いろいろな場所に参加して、自分の可能性を試してみてください」ということが、ずっと長期間できない人が多いのですね。そのことを知ってくると、絶望的な気持にもなってきます。

 ああ、いろんな出来事を思い出しました。でもこの「ずっと長期間できない人が多いのです」ということは大きなことですね。
 たくさんここで話したいことがあります。でもでも、やはりどうしても書けないなという気持になります。

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「特定電子メールを送らないで!」バナーを置きましたSHIROのポメラ日記 の斎藤さんから、次のコメントを頂きました。

1. Posted by 斎藤史郎    2009年05月31日 01:45
「SHIROのポメラ日記」の斎藤史郎です。
「特定電子メールを送らないで!」バナーを使っていただいて、ありがとうございます。
どれほど効果があるかわかりませんが、少なくとも合法的に迷惑メールを送られてしまうことは避けられるので、「特定電子メールは送らないで!」と意思表示することは大切だと思います。
本当は迷惑メールを出すような業者を取り締まる方が先なのですが…
なお、できるだけメールアドレスのそばに掲載するといいと思います。

 私は28日にこの斎藤さんのバナーを私のこのブログと私のホームページの将門WebのTOPに置きました。私のホームページはもうかなりなページ数なので、全部に置くのには、時間がかかるのです。この私のブログをすべてのTOPページにしたいのですが、もういつになったら統一できるでしょうか。
 それで、「できるだけメールアドレスのそばに掲載するといい」ということなので、すぐにここの「周へのメールはこちらへ」の上に置きました。私はこのメールアドレスでは、私に直接メールを送ることはできません。私のホームページでもそうなっているのですが、でもかなりなページ数があるので、全部は置き換えていません。
 こういうふうにしましたら、あるときにこのブログの「周へのメールはこちらへ」へに、「日本共産党○○県委員会」という名で、私を激しく怒るメールが入ってきました。もちろん、日本共産党とは関係ないことだと思いますが、間違いなく日本共産党のシンパで、私のことを激しく憎んでいる方のようです(日本共産党とは関係ない方なのは間違いありません)。ただ今の私のメールシステムだと、長い文章が書けませんので、2回に渡って連続して書いて来ました。
 あと私のfsinetとyahooのアドレスには、激しくスパムメールが入ってきています。そこから、転送され、私のGメールに入ります。だが、グーグルメールがちゃんと防衛してくれますから、ほぼ大丈夫です。
 ただ、一昨日こことホームページのTOPページに置いてからは気のせいかもしれませんが、そのスパムが減ったような気がします。毎日の何百という単位が100くらいに落ちてきたように思えますね。
 とにかく、斎藤さん、ありがとうございます。

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 私のこのサイト(http://shomon.livedoor.biz/)では、ここのサイドバーに、このバナーを置きました。私のホームページ(http://shomon.net/)でもTOPページに置きました。
 このバナーは、SHIROのポメラ日記

   http://d.hatena.ne.jp/shiro0922/20090525/p1 特定電子メールを送らないで!」バナー

によります。ここには、次のようにあります。

 自分のホームページやブログなどで、読者の問い合わせ用にメールアドレスを公開して、そのために毎日届く迷惑メールに困っている人も多いと思います。
 日本政府では、「特定電子メールの送信の適正化等に関する法律」(いわゆる迷惑メール防止法)を制定しています。2008年に法律の改正が行われ、オプトイン規制(相手の同意が無ければメールを送ってはいけない)が基本となりました。

 ところが、ここでSHIROさんも言われていますように、でもでも莫大な迷惑メールがそれこそ莫大に送られてきます。
 もう私が過去メインに使っていたアドレスは1日に100くらいのメールのうち98%くらいがスパムメールです。ヤフーのメールも同じです。でもそれぞれから、私は私のGメールに再送してまして、そこですべて削除されています。
 でもとにかく、効果があるか否かは別にして(たぶん効果はないでしょうが)、このバナーをはります。

特定電子メールを送らないで!

 とにかく、こうして広報しましたからね。迷惑メールを送らないでください。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 次のように書かれていることには、とても頷きます。

 一般に欧米人は、トーナメントのカップ戦よりも長期のリーグ戦を重視して、そちらの優勝者を「真の王者」と考えるそうです。ヨーロッパは陸続きの隣国同士で戦争をして、お互いに勝ったり負けたりすることを繰り返してきました。そんな歴史背景から、「互いにすねに傷を持つ身だし、生きていれば勝つことも負けることもある」といった認識があるのではないでしょうか。
 それに対して日本は、はっきり「負けた」歴史は太平洋戦争くらいなので、伝統的に「負ける」「失敗する」ことに慣れていないのかもしれません。

 フランスとドイツなんか、実に何度も何度も、戦争をしていますね。ドイツは、プロイセンとオーストリア含めて、一体どのくらいフランスと戦争を繰り返したのでしょうか。でも今は、フランスとドイツが軍隊も同じ隊列で行進しているのをニュース映画で見たことがあります。いやそれは、さらに、イタリア、オランダも、ポーランドも、イギリスも、デンマークもスエーデンも、ロシアも、スペインも同じです。米国も同じです。

 そして人生のリーグ戦は、一番最期の死ぬ時になって「いい人生だった」と自分で思えれば優勝なのです。途中の勝率は関係ないし、他の人がどう評価しようと関係ありません。ましてやメディアが言う「勝ち組」「負け組」なんて大きなお世話です。

 その通りです。余計なお世話です。でも、

 ちなみに私が住んでいる長野県は、「出身高校で人を見る」という悪しき伝統があります。その後の進路や経験などは全く関係無しに、「出身が○○高校」というだけでその人の「程度」を判断してしまう傾向があるのです。

というのは、実によく判ります。私は中学が鹿児島で、実にそのことが判ります。ばかばかしいことなのですが、でも今も今後も変わらないのじゃないかなあ。
 私は高校は入学したのが鹿児島で、卒業したのは横浜です。もう恐ろしいくらいに、凝り固まった考え(この出身高校に関することでも)の人ばかりな思いです。そしてこれは鹿児島がそういう傾向だというのではなく、横浜でも、そのひどさを感じますね。
 次に言われているように、みんなが考えてくれたらいいのですが、なかなかそうならないのですね。

 ですから、負けないこと、失敗しないことが大事なのではありません。勝ったり負けたりしながら、そんな自分の人生をどう大切に生きていくかが大事なのです。

 もう私はそういうふうに絶えず考えるようにしています。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 前回の記事で、あなた自身を大切にして欲しい、という話を書きました。
 同じように、あなたが「自分で考えること」も大切にしてください。
 今は情報社会で、テレビやマスコミ、インターネット上には大量の情報があふれています。でもそれらをそのまま鵜呑みにしないで、自分で考えて判断してください。

 この通りだと考えます。「自分で考える」ということがとても大切です。

 よく「みんな〜」「普通〜」「常識」などの言葉を使って、「みんなと違う」人の事を「おかしい」「ヘン」と言って、仲間外れやいじめにつながる事があります。

 私は大昔から、「みんなと違う人」でしたね。ずっと下着はふんどしだし(しかも今はずっと赤ふん)、酒飲んでいつも詩吟をやっていました。思えば、私はそれで良かったわけですが、孫たちはどうなるのかなあ。いつもじいじがいて、じいじが好き勝手なことを言い続けていくことでしょう。もうそれでダメって言われたら、じいじは大声で泣いちゃうからね。

 しかし、「みんな」「普通」というのは心の幻想です。なぜなら、周囲の全員にアンケート調査をして、100%の回答が返ってきた訳ではないからです。
 それなのになぜ「みんな」「普通」と言うかというと、自分で判断できないから、あるいは自分で責任を取りたくないからです。ですから、「みんな」「普通」というのは無責任な言葉なのです。

 その通りです。「私はこう思う」と言い切ることが大切なのです。私は子どものときから、ずっと一貫として、そうしてきました。私は子どものときから、ずっと引越ばかりしてきて、学校も転校ばかりしていましたが、まったく同じ姿勢でした。

 これを読んでいる人の中には、「おかしい」「ヘン」などと言われて、悲しいいじめにあっている人もいるかもしれません。
 しかし、あなたはあなたであることに価値があります。「みんな」と違っていたっていいのです。自分の考えを持つこと、自分自身であることを大切にしてください。
 いじめは、いじめる側が100%悪いです。あなたが悪いわけではありません。それだけは自信を持ってください。

 私は私の孫をいじめる奴がいたら、そいつを殺すかもしれません。これは当然の思いです。そういう思いで、ずっと生きてきたものです。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。今ごろになってしまいUP致します。

 さて、これまでは大人向けの話を書いてきましたが、今度は携帯を使っている現役世代である、子どものみなさんへのメッセージを書いていきたいと思います。

 昨日私は私の高校時代の友人から、葉書をもらい、その彼に携帯のメールアドレスを聞きまして、それでケータイメールしました。今後これで連絡を取り合います。もちろん、手紙も書くつもりですが、ケータイメールはとにかくいいです。多くの子どもたちが使っているのは当然だと思いますね。

 携帯の問題に限らず、これからのネット社会を生きていくために考えて欲しいと思うこと、これから大人になって社会を創っていくみなさんへの私の願いなどを書く予定です。
 「やっぱり大人は何もわかってない」と思われるかもしれませんが、読んでみていただけるとありがたいです。
 また、「子どもはこう思ってるんだ」といった、コメントや意見などをいただけると嬉しいです。子どものみなさんに何ができるかが一番大事ですから、私も勉強していきたいと思います。

 私には、今二人の娘夫婦と今は二人の孫がいます。きょうは千葉のマザー牧場でみんなで会います。やがて、この孫ともケータイメールで連絡取り合うのが嬉しいです。
 私は二人の娘には、保育園のときも、小学校、中学校、高校、大学のときも、いつも出かけていました。そして職場にも絶えず出かけました。私が知り合った限りの親にも、それを勧めてきました。職場の同僚たちともけっこう知り合いになっています。
 メールは使える先生方で、「でも私はケータイメールは使いません」なんていう先生に、「先生! 何を言っているのですか。大和時代じゃないのですから、『私は字を使いません』なんて言い張った人はみな滅びましたよ」と言って、「あ、私も使っていきます」と言わせてきたものでした。

 でも、あなたの人生はあなたのものです。あなたの価値はあなた自身が決めるものです。
 親や先生や友達が決めるものでは無いし、テレビやマスコミが決めるものでもありません。
 他の人が何と言おうと、あなたという人間はあなた一人しかいない、かけがえの無い存在なのです。
 まず、今ここにある自分を抱きしめて、大切にしてください。

 この通りです。だから私は私の娘もその彼も孫たちも大事にしていきます。

 先の記事にも書きましたが、自分を大切にする気持ちを思い出させてくれる本を紹介します。
 やさしい雰囲気のイラストと深い内容で、とてもおもしろい本です。ぜひ読んでみてください。

 パット・パルマ−「自分を好きになる本」
 パット・パルマ−「おとなになる本」
 パット・パルマ−「夢をかなえる本」

 この3冊は、もう読みました。ただまだ、「自分を好きになる本」の感想しか書いていません。ちょっと必死にやっても時間が足りない感じなのですね。いい本です。とにかく、今後もこの彼女の本を読んで参ります。

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 周の雑読備忘録「戸部けいこ『光とともに』1」SHIROのポメラ日記の斎藤さんから次のコメントがありました。

1. Posted by 斎藤史郎    2009年03月16日 21:58
「SHIROのポメラ日記」の斎藤です。
いつも見ていただいて、ありがとうございます。
「光とともに…」も読んでいただいたんですね。レディースコミックなので、周さんは手に取りづらいかと思っていたのですが、読んでいただいて嬉しいです。
私の日記の方では、以下のページで取り上げています。
http://d.hatena.ne.jp/shiro0922/20090222/
最近また「子どもと携帯電話」の続きを書いていますので、よかったら見てやって下さい。

 ごめんなさいね。このごろレスしていくのが遅くなってしまいました。これでも仕事もしているので、けっこう大変だったのです。きょうもいくつもあるのです。
 でもいつも貴ホームページを読むことは忘れていませんよ。
 あ、そうか。このページにあったのでしたね。そして私はそれへのレスを 「大人の皆さんへ:(8)怒る回数を減らすには?〈口で言うより紙に書く〉に書いていたものでした。
 私は子ども二人が女の子だったので、けっこう女の子の漫画は読んだものなのですよ。だから、

   http://shomon.net/manga/ 周の漫画館

には、いくつもそうした漫画のことを書いてあります。私二人の娘も、漫画を描いていたものでした。だから、私のこのホームページのバナーは、以下なのですが、そこには長女おはぎと次女ブルータスのイラストが入っているのです。
mangas このイラストを使って、二人はホームページを展開していたのですが、今は長女おはぎは、mixiをやっているだけですが、次女ブルータスは以下のホームページを続けています。

   http://members3.jcom.home.ne.jp/kanesayo0325/ I'm brutus

 ただ教員で忙しいのか、なかなか更新してくれません。
 でもね、今度20日に、家族8人で千葉のマザー牧場に行くのです。もうブルータスおばちゃんとナオキおじちゃんに会えたポコ汰とポニョは、どんなに嬉しがることでしょか。でも一番喜んでいるのは、私なのです。
 でも昨日、おはぎのところへ、ポコ汰と留守番をするために行ったのですが、長女おはぎから言われました。ちゃんと毎日散歩をしたらどうかということをです。それで、私もその気持になりました。きょうから30分から1時間の散歩をします。そうしないと、私はこのまま、「アル中に憧れるアル中」になってしまいます。

 それで今後もまたレスをさせてください。この「光とともに…」にも、1冊づつ借りて、今後私のこのブログで、その感想を書いてまいります。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 ここまで大人の皆さんへのメッセージをいろいろ書いてきました。
 これは携帯の問題に限らず、子どもの教育問題全体に関わるのですが、一番ベースにあるポイントは、

子ども達のために、大人がまず自立しましょう。

ということです。

 この「自立」ということは大事なことです。「自立」とは、私には吉本(吉本隆明)さんが言われたことに他なりません。私の「吉本隆明鈔集」から抜き出します(註)

自立
「前衛」的コミュニケーションの方法は、現代の「進歩」的末端にいたるまで採られている方法の範型である。これは、魚屋のおかみさんをオルグして母親大会につれてゆこうとする平和と民主主義者から、市民会議の地域的な結成をとく市民主義者まですこしもかわりない。
 もしも労働者に「前衛」をこえる方法があるとすれば、このような「前衛」的なコミュニケーションを拒否して生活実体の方向に自立する方向を、労働者が論理化したときのほかはありえない。また、もしも魚屋のおかみさんが、母親大会のインテリ××女史をこえる方法があるとすれば、平和や民主主義のイデオロギーに喰いつくときではなく、魚を売り、飯をたき、子供をうみ、育てるというもんだいをイデオロギー化したときであり、市民が市民主義者をこえる方法も、職場の実務に新しい意味をみつけることではなく、今日の大情況において自ら空無化している生活的な実体をよくヘソの辺りで噛みしめ、イデオロギー化することによってである。(「前衛的コミュニケーションについて」1961.12「先駆」1号に掲載 「擬制の終焉」1962.6.30現代思潮社に収録された)

「前衛」主義者や市民主義者はもう何年も何十年も変わりない。あいも変わらず、労働者や大衆をオルグする対象と考えて今もまた同じことをやっている。私たちの自立は私たち大衆が日々生活していることをもっともっと見つめることである。そして私たち大衆を大政翼賛の方向にまたもっていこうとする、数々の市民主義者とやらのやることを絶対に拒絶すること、徹底してコケにすることである。

(註)実は私は「吉本隆明鈔集」をこのブログでも続けており「吉本隆明鈔集ブログ篇」としています。それでそれをみな「吉本隆明鈔集」(略して「隆明鈔」)としたいのですが、もうまとめている時間がないのです。もうすべては、かなり膨大な量になっています。

 人間は子どもの頃は、親や学校や社会からいろいろなものを「もらう」立場です。子どもは大切に保護され、育ててもらう権利がありますから、これは当然です。
 そこから成長して「大人になる」ということは、今度は自分が周りの人達や社会に対して、何かを「与える」「創る」側になるということです。

 私は今も自分がそうした大人になれているのかははなはだ自信がありません。私は「与える」「創る」人間になれているのかなあ?

 次の『「行政はサービス業」から「市民協働」へ』を読んでみて、自分はどうなのかなあ。よくやれているのかなあ? そもそも判っているのかなあ? と自分にたいしてはなはだ疑問になります。

自分達も行政と共に地域社会を作っていくのだという「自立した社会人の意識」を持って、「自分達はこれをやるから、行政はこれをやってくれ」と対等に物を言わないと、一人前の「大人の意見」として聞いてもらえません。

 私もちゃんとした意識を持っていこうと考えたものです。思えば、私が選挙をやりだしたのも、前回の衆議院の郵政選挙からですからね。私はやっと一人の市民になれつつあるのかもしれません。

「子どもは携帯禁止」と言う方、もし携帯を取り上げられたら子ども達がどんな気持ちになるかわかりますか? そんな子ども達に、携帯の代わりに何をしてあげられますか?

「そんな、私なんて何もできないわ」と思うかもしれませんが、具体的に社会に対して何ができるか、何が創れるかは結果に過ぎません。「もらう側」ではなく、社会を「創る側」になる意識を持って動くことが大事なのです。例え大したことができなくても、次への踏み台として無駄にはならないでしょう。

 私はどうなのだろうと、いつも考えます。そうして、いつももう一人の自分に呆れられ怒られています。
 でも、私も変わらないといけないです。どんなことにも、ものを言い続ける姿勢は変わらずにやっていくつもりですが、でももっとしっかり確実に考え続け、そしてやり続けます。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

「『怒る回数を減らせ』って言ったって、子どもはいろいろ悪いことするし、そんなの無理だ」と考える大人の方もいることでしょう。
 そんなあなたのために、怒る回数を減らす、あるいは親子のコミュニケーションを変える、心理的なテクニックを一つ紹介しましょう。「私」ゲームと言います。

 私は二人の娘はそんなに怒らなかったかなあ。でも次女はとてもきかない子だったから、怒ったような気がしますね。だって、よその子どもに噛みついたりするのですから。一番の被害者はお姉ちゃんでした。
 私の妻は怒らなかったですね。そのことを今になってものすごく感心しています。

 このあとに書いてある、母と子の関係、その言い方やり方に、ものすごく頷いてしまいます。

 こうなってしまうと、親子の対話も何もないですね。不幸なコミュニケーションになってしまいます。

 こうなるのがすごく判ります。だから、この場合は大人である親が先にまともになるべきなのですね。

「こんなに遅く帰ってきて、あなた今何時だと思ってるの! あなたそれでいいと思ってるの!」
 このセリフで気がつくのは、主語が「あなた」であることです。主語が相手(子ども)なのです。
 相手を主語にして物を言うと、相手を責める言葉になりがちです。攻撃になってしまうのです。
 そこで、主語を「あなた」から「私」にしてみます。

「こんなに遅く帰ってきて、私心配しちゃったわよ」
「私」を主語にすることで、相手への攻撃ではなく、素直な自分の気持ちの表現になっています。気持ちと行動がちゃんと一致しています。
 これなら子どもの方も、「ああ、そんなに心配してたんだ」とお母さんの気持ちをそのまま受け取れますから、
 「ごめんなさい」
と素直に謝る事ができます。

 これで、「なるほどなあ」と感心してしまいました。

   そしてそのあとの「パット・パルマー」の絵本は、図書館に予約しました。でも、「ネズミと怪獣とわたし―やってみよう!アサーティブトレーニング」はないのですね。他のはありましたから、みな読んでみます。

 また、これまで何度も挙げている吉田賢治郎さんのブログ「けんじろうとコラボろう!」では、以下の実践が紹介されています。

  お父さんの「独り言ブログ」〜怒らない子育ての実践

 ある一家のお父さんが、家族だけが見られるブログ上で、奥さんや子どもに対して自分が思っていることをいろいろ書きこんでいます。これはまさしく「私」ゲームと通じていると思います。子どもを怒って攻撃するのではなく、自分の気持ちをそのまま表現して伝えているからです。きっといい家族になれることでしょう。

 この吉田賢治郎さんのブログはいつも拝見しています。いいお父さんですね。そしていい奥さまと子どもたちです。そしてそのことをそのまま書いてくれていますいいブログです。

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09022506 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 いつも私は斎藤さんのブログのUPについて、何か書いてきました。いや、私も「教育」ということには拘わりたいと思ってきたものなのですね。
 大学は埼玉大学の教育学部で、専攻は中学課程の社会科でした。専門は東洋史でした。でも私が入学したのは1967(昭和47)年で、激しい学生運動の時でした。だから当然私は活動に身を投じました。ただし、私はマルクス主義はまったく認める気持はありませんでしたから、その私の主張をしつこく述べていました。
 でもとにかく、東大闘争の69年1月の安田講堂で逮捕起訴され、8月21日に保釈なりましたが、すぐに9月19日の芝浦工大殺人事件ということで、12月10日再び逮捕起訴されました(ただし、この事件の真相は殺人でもなんでもありません)。
 だから、そのせいで、私は卒業後(6年かかって卒業しました)、どこかへ就職するのにも、この経歴が影響しました。
 でも、ちゃんと警察等の情報を調べない企業は、私をやとって、また強烈な労働組合を作られ大変だったようです。
 でも、もうずっとどこにも就職もできない形をずっと続けてきました。でも別に、だから面白くない、とか不満だということはありません。いろいろな職に就きましたからね。
 ただ、教育には関わってみたいという思いは、ずっとありました。
 思えば、その私の思いが二人の娘が教師になることにつながったのかな、と思っています。私はいつも二人の娘の勤めた学校へは行っています(いや、他の姪の子どもたちのところも行っていますが)。
 この斎藤さんが書かれている内容は実によく読んで、そしてたくさんのことを感じています。

 私がいる情報センターでは、子ども向けのイベントでパソコンを使った工作物を良くやります。
 例えば、電車の型紙にパソコン上で色を塗って、プリンターで紙に印刷し、はさみで切ってのりで貼ると、自分のオリジナルの電車ができ上がり。無料でやることもあって、家族連れに人気があります。
 ところが、子どもがパソコンの前に座って喜んで色を塗り始めると、隣に座っているお母さんが突っ込みます。

 「なんで窓に赤塗るの? おかしいじゃないの」
 「なんで髪の毛が青いの? 違う色にしなさいよ」

 しぶしぶ子どもは、お母さんの言うとおりに色を塗ります。私がそれを印刷して「はい」と手渡しても、その子はもうやる気を失っています。結局「やだ、お母さんやって」と工作の途中で放り投げてしまい、「自分でやりなさいよ」とお母さんが文句を言ってケンカになったりします。
 私はそんな様子を見ていて、「何で親の価値観を子どもに押しつけるのかな」と思います。

 私も、「窓を赤く塗る」のも好きだし、「髪の髪を青く」描いてしまう子も好きになれます。そういうことを、「君はそういう風に見えるんだね」てか、「そういう色をつけたいのね」と言えないのでしょうか。私も長女が小学校の図工の先生ですから、私は最初に授業参観に行ったときに、とっても面白い授業が展開されていました。私はそのときは、妹のブルータスと一緒に行ったのでしたが、私は決して自分の身分を子どもたちには明かしません。でもブルータスが妹だと判って、子どもたちはみな大騒動になったものでした。
 思えば、そういうことが懐かしいです。妹も最初は文京区の小学校で、臨時採用で、ある子のことをみていたのですが、私はいつも運動会や音楽会に出かけるのが大変でした。いや下手をすると、私は見ているときに、私の目に涙が溢れてしまうのです。それはまずいでしょう。
 私はいつも自宅でも会社でも、電車の仲でもパソコンを使ってきました。もう50台くらい使ってきたのかなあ。これがいいことだったと思いますよ。

 そもそも、芸術は自由なものです。絵を描く時も、そこに無い色を塗ったっていいし、そこに無いものを描いたっていいのです。例えば名画と言われる風景画でも、実際の景色と見比べると全く違っていたりします。現実そのままでいいのなら絵など描かずに記録写真を撮ればいいのであって、自分の描きたいもの、表現したいものを織り込むからこそ「その人の絵」なのです。
 子どもが「この色を塗りたい」と思うなら、怒ったりしないでその通り塗らせてあげればいいじゃないですか。

 たった今、私の長女おはぎのmixiを読みました。ポコ汰が描いた線画がそこにあげてあります。「え」という題名のUPです。おはぎは、次のように言っています。

「魚」らしい。まだ目を描いたり口を描いたりはしないけど、やっぱり子どもの描く線はいいな。どんどん「何か」を描けるようになってほしいけど、「何か」を描けるようになったら「何か」しか描けなくなるんだな・・・、と思うと淋しい。今の彼の内から出る形や色を大切に見ていきたいな。

 そこに大学時代の友人のくぼっちが次のようなコメントを書いてくれています。

本当に大人には勝てない。
あの自由な線。
思いがけない形。
いいよね。ほんとに。。

 このくぼっちも、とってもいい娘です。なんだか、思えば、もう何年も会っていませんね。

 私のポコ汰は、もういっぱいお喋りします。でも実は、私は彼が何を喋っているかよく判りません。言語がポコ汰語なんですね。
 私の長女は、小学校の図工の教員です。だからいっぱり子どもたちの作品をみています。私なんか、長女の小学校へ行って、作品展を見ると、ただただ感激していますよ。

 そこで親が自分の価値観を押しつけて変えさせてしまったら、結果として「いい作品」ができたとしても、それはもう子どもの作品ではありません。親の作品です。
 情報センターでなぜ工作イベントをやるかと言えば、「子ども達に、パソコンを使えばこんなことができるのだと知って欲しい」「自分の手で作品を作ることを楽しんで欲しい」といった願いがあるからです。できた作品の善し悪しは結果に過ぎません。
 どうも、その「結果」ばかりを追い求める親が多いように思います。学校の夏休みの工作などで採点・評価されることに慣れてしまって、「無条件の肯定」の目を持てなくなっているのでしょうか。
 工作した「物」ではなく、工作をする「体験」が子どもにとっては大事なのです。親の方が結果ばかりを追い求めて、大切なものを失っている気がしてなりません。

 まったくその通りです。大切なものは、子どもたちが自分の中からわき上がってくるもので、それを表現することなんです。

 もう一つ、時々ある家族の風景ですが、泣いてしまった子どもに対して、

 「そんなに泣いていて恥ずかしいでしょ。みんな見てるよ」

と怒るお母さんがいます。
 そんな姿を見て、私はつい突っ込みたくなってしまいます。
 「いやいや、『恥ずかしい』と思っているのはお母さんですから。子どもじゃないですから」
 どうも見ていると、「自分が感じることは、子どもも同じように感じるはずだ」と思いこんでいるお母さんがいるようですね。
 親と子どもは全く別の人間です。自分の気持ちは自分のものであって、子どものものでは無いのです。そこはちゃんと区別しないといけません。
 そして、「みんなが見ているから」と子どもを叱っていると、子どもは「じゃあ、見られていなければ/自分だとバレなければ何をしてもいいんだ」と学習してしまいます。学校裏サイトなどの掲示板で、匿名の書き込みでネットいじめをしてしまう原因の一つがここにあります。
 見られていても、いなくても、正しい事は正しいし、いけないことはいけないのです。それを子どもにちゃんと伝えないといけません。

 私もよく泣きます。テレビをみていてもよく泣いていますね。これは私はもう大学生のころから同じです。私は子どものときには泣かなかったものでしたね。

 子どもに怒る前に、一歩立ち止まって、「本当に怒るべき事か?」と考えてみてください。
 「本当に怒らなければいけないこと」と「自分の価値観に過ぎないこと」とを区別しましょう。
 例えば、人を傷つけたり、人の物を盗んだりするのは、本当にいけない事ですからちゃんと怒らないといけません。
 しかし、「どんな色を塗るか」や「服装」「物の使い方」などは、人の好みや価値観、文化などによっていくらでも変わるものです。絶対的な善悪ではないのです。
 親が自分の中でちゃんと区別していけば、不必要に怒る回数は減っていくでしょう。

 このことを、私も誰にも大きく言っていきたいです。

 今度ポコ汰と会ったら、また私にもいっぱいに何かを描いてもらいます。じいじに会うと、やはりポコ汰は嬉しいようです。それを知って、まずます嬉しくなっている私です。

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09022502「大人の皆さんへ:(9)怒る回数を減らすには?〈時間割りを作る〉」斎藤さんが以下のコメントをくれました。

1. Posted by 斎藤史郎    2009年02月24日 23:55
「SHIROのポメラ日記」の斎藤です。
いつも親切なコメントをありがとうございます。
周さんは夜間中学で教えられていたのですね。そんな経験豊富な方にていねいに取り上げていただいて、かえって恥ずかしい思いがします。
夜間中学と言うと私が思い出すのは、山田洋次監督の映画「学校」と、夜間中学存続運動をしていた高野雅夫さんのことです。
実は私は高野さんと面識がありまして、と言うより息子の生くん・大くん兄弟と付き合いがあります。
東京で過ごした学生時代に、大くんが編集長、生くんが事務担当で作っていた”十代が創る十代のための雑誌”「ヒストリーズラン」の編集スタッフを1年間やっていました。
「ヒストリーズラン」の思い出は、個人ホームページの方で書いています。よかったらごらん下さい。
http://homepage2.nifty.com/shiro_/zakkan/16.html
当時十代だった私にとっては、とても大きな体験でした。
その編集部で、雅夫さんともいろいろ話したものでした。僕らは親しみを込めて「ガフさん」と呼んでいましたが。
その後Uターンして東京から離れてしまってご無沙汰していますが、最近、雅夫さんと大くんの親子で「父の遺書、僕たちの新書」を出しています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4788090244/

 いえいえ、私はパソコンの授業を毎月1回、7年間やっていただけです。私の友人の和尚さんという人と二人で、カリキュラムを作ってやり続けました。私の作成した自作パソコンを置いて、それでやっていたものでした。
 このパソコンでパソコン通信をやるのに、最初の最初は携帯電話でやっていたものでしたが、お金がかかりすぎるので、PHSを手に入れたものでした。
 それで最初は、netmeetingをやっていたものです。南米や米国やロシアやタイの方とお喋りしたものです。カメラを使うと映像もみられますが、これは少し危険でした。相手の人がいきなり脱いでチンチンを見せびらかしたりするからです。授業で見せられないよね。
 私の長女もまだ高校生でしたが、来てくれたものでした。

 でも、夜間中学というのは、最初の最初は実際に「字が書けない」、「字が読めない」人が来ているところだったのでしょうが、私が関わった頃は、中国残留孤児の方が日本語を習うところと、そして一番多くなったのが、不登校の子どもたちの学びの場だったのです。次第にその子たちが増えていきました。
 その不登校とは、みな「いじめ」により、学校へ行かなくなった子たちです。そしてそれは中学・高校だけでなく、小学生も増えていきました。だから小学生も来ていましたよ。
 私は松戸自主夜間中学校を主宰されている藤田恭平先生を尊敬していました。だから、自分の授業以外でも、できるだけ、ここの行事へは参加していました。

 でも私がやがて不満になったのが、ここが、どうしても「日本国憲法擁護」「現在の自民党政権批判」等の主張が大きかったことです。私はそれがだんだん不満になって来たものです。
 若い子から私のことを、「この人は昔は新左翼だったかもしれないが、今は右翼だ」という声を露骨に聞いたものでした。私は若きときから、一貫として同じ主張です。私はマルクス主義には与したことは一度もありません。でもどうして、そんな自分の主義思想が、この松戸自主夜間中学校の運動と関係あるのでしょうか。

 山田洋次監督の映画「学校」も見ましたよ。いい映画だとは思いましたが、どうしても現実とは違います。実際に今の公教育の現場である「いじめ」から逃れてきてしまう子どもらのことは描いていません。

 高野雅夫さんは、何年か前の5月3日の憲法記念日のときに、松戸自主夜間中学校に来てくれました。私は何か質問をして、高野さんが、「今は答えられませんが、後でお酒を飲みながら話しましょうか」と言われたかと思っています。肝心の私の質問の内容は忘れてしまいました。
 その他、くだらない質問はしましたね。「写真に写っている頭に冠っているのは、ヘルメットか、そして黒ヘルか、どうしてなのか」なんてことをでしたね。もう私の個人的な興味だけでした。

 私はとにかく、できるだけ多くの方たちが、パソコンを使って、よりいい学校を造って欲しかったつもりでした。でもでも、残念なことに、多くのスタッフの方も、子どもたちも、少しもパソコンには興味がなかったようです。このことは、もう大変にがっかりする思いばかりでした。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 私は情報センターで、子ども向けのセミナー(「上田萬画大学」「サマースクール」など)の企画・運営を担当しています。
 私のこれまでの経験ですが、子ども達は

 「今、何をしなければいけないのか」
 「いつまでにしなければいけないのか」

の2点がはっきりしていないと、セミナーの途中で確実にダレます。やる気を無くし、こちらの言うことを聞かなくなります。
 それを防ぐために、私はセミナーのテキストに必ずスケジュール表を入れます。そして最初に「今回のスケジュールはこうなっています」と全体の流れを説明します。

 これはいいことを教えてもらいました。でもこれは子どもではない、大人にも必要ですね。ただ子どもには、より必要だと感じました。
 今は子どもたちとは接することがない私ですから(私は昔進学教室を長くやっていまして、また松戸自主夜間中学校でも長く教えていました。いやねえ、私はその他にもいろいろなことをやってきたのですね)、少し寂しい思いですね。これからは、子どもというと孫に接するしかないのかなあ。いや、孫だけではなく、多くの他の子どもたちにも接するつもりでおります。

 子ども達は学校生活で「時間割り」に慣れていますから、家庭でもぜひ応用しましょう。

 ああ、なるほどなあ、と思いました。

 (余談ですが、子育て中のお母さんが子どもに一番言う言葉は「早く」だそうです)

というのは、よく判ります。ただ私の妻はそんなことはなかったかと思います。私はどうなのかなあ。私はそんなことはないつもりなのですが、自分ではよく判らないですね。

 そのあとに書いてあることも私は感心して読んでいました。これは大切で大事なことを教えていただきました。
 これは、私はまた自分の子ども、自分の孫ともちゃんとやって行きたいと思っています。こうして、実際に計画を手で書いていくことがいいのですね。思えば、それはケータイでもパソコンで書いてもいいのでしょう(だろうと思います)。
 私はこのブログで、「わが家のお母さん」ということを書いていますが、あれは私が実際に義母をみてくれるところへの「連絡帳」に書いていることです。私はそこに、私の撮った画像も載せているのです。もうそれが手書きで書いたら、私は大変なことですよ。
 私は二人の娘が保育園に行っていたときには、この「連絡帳」には、ほとんど書きませんでした。もう手で書くのがとても嫌だったのです。
 今度4月から、私の二人の孫も保育園へ行きます。そこには、私じいじがいっぱい書いていくようにします。パソコンとデジカメを使えばいくらでもできますよ。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 前回の記事で「受容(無条件の肯定)」という話を書きましたが、実際は私達大人は子どもに対して「〜しちゃダメ」と怒ることが多いです。
 もちろんちゃんと怒るべき時は怒らないといけないのですが、怒る必要の無い場面も結構あるように、私は思います。
 どうやったら怒る回数を減らせるのか? ちょっと考えてみましょう。

 私も娘たちのことを決して怒らないようにしてきました、と言いたいところですが、でも間違いなく私では無理だったと思いますね。それに比べて、私の妻は子どもたちのことを決して怒りませんでした。考えてみれば、「怒るべき時」というのは、子どもたちのときには、見出せない感じだったのですね。だから今私は孫のときは、そうした妻の姿勢を習うようにしているつもりです。

たくさんの子ども達を引率する先生を見ていると、「早く集まれ!」「騒ぐな!」などと怒ったり怒鳴ったりしていることが多いです。こちらから見ていて、「そんなに怒る必要無いのにな」と思うことがあります。

 これはよく判ります。でも怒ったり、怒鳴ったりすることも必要に思えてしまうことが多いのでしょうね。私は進学教室で、実にたくさんの子どもたちと接しました。私がトップでしたから、私が出ていったときには、子どもたちをちゃんとさせないとまずいのでした。

 つまり、怒らなきゃいけなくなるのは、大人側の準備が足りないのです。子どものせいではなく、事前にそうした資料を準備していない大人のせいなのです。
 逆に、大人がちゃんと事前準備をしていれば、子どもを怒る回数はかなり減らせます。

 そうですね。「かなり減らせる」はずですね。でもね、思い出すと、男性でも女性でも子どもに何故かなめられちゃう先生もいるのです。たぶん、教員には向いていないのだと思いますよ。私の二人の娘は小学校の教員ですが、その授業を見学に行くと、実によくやっています。次女ブルータスなんか、優しい先生だけど、何かのときには恐い強い先生にもなる、ということを生徒たちはよく判っていると思いますよ。

 でも次の自閉症児のことは、私も初めて知ったことでした。

「自閉症」と言うと、漢字の字面から「自分の殻に閉じこもっている精神状態」と考えられがちなのですが、それは全く間違いで、先天的な脳機能障害で起こる病気です。

 自閉症の子どもとはいくつも触れ合う機会がありました。でも私はよく判っていなかったのでしたね。

 例えば教室で先生の話を聞く時、私たちの目には、話す先生以外にも、教室の黒板、天井の蛍光灯、前に座っている人の頭、窓の外の景色など、様々な物が見えています。しかし私たちの脳は無意識の内に高度な処理をして、「今一番注意を向けるべきなのは、話している先生だ」と選別して、他の不要な情報を捨てています。
 ところが自閉症の人は、脳の中でそれらの情報の受信や選別がうまくできないようで、何に注目していいかわからずに混乱してパニックになったりします。
 最近の研究で、自閉症はこのような先天的な脳機能障害で起こる病気だとようやくわかってきました。親の子育てや、テレビやゲームのせいで自閉症になるわけではありません。たまにそのように書いてある本がありますが、全くの間違いです。

自閉症はこのような先天的な脳機能障害で起こる病気だ」ということは、私はまったく知らなかったことでした。

 話が長くなりましたが、そんな自閉症の子どもとうまくコミュニケーションを取るには、「話し言葉」より「書き言葉」が有効です。
 「光とともに…」でも、幸子さんは壁の時計の下に「8時」を指した時計の絵と、保育園へかぶっていく帽子の絵を貼り、その絵を指さして「8時です。保育園へ行きます」と光くんに伝えます。口で言うだけでは伝わらないのですが、絵と時計を目で見比べることで、光くんにも「保育園へ行く時間になったのだ」とわかります。
 最近は自閉症の人などに向けた、絵と音声を組み合わせてコミュニケーションを補助する「VOCA」(音声出力型コミュニケーションエイド)と呼ばれる機器が出てきています。例えばこちら。
 そして、携帯電話をVOCAとして使うサービスもあります。携帯のカメラで写真を撮って、それに関連した文字を入力して、画面に写真を表示しつつ音声で読み上げるものです。
 病気や障害を持つ人にとっては、携帯も有用なツールになります。

 これは実に私には大切で、いいことをお聞きできました。「書き言葉」が有効と言われても、私のようにまともに字がかけない人間には、でもケータイを使えるのならいいですね。このことは私は初めて知ったことですが、実に嬉しいことです。

 まとめると、子どもに何か指示を伝えるには、口で言う「話し言葉」よりも、絵・文字・図・表などの「書き言葉」をできるだけ使いましょう。紙でもホワイトボードでも構いません。
 準備するのは大変かもしれませんが、その分子どもへ怒る回数を減らせます。スケジュール表や図をせっせと作る方が、子どもへガミガミ怒るよりも、親もストレスにならないでしょう。

 私が松戸自主夜間中学校というところで、約7年間パソコンの授業をしていました。不登校児が何人も来ていましたが、自閉症の子どもたちも何人かいました。もう学校へは、他の子どもたちにいじめで行けなくなってしまっているのです。
 その子たちにもパソコンの授業というのは良かったのだなあ、と思いました。パソコンは文字だけではなく、絵や写真をすぐに見ることができます。もちろん、文字も表も見ることができます。
「じっとそこへ座って黒板を見る」というようなことが苦手な生徒たちです。でも、みなパソコンの画面は、誰も興味深く見つめていてくれたものです。思えば、あのときに、斎藤さんのこのような報告を私が読んでいられたら、もっといろいろなことがやれていたはずだったのですね。

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09022201 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 家庭や地域社会での具体的な対策についていくつか書いてきましたが、ここでベースとなる心の問題に戻って少し書いてみたいと思います。
 私は趣味で心理学やカウンセリングの勉強をしているのですが、カウンセリングの理論の中で、「純粋性」「共感」「受容(無条件の肯定)」という言葉があります。

 自分の子どものことが、どんなに好きでも、その心が判ることはなかなかできません。いつもそのことを考えてきていたものでした。

(1)純粋性
 子どもに対する時に、自分の中で嘘をつかないことです。 例えば、大人の都合で言っているのに「あなたのためよ」とすりかえてしまわないことが大事です。
 「勉強しろ」と子どもに言う親は多いですが、それは何のためでしょうか。「あなたの将来のため」と言いつつ、自分が老後に支えてもらうためだったりしませんか?
 大人の中のこうしたすりかえは、子どもは敏感に察します。

 この「すりかえてしまわないこと」というのは大切ですね。そしてこういう大人の傾向はものすごくどこでも見てきています。でもでも自分の私もすりかえてきていたことを感じなければならないと思っています。

(2)共感
 子どもが感じている感情や、今の心のありようを、大人も一緒に感じていくことです。例えば子どもが「つらい」「大変だ」と言えば、まずは同じようにその気持ちを感じてみましょう。
 大人から見たら「何だ、そんなこと」と思うようなことでも、子どもにとってはとても辛く、大変なことがあります。本人が感じていることが、その本人にとっては真実なのです。(「心的現実」と言います)
 完全に子どもと気持ちがイコールである必要はありません。「共感してくれている」「一緒にいてくれる」大人の姿勢が子どもに伝わるだけでも、信頼関係を作る大きな意味があります。

 このことは、自分は子どもたちの気持を感じとることが出来ていたのかなあ、と考えてみます。いや出来ていたのかは、実際には判りません。でも感じとろうとはしていたと思っています。それにしても私はにぶい親父だったから、子どもたちには伝わっていなかっただろうなあ、と思っています。
 でもこれからでも、そして孫の場合も今こそこういう姿勢を持っていきたいと考えています。

(3)受容(無条件の肯定)
 子どもの話の内容、感じていることなどを、無条件に尊重して受け入れていく、という態度です。「そんなのおかしい」「普通は〜」などと否定せずに、まずは子どもの話を聴いて受け止めましょう。
 例えば、携帯メールをしょっちゅうやり取りしている子どもは、大人の目からは「おかしい」「変だ」と見えるかもしれませんが、子ども達にとっては「やりたい」「必要だ」と思う気持ちがあるのです。大人の価値観で否定した所で、その気持ちが無くなる訳ではありません。
 「メールなんてしてるあなたはダメだけど、やめたらOk」「テストで○点取ったら○○を買ってあげる」などは「条件付き肯定」で、子どもは「本当の自分をわかってもらえない」「受け止めてもらえない」と感じてしまいます。
 あなたは自分の子どもを愛していますよね? それは「顔が可愛いから」「成績がいいから」「自分の言うことを聞いてくれるから」といった「条件付き」ではないはずです。自分の子どもだからこそ、無条件で愛しいものでしょう。
 現実社会に出れば「働きが悪かったらクビ」といった「条件付き肯定」ばかりです。せめて自分の子どもには、無条件に受け入れてもらえる幸福を、子ども時代に十分味合わせてあげましょう。心の拠り所になる幸せな子ども時代があってこそ、厳しい現実社会に耐えられる大人になれます。

 ケータイメールはそれこそ私からやっています。今は手紙もたくさん書いています(ただし、この2月は誰にもあまり書いていません)。孫にも、手紙もケータイメールもたくさん出していくつもりです。もちろん、姪にも甥にも、たくさん書いていきます。そのさらに子どもたちにも書いていきます。そしてもちろん、多くの友人たちにも書いて行きます。

まとめ
 もちろん、上の3つは理想であって、実際に子どもの前でその態度で居続けるのはなかなか難しいことです。
 しかし、「できない」と開き直ってあきらめるのではなくて、やはりその理想を意識して、それに向かって努力しないといけません。子育てに迷った際に、向かうべき方向を示すコンパスになるのではないでしょうか。

 うん、こんなふうには行かないよな、とは思います。でも「その理想を意識して、それに向かって努力しないと」と自分に言い聞かせます。いや、もう私はいっぱいメールも書くし、和紙の手紙もいっぱい書きますから、どんどんとやって行きます。「あの大おじちゃんは、いつもパソコン・インターネットをやっているから、こんなにメールや手紙を書いてくるんだな」とみな判ってくれるでしょう。
 それにまた今度の連休には、次女の家のほうに長女家族みんなと行きます。いや連休にならないと、みなの都合がつかないのです。でもそのときには、私の孫二人は、もう保育園に行っているときなのですね。
 その連休にときに、私のポコ汰がブルータスおばちゃんにどんなお話をしてくれるのでしょうか。今からそのことが、そのお喋りを聞くことが、待ち遠しくてなりません。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 ポメラの天板は、六角穴の小さいネジで留まっています。近所のホームセンターで小型六角レンチのセットを買いました。この内の1.5mm径のレンチが合います。

 このUPは、上のように書かれていて始まります。私もこのセットを手に入れてやってみようかなあ、と少し思いましたが、でもでもやっぱりやり切る度胸がありません。
 思えば、私もパソコンは13台自作したのですが、あれはそんなに難しくはなかったですからね。各パーツをいろいろと選ぶのがけっこう大変でした。とにかく、秋葉原の隅から隅まで歩いて、安いパーツを集めたものでした。
 でも、斎藤さんが書かれているのは、けっこう易しそうに書いてはあるのですが、そして刺激は受けるのですが、でも私は践みきれないなあ。
 でもでも、私には仕方ないです。
 いい刺激をありがとうございました。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 学校のクラス、地域の子ども会など、子ども達が集まる場で、携帯やネットについてみんなで話し合う機会を持ちましょう。

 あ、これは大切だなあ、と思いました。自分だけでなく、同じ年代の子どもや大人とも話すと別なことが見えてくるはずです。

 携帯メールは自分一人でやるものではなく、友達みんなでやるものですから、自分一人だけ違う事をする訳にはいきません。みんなで話し合って、意識を共有する必要があります。

 そうですね。みんなでうまく話し合えればいいですね。ただ私の子どものときの思い出ですと、私は転校ばかりしている子どもでしたから、あまりうまく話し合えた思いはないですね。
 私は鹿児島では、東京の人間だと思われていました(これはまったくの誤解です。私は鹿児島の前は名古屋で、その前は札幌でした)。そして鹿児島のあとは横浜の高校に転校しました。でもここも実に不可思議な人たちが多くて、私のことを田舎が鹿児島だと、この今も思い込んでいる同窓生がいます。ホント馬鹿じゃなかろうか。

 私は出前講座「子どもと携帯電話」で地元の小中学校へも行くのですが、最近は「学校へは携帯持ち込み禁止」としている学校が多く、どうも現場の先生は「禁止している物について話はできない」という意識があるようです。

 学校の先生のこういう言い方って嫌になりますね。拳銃とか日本刀を持ち込むのとは違うでしょうが。

 フォーラムの内容については、「Internet Watch」の連載記事「10代のネット利用を追う」で、高橋暁子さんの詳しいレポートがあります。

 これは私も拝見しました。いいレポートですね。

 このフォーラムの中で、「みんなで話し合う」事例として、東京都大田区立大森第三中学校の大山圭湖先生の発表がありました。大山先生の実践について詳しい記事はこちら。

 この記事も拝見しました。
 でも今の子どもたちは、ケータイばっかり使うのですね。パソコンだと「変換ができないから」というのが驚きました。私は「漢字変換なら、自分で登録すればいいだろうに!」なんている段階ですからね。あ、そうか。ケータイならパソコンよりは便利な変換といえるのかもしれませんね。私は「諸葛孔明『出師表』」をいかにすぐちゃんと打てるかなんていうことばっかり考えている漢字変換ですから、この子どもたちとは違いますね。

 ただ「携帯禁止」と上から押しつけるのではなくて、このように子ども達自身で話し合って考える機会を持つのが大事だと思います。仮に「このクラスでは携帯禁止」と決まったとしても、大人から言われたルールと、自分達で話し合って決めたルールは全然違います。

 これは大切です。だから、大阪府知事のように、上から決めてしまうようなことが一番だめです。あれでは、多くの大人が、「じゃ、私はやらなくていいんだ、私が考えなくていいんだ」となってしまいます。大人でケータイメールが打てない人は、ただそのままになってしまいます。そういう大人は、ただやたらに電話をかけるだけです。どんな場所、どんな時間でも携帯電話にかけます。どんなに迷惑なことでしょうか。
 私はそういう大人を随分見てきました。「そんなに電話ばっかりをかけないで、メールしなよ。相手は携帯電話では、出られない電車の中とかかもしれないじゃない」と、言ったものでしたが、でもなかなか理解できないのですね。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 そのライブラリの中に「子供の四季」という記録映画があります(1958年 岩波映画製作所)。南佐久地方の農村を舞台に、子ども達が地域の伝統行事の主役となって活躍している姿が描かれていて、とても興味深いです。

 私は『子供の四季』を見て、「あれ、坪田譲治、善太と三平だよなあ」なんて思い出していました(あ、『子供の四季』と『善太と三平』は違う作品ですが、私はもう一緒に甦えるのです)。
 それでインターネットで見ました限り、この記録映画は坪田譲治とは関係ない映画のようです。

 子ども達のために、地域社会でも子どもの「居場所」「つながり」を作りましょう。
 具体的には、伝統行事、子ども会・育成会、クラブ活動など、子どもが地域社会に参加する場をたくさん作ってください。
 現実社会で様々な人間関係や活躍場所ができれば、ネットにむやみに「居場所」 「つながり」を求めなくても、子ども達は落ち着いていられるようになるでしょう。

 ええと私は、自分の子どもたちとは常に関係を持ち続けました。保育園の行事はほぼすべて関係しましたし、娘たちが従姉妹たちと関係したイベントはみな参加してきました。だから弟の娘たちの関係の運動会等々にもいつも参加していました。だから、私の姪(兄の娘)の二人の息子の運動会等々もいつも行くようにしています。
 でも実は、私はその運動会へも、前日そして当日大量に飲んでいますから、私は当日の朝必死になって、新宿ゴールデン街から運動会の小学校の門へ到達したものでした。そして場所取りをして、そのあとそこで横になって寝ていたものでした。
 今でも、姪の息子たちは、「やっぱり、あの叔父ちゃん(実は大叔父)が来た」と思っていることでしょう。だから、こういうふうに親やその関係者(私のような存在)がいれば、子どもたちは、そんな他の場へは行かないと思うのですね。

 しかし今は個々の核家族だけでも十分生きていけるようになり、地域の横の繋がりが少なくなってしまいました。その結果、子どもの世界も「学校と家だけ」になってしまっています。
 だからといって、「昔は良かった」と懐古するだけでは仕方ないですし、今さら時計の針を元に戻す訳にはいきません。今の時代に合った新しい形の「子どもの居場所」「社会参加」を、地域の大人が意識して作っていく必要があります。

 私の孫が新しい新居に移りまして、でもそこでは、またその街のお祭りがあったりします。これに私のポコ汰も他の子どもたちに混じって神輿を引いて歩いていました。もう私はただただ嬉しいことでした。
 その街のけっこうなお年寄り(私の年齢やその上の方も)たくさんいまして、みんな子どもたちを率いて行ってくれています。そして多分、新住民の方々でしょうが、若いお母さんお父さんも、それと一緒になって歩いています。もちろん、子どもたちも一生懸命です。うちのポコ汰はまだまだ小さいですから、ただ神輿を引いて歩いていただけですが、私はもうものすごく嬉しかったです。今年も来年もポコ汰もポニョも、私も参加しますよ。

 こうした子どもの「居場所作り」「社会参加」は、行政や学校にお任せではなく、「自分達の子どもは自分達で育てる」意識を持って、地域住民が主体的にやっていく必要があります。
 子どもに言うより先に、まずは私達大人が「社会参加」しましょう。

 そうです。私なんか、親ではなくじいじですが、それでも勝手に参加します。また、そんな私のことも、ポコ汰は好きになってくれるでしょう。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 これを読んで、私も知りませんでした。「エッ、電話機能だけのケータイがあるのか?」と驚いたものです。
 そして、そんなケータイなら私はいらないなあ、という思いです。それならスカイプでいいよなあ、と思います。スカイプなら無料でずっと話し続けられます。ただ、無料で延々と話せることが今ではそんなに魅力のないことであることがよくよく判ります。
 だから中国の方々なんかには、スカイプはものすごい魅力があるのでしょうね。私なんかは、無制限にスカイプをしていると、もう中国の方々のスカイプばかりで、ちょっと困ってしまいます。

 やっぱり、私はケータイはケータイメールがあってこそですね。インターネットのホームページを見るのには、やはりもっと広い画面が必要です。ただメールなら、いいです。ただし、ちゃんと段落を変えたちょつと長文のメールの場合は、私はGメールを使います。それと私はよく手紙を書いていますね。
 ただ、この頃は、手紙を書いている時間がなくて、とてもそのことが悔しいです。

 先に書いたように「携帯=電話」というのは親の感覚で、子どもは「ケータイ=情報ツール」という感覚ですから

 これはもう私も多くの私の年代の友人たちに感じていることです。ちょっとそれで困った感じもありますね。ケータイメールというと、「そんなものは使わない、それが当たり前だろう!」という剣幕の人もいるのです。
 ただし、私の年代でも、メールと言ってもケータイメールしか使わない、それしか使えない人もいます。私から手紙をもらうと、ただただ驚いているだけの方もいます。

 私の姪の二人の息子たちも、小学生のときから、私にケータイメールをくれています。もうそれは嬉しいものですよ。そして彼らにも私は和紙の手紙を書いています。彼らには、「あのおじちゃん(実は大伯父)は、いつもパソコンばっかりやっているから、こういう手紙もくれる、ケータイメールもくれる」と思っていることでしょう。そうですよ。そして君たちが返事をくれれば、私はもっとたくさん手紙を書きますよ。少々面倒な内容の手紙(いや私の好きな漢詩の話をしたりね)になるかもしれないけれど……。

 子どもの気持ちを理解し、いいコミュニケーション関係を作る努力をしていってください。

 これはなかなか難しいことですが、その努力が大切なのですね。でも私でできるかなあ。私は昨日、長女の家に美味しいケーキを持って行ったときに、もう笑顔になっていた食べていたポコ汰の顔が大好きなのです。
 子どもは私たちが大好きになれば、なるほど、いい子になっていくものだと私は思っています。そのように思い込んでいます。

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「大人の皆さんへ:(3)フィルタリングは理由の説明を」SHIROのポメラ日記の斎藤さんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by 斎藤史郎    2009年02月16日 00:44
「SHIROのポメラ日記」の斎藤です。
いつもトラックバックありがとうございます。
どうか「存在価値がない」などと自分を卑下なさらないで下さい。
日本ではなかなかちゃんとした性教育がなされてこなかった歴史があって、大人が子どもにうまく説明できないのも仕方ない面があると思います。
私は学生時代に恋愛について非常に悩んだ時期があって、本屋を巡って恋愛に関する本を探し回りました。しかし恋愛の心の問題についてちゃんと書いているのは女性向けの本ばかりで、男性向けは「落とす、引っかける、モノにする」ような本しか無く、「僕の知りたいのはそんなことじゃない!」と憤った思い出があります。
出会い系サイトの問題なども、本当に防止するためには「男の子へのちゃんとした性教育」がまず必要なんじゃないでしょうか。
お孫さんとも、仲良く楽しく過ごして、大事なことを伝えていけるといいですね。

 ありがとうございます。たしかに、男の子には、「愛というのはどういうことか」ということを学ばせることが大事だなあと思っています。

 SHIROさんは、2月13日のキーパーソンを訪ねる旅研修(告知)を読みますと、千葉県の館山市に行かれるのですね。この館山市には、私は前に書きました(もう私がここへ行きましたのはちょうど11年前のことですね)98-04-29かにた婦人の村と「噫従軍慰安婦」 の「かにた村」があります。
 この1998年の2月14日、私はここのある「戦争で苦労された方々を鎮魂する碑」の前で、何も語れない私になっていました。ただ私は、あの碑の前で、海を眺めていただけでした。私はあのとき、また娘二人とここへ来ようと思っていましたが、まだ実現できていません。
 つい先日も、館山が故郷の方お二人と語らう場があったのですが、お一人の方は、まったくこの施設のことを知らず、もう一人の方は自分の高校時代の後輩がここで働いているということを語ってくれました。
 私は、この村のことを、私の孫にも話して行きます。ただし、それはあと15年も経ってからのことでしょうか。

 この日本という国は、実にとんでもないことをしてしまった過去があるのです。でもそのことを忘れてはならないと私は思っているのです。

 きょうはかなり忙しくなってしまう日ですので、あとは、また別にUPするつもりです。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。このUPは私も言い切れていない、実はどう言ったらいいのか判らないということを書いてくれています。

 2008年6月に国会で成立した、いわゆる「青少年ネット規制法」(青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律)を受けて、携帯電話各社は2009年2月から子どもが使う携帯にはフィルタリングを自動適用する、という動きになってきています。
 ネットには有害情報や違法サイトもたくさんあります。架空請求など、子どもを狙った犯罪もあります。子どもに無条件に何でも見せていいとは私も思いません。フィルタリングなど、ある程度の制限は必要でしょう。

 ここまでは、この通りに思います。だが私も言い切れていなかったことが次に書いてあります。このことは、私も明確に認識できていない、言明できないとことでした。

 ただ、同時に「なぜ見てはいけないのか」「何が大事なのか」ということを、大人から子どもにちゃんと伝えていく必要があると思います。

 例えば、フィルタリングをかければ「十八禁」のアダルトサイトはもちろん見られなくなります。
 でも、子どもに「どうしてアダルトサイトを見ちゃいけないの?」と聞かれたら、あなたは何と答えますか?

 私には明確に言葉に出して言うことができません。でも斎藤さんは、次のように言ってくれていて、私は実に感激し、そして自分の情けなさに反省ばかりです。

 いろいろな方法があると思いますが、私だったら以下のように説明します。

「本来、SEXは愛し合った結果として、愛情表現やコミュニケーションとしてあるもの。でもアダルトサイトなどは気持ちの部分をすっ飛ばして、イヤらしい部分だけ拡大して見せている。しかも女性を貶めたり、傷つけたりする表現が多い。僕は君たちに、人を愛したり、大切にすることをちゃんと考えてほしいと思っている。だからアダルトサイトを見て欲しくないんだ」
 そして、このようなことを言うには、同時に「人を愛するとは/大切にするとはどういうことか」を子ども達にちゃんと伝えて、実感させてあげないといけません。

 この通りですね。こういうふうに言明できないのでは、私は存在価値がありません。
 私は娘が二人で、その父方(つまり私)の従姉妹が他に3人で、みな女の子です。よく従姉妹同士5人で集まっていました。もうこの5人で集まると愉しいらしくて、私が行きますと、一番小さいブルータスがまだ言葉も話せないときなのに、私の身体を押しやって、「出ていけ」とばかりなものでした。私の父も男の子も欲しかったのでしょうが、この5人の女の子の孫をとっても可愛がっていたものでした。
 私の娘の母方(つまり私の妻)の従弟妹は、義弟のところに二人の子どもで、男の子と女の子です。私はもう男の子がこの子くらいしか身近にいないで、それでもう一緒に歩いたり、遊んだりすることが実に愉しかったものです。
 そして今は、初孫が男の子です。もうこの子を持ったときの、私の父の思いが判りました。一緒にお風呂入って、ちんちんくらべなんかするのは愉しいですよ。
 私の姪のみーねえ(兄の娘)が二人の男の子(今小学4年と中学1年)で、同じく姪のしほちゃんが昨年12月4日に男の子が生まれました。

 この斎藤さんの言われる「人を愛するとは/大切にするとはどういうことか」ということを子どもたちに、とくに男の子には、ちゃんと伝えていくことが大切だと思います。愛があってこそ、男女のSEXもあるのだということを伝えていく必要があるのです。
 私は初孫は男の子で、本当に嬉しかったです。もう、この子とじいじである私は、たくさんのことをやっていきます。二番目の孫は、女の子で、これまた可愛いのですが、この子ともいっぱいのことをやっていきます。

 先の記事で「子どもに愛情あるメッセージを伝えるのが大事」と書きましたが、「アダルトサイトの制限」と「愛情あるメッセージ」は実は表裏一体で、フィルタリングで制限するだけでは片手落ちなのです。

 実に明確に認識できた思いがしています。私も今後もちゃんと言い続けていこうと思っております。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 現代に生きてしまった私たちには、携帯電話というものは、大変な存在になってしまったのだと思います。

実際に携帯を子どもに買い与えることになったら、くれぐれも「はい、契約してきたから」とそのまま子どもに手渡してはいけません。

携帯安全教室
 携帯を使う前に、まずは基本的なルールや危険への対策などを親子で確認しましょう。

 この通りだなあ、と思います。
 前にも書きましたように、私のところでは娘二人に携帯電話ではなく、PHSを与えたのは、1993年春のことで、中学2年と3年のときでした。私は1992年春に携帯電話を持った時期でした。

 でも、私の妻は、二人が高校生になったら、二人から、このPHSの料金も徴収しましたが、同時に、家の電話代も細かく調べて(それはNTTがやってくれます料金表の明細を、相手電話番号で、相手が特定でき、誰がかけたか判ります)、それで二人から徴収していました。こうなると、二人は、お小遣いだけでは到底足りませんから、アルバイトをしていました。二人とも、学校が終わってから通うアルバイトは、とてもいい経験だったと思います。
 思い出せば、二人がやっているアルバイト先へ私も行ったことがありましたね。次女がやっている柏の駅ビルのそば屋さんに行って、ビールを飲んでいたことを思い出します。
 この妻のやった、「自分がかけた電話料金は自分で支払う」ということは、二人に大変にいいことをもたらしたと思っています。

 これは小学校でやる「交通安全教室」と一緒です。なぜあれだけ交通安全教室をやるかと言えば、交通ルールや事故の危険性を知らないで道路に出ると、たちまち危ない目に遭ってしまうからです。
 同様に、携帯を持つという事は、それを通じてインターネットという新しい世界へ入っていく訳ですから、その前に「携帯安全教室」で危険性やルールを知っておかないといけません。

 私の二人の娘がPHSを持ち出した頃は、まだインターネットはそれほどのものではなく、まだパソコン通信の時代でした。でももうすぐにケータイでもPHSでもメールが中心になっていきました。私はその頃からおそらく、ケータイはお話、お喋りではなく、メールの利用のほうが盛んになるだろうと推測しました。いえ、お喋りでは、あまりに料金がかかるからです。それにメールなら、どこででも簡単にできるのです(その頃は電車の中では、メールもやってはいけない、ということでしたが)。
 おそらく、このことは斎藤さんが、以下に書かれていることと同じだろうと思うのです。

家庭内ルールを決める
 基本的なルールや対策を押さえた上で、それぞれの家庭の事情に応じた「家庭内ルール」を決めてください。

 私のところは、「自分で料金を支払う」という決まり、ルールでした。これが家族みんなにも、本人にも一番良かったかと思っています。でも今は小学生中学生ですから、大変ですね。私の姪が、二人の息子、小4と中1にもケータイを持たせていますから、料金はどうしているのか聞いてみます。

 でも、次のことは、もうたくさんの大人が認識してほしいです。

 保護者の皆さんの話を聞くと、小学校高学年〜中学生になると塾や部活で帰りが遅くなる事があり、今は不審者やストーカーなどの危ない事件もありますから、「子どもに何かあっちゃいけない」「いつでも連絡が取れるように」と「電話」として携帯を買い与えるようです。
 しかし、今時の子ども達に「携帯って何ができますか?」と聞くと、

1.メールが送れる
2.写真が撮れる
3.ネットが見られる
4.音楽が聴ける
 ずっと下に行って

X.電話「も」できる
なのです。
 つまり、子ども達にとって携帯は「電話」ではありません。「情報ツール」「コミュニケーションツール」なのです。大人と子どもで意識が全然違うのです。

 もう、このことはおおいに感じていることです。ケータイを電話としか認識していない、いやそれだけしか認識できない大人がいっぱいいます。いえ、私もゲームはどうにも、いやパソコンでも苦手ですがね。この私が「それだけしか認識できない大人」と書いたことは、もうたくさんいまして、大変な問題を秘めていると思いますよ。

 追記すれば、多くの中高年男性が言う「子どもなんて仕事してる訳じゃないんだから、携帯なんて要らないだろう」も、「携帯=電話」だと思っているから出てくる言葉で、「ケータイ=情報ツール」と思っている子ども達にとっては全く的外れなのです。
 子どもには大人と違う「携帯の使い道」や「携帯の必要性」があるのですから、まずはそれを理解しないと対策も何も始まりません。

 これと同じ言い方ではありませんが、同じ種類の言い方をよく聞きます。もうケータイも、そしていえば、パソコンも「仕事」だけに使う機器ではないのです。このことをまったく理解できない、理解しようともしない大人に私は絶望します。

 でもそんな大人ではない人たちも増えてきていますし、そうでない大人がたくさんの伝えるべきことを、持っているのです。私はメールでも、たくさんのことを伝えています。司馬遷の『史記』のことを伝えますし、いやいやそうなると、メールよりは手紙のほうがいいのです。私は娘二人にも(そのうち孫にも書きますよ。今も書いていますが、孫二人はまだ字が読めません)、たくさんの手紙を書いています。その中で、私は私の好きなたくさんの漢詩のことも書いていますよ。
 あ、また私の友人たちにも手紙を書かなくちゃなあ、と思っています。とにかく、時間が足りないのですね。
 そんな「時間が足りない」と焦ってしまう私には、ケータイもメールも実にいいものです。

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「大人の皆さんへ:(1)家庭を子どもの居場所に」に次のように書いたので、そこのサイトのUPを斎藤さんが紹介しているところを私は熱心に読んだものでした。

 やはり先の記事で取り上げた、吉田賢治郎さんのブログ「けんじろうとコラボろう!」では、吉田家の家族間でのメールのやり取りが書かれています。

 それは、言葉では伝えられないことがある。だからメール Price less〜子供にネットを教える(3)でした。

 これは吉田さんの 子育てとIT、ネット問題 というところにUPされています。

 午後の会議中に、高校生の娘の携帯から次のようなメールが届いた。私と妻があて先になっていた。

 これはとってもいいことです。会話では口で喋る言葉では、冷静に表現できないことが多々あります。だから、私はメールもケータイメールも多用しますし、そして和紙による手紙も実に莫大な数を出しています。もっとも、私の手紙は、二人の娘には、漢詩の解説を書いていまして、長女からは「難しいからもういい」といわれ(今はまた普通のことを書いて手紙しています)、次女からも「難しい」と言われながらも、今も書いています。
 この吉田さんの娘さんも、息子さんも(このときは小学4年生)、実にいいメールをくれています。
 私の高校時代の友人たちなんかは、その子どもと携帯で直接話そうとして、嫌われています。メールなら、昔の手紙と同じで、いいではないですか。

 平日は息子が起きている間に帰られないことが多いこともあるが、会えたとしても帰宅したときに妻や子供達から言われると、私が面倒くさがることを気遣って、頼みごとはメールで送ってくる。

 メールでというのはいいですね。私の高校時代の友人は、朝急いで歩いているときに携帯電話してきて、私が「今急いでいるんだ。ケータイメールにしてよ」と言ったのですが、どうにも私のことを「また息子たちと同じだ」と思ったようです。でもサ、メールって、いわば昔の手紙と同じだよ。でもでも、思えば、あの彼たちは、昔も手紙を書かなかったから、今もメールもできないのでしょうね。
 私なんか、昔20〜21歳のときに、好きな女性に手紙を200通出したものですよ。ほぼ府中刑務所の独房にいるときです。それが今ではメールになっているのでしょうね。会話できるのは、誰にも遥かに遠い府中刑務所の接見室までいかなきゃならなかったのですから、手紙のほうができる手段としては、よかったのです。
 もっとも今も私は手紙も大量に出していますよ。

 息子とほぼ、同時に今度は妻からメールが届いた。

 この奥さまとのメール交換の内容がいいです。私も見ならいましょう。

 これが、電話だったとしても、うまくいかない。手紙という手もあるが、メールほど気楽にかけない。 電車の中や仕事や遊びのちょっとした合間に書くことができないからだ。

 たしかにそうですね。私は昨年11カ月で608通の和紙による手紙を出しましたが、やはりメールのほうが気楽ですね。
 以下に、実にいい内容が書かれています。ぜひ直接読まれてみてください。私は見出しだけ記します。

<親子で学ぶべきメールコミュニケーションのポイント>
1.小学校4年生になったらパソコンのキーボードによる文字入力を覚える
2.誰かに何かをして欲しい時、やめて欲しいときは、自分がそれでなぜ困るのかの理由と自分の素直な気持ちを書く
3.リスクなしで大もうけ勧誘メールは100%詐欺
4.絶対に信用できるメール以外は友達に転送しないこと
5.携帯電話を欲しがったらお金銭感覚を身に付けさせよう
6.メールによる誹謗中傷や友達とのトラブルが起きたら。
7.セキュリティ、ウイルス対策を万全に
8.パソコンの画面は、他人からは見にくいような場所、方向に
9.二人だけの秘密をつくる

 私の娘二人にPHSを持たせたのは、中2と中3の時でしたね。私が携帯電話を持った次の年でした。私は当時松戸自主夜間中学校というところでパソコンの授業をしており、そこでパソコン通信をするのに、携帯電話では莫大な費用がかかるので、PHSを使うようになって、そのときに、私と二人の娘と妻とでPHSを持ったものでした。私はもっぱらパソコン通信に使い、妻と娘は、連絡に使っていました。
 今では、それがみな全員ケータイメールで連絡をとっています。

 上の「9.二人だけの秘密をつくる」の内容に書かれていることがいいです。

 私は、このブログでも書いているような、マイミクとのデートなどの話を子供だけにしている。 そして、長女、次女は彼氏のこと、息子は大切なものを無くしてしまったことを私だけに話している。

 このように、子供と二人だけの秘密を作ることは、何でも話せる関係を作るためには重要だ。 これらの話は当然、メールの世界だけで行われる。

 私も必ず、自分の孫と、そして将来は姪たちの子どもたちともケータイメールをするようになります。手紙も出します。いつも、私大伯父と、こうしたひんぱんに連絡をできるようにしていきます。

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09021304 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、2月12日、このUPがありました。

 これまでの「携帯禁止に物申す」では、「安易に『携帯禁止』にしてはいけない」というスタンスで、私が思う所をいろいろ書いてきました。
 では、「携帯禁止」と言う代わりに、子どもと携帯電話の問題に対して、私達大人は何をしなければいけないのでしょうか。
 これについては私も確かな結論があるわけではないですが、いくつか考えていることがあります。大人の皆さんへのメッセージとして、ぼつぼつ書いていきたいと思います。

 こうして書かれ続けられることが嬉しいです。本当に、安易に『携帯禁止』などと言ってしまう大人がどんなに多いことでしょうか。しかも自分で言うのではなく、誰かに言わせて、「もうこう決まったことなだから」としたいのですね。実にこうした大人の存在に私は嫌になってしまうのです。

 子どもにとっては家庭が一番のベース基地ですから、まずは家庭を精神的な「居場所」「つながりを感じられる場所」にしないといけません。
 そのための対策は、シンプルです。

「愛してる」「あなたが大切だ」などの愛情あるメッセージを、ちゃんと口に出して子どもに伝えて下さい。

 我々日本人は伝統的に愛情表現が苦手なので、つい「言わなくてもわかるだろう」「家族なんだから当たり前でしょ」などと言ってしまいます。しかし、ちゃんと言わないと子どもには伝わりません。

 私は日本人だからということではなく、口で言うのが、喋るのが不得意です。いえ、若き日は割と平気で言えたものでしたが、今は駄目なんですね。
 私の長女なんか、「パパとママには会話はないのじゃないか」と思っているくらいです。
 そうねえ、思えば、妻が何年か前に入院したときに、毎日手紙を書いたことが大きな思い出かな。今でも、手紙を書くのは、好きだしよくやるのですが、電話にしろ、直接にしろ会話するのは苦手ですね。でも斎藤さんは、次のようにも書いてくれています。

 どうしても面と向かって「愛してる」なんて言えない、というシャイな保護者の方は、そんな時こそネットやメールを使う方法があります。

 私なんか、「シャイな」人間とは言えないと思うのですが、でもでも、メールを使ったり、手紙を書いたりすることで、自分の思いを相手に伝えようと常に思っているものです。
 そして、このあと、

 やはり先の記事で取り上げた、吉田賢治郎さんのブログ「けんじろうとコラボろう!」では、吉田家の家族間でのメールのやり取りが書かれています。

ということで、紹介されており、私はそこも読みまして、実に感激していたものでした。

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 でも、家だとなかなか書いていられません。家だとデスクトップで書いたほうが早いからです。ただ電車の中ですと、ノートパソコンでは起動に時間がかかります。だからポメラがいいのですね。ただし、電車の中は、また読書の場でもあるのです。
 以下は12日に食事をしたあとに書いたものです。

2009/02/12 07:23毎日血圧をはかっていますが、どうしても高血圧ですね。なんとか血圧を下げたいのですが、どうにもなっていないことをいつも感じてがっかりです。
 この時間は、いつも食事をしたあとのときです。
2009/02/12 08:10まだ、9時前ですから、いくつもの用事をすませています。
2009/02/12 08:15朝ドラの開始です。

 いえ、さきほど、SHIROのポメラ日記 に アクセスしましたところ、「[子どもと携帯電話]大人の皆さんへ:(1)家庭を子どもの居場所に」という新しいUPがあり(今後連載されると思いますよ)、ちょうどその前に、「香山リカ、森健『ネット王子とケータイ姫』」の最初を読んだばかりで(私はトイレでも読書します)、中に書いてありました柳田邦男さんの馬鹿なまったく阿呆な意見を読みまして、次のこの斎藤さんのページとその中でリンクしてある『吉田賢治郎さんのブログ「けんじろうとコラボろう!」』(私のこのブログのサイドバーでリンクしています)を読みまして、実にこの斎藤さんと吉田さんの言われる、ごく当たり前なことに感激いました。
 でも感激するばかりではなく、私自身も言い続けるべきですね。そのことを強く感じました。

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「メーラーをShuriken」SHIROのポメラ日記の斎藤さんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by 斎藤史郎    2009年02月11日 00:17
 「SHIROのポメラ日記」の斎藤です。
トラックバックありがとうございます。
以前、周さんがエディタで文章を書いている話を聞いた時に、「もしかしてVZかWZかな」と思っていました。特にVZは高速・軽量で、DOS時代の最強エディタだったと思います。
そして日本語変換はVJEですか! 懐かしいですね。
私はフリーで配布されていたWXPから、有償版のWXシリーズ(WXII、WXGなど)を愛用していました。地元(長野県)のエーアイソフトが作っていましたし。
残念ながら販売終了してしまったので、ATOKに乗り換えました。

VJEも既に販売終了しているので、今後は困りますね。
ちなみにATOKは、VJEの登録単語を一括読み込みして辞書に登録することができます。キー操作も「VJE風」にできます。
どこかでそうした移行作業が必要かもしれません。

メーラーはGMailなんですね。私はネットの向こうにメールデータがあるのが(トラブルがあった時に)怖いので、パソコン側のソフトを使っています。
ただ、今後のメーラーは、GMailのようなネットサービスが主流になっていくのかもしれません。

 ありがとうございました。
 たしかに私はVZはずっと使っていました。Windows になっても使っていましたね。ただね、すいぶん前に、渋谷のハチ公のそばで、明け方ノートを打っているときに、「やっぱり、これじゃWindowsでは使いにくいな」と思って、その後WZにしたものでした。いや要するに、DOS画面だと暗い画面の中にあるじゃないですよ。真夜中だと少々つらいのです。Windowsなら、白く明るい画面に思えたのです。いえ、真夜中明け方だったから、私は酔っていたものなのですが。
 日本語変換では、WXも使ったことはあるのですが、やはりVJEばかりを律儀に使ってきました。でも、今はないわけで、どうしようかなあ、と真剣に考えてします。ATOKは嫌だし、MS−IMEも嫌なんですね。
「一太郎」って名前も嫌なんだよな。戦前の修身の教科書を思い出してしまうのです。「一太郎やーい」という話ですね。でも、『「VJE風」にできます』ということなら、そうしようかなあ。
 アメリカ帝国主義も嫌だけど、日本帝国主義はもっと嫌いだしなあ。でも、徳島の『鳴門秘帖』を考えればいいんだと思おうかなあ。

 私はもうメールは、Gメールでいいです。あとはケータイメールだけです。過去使ってきた有料のメールもすべてGメールに転送しています。

 私はネットの向こうにメールデータがあるのが(トラブルがあった時に)怖い

ということなのですが、私は「ネットの向こう」にあったほうが安心です。私は過去パソコンは13台自作してきました。
 自作をやめてからも、デスクトップはもう10台目かな。ノートはちょうど8台目くらいです。そもそも、このパソコンの中(HDDの中)に入れておくほうが不安です。インターネットのあちら側に置いておいたほうが安心な気がしますよ。

 私の尊敬する司馬遷という歴史家は、竹簡で膨大なるものを書き上げたときに、自分の頭にあるものよりも、竹簡というものに、移し替えたもののほうを信じたことでしょう。現在の私も、自分のそばにあるパソコンの中よりも、インターネットのあちら側に置いているもののほうが安心です。

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  SHIROのポメラ日記  の [子どもと携帯電話]に、2月7日、このUPがありました。

 これまでの記事でも取り上げていましたが、子どもと携帯電話の問題を考える上で、参考になる本やホームページを紹介します。

 これはいいですね。私はこの中では、

山脇由貴子「教室の悪魔 ―見えない「いじめ」を解決するために―」

の本は読みました。読んですぐに、ここにも私の思いを少し書きました。少なくとも、この本の目次を丁寧に書くことのよって、多くの方がこの本の興味を持ってくれたらいなあ、という思いでした。
 その他のサイトや本は、サイトの場合は、すぐに行って中を読んでみました。今後もサイトの場合は、たびたび訪れてみます。本の場合は、手にいれることができないものばかりでした。私のすぐ近くの図書館にも、すべて置いていないのですね。

 頭っから、ケータイを否定するだけでなく、こうしてちゃんと向き合っている大人もいることにとても励まされます。
 その中で、10代のネット利用を追う一覧(2009年)を私も読み耽けりました。

 次に以下のようにありました。

10代のネット利用を追う
子どもの携帯電話、禁止するよりも適切な対応を
「ネット安全安心全国推進フォーラム」<後編>

 コーディネーターは、熊本県阿蘇郡南小国中学校教頭の桑崎剛氏。桑崎氏は「すべての道具は使い方次第。携帯電話も同様で、どう使うかが大切」と語る。携帯電話を所持していない小学生に携帯電話の便利なところを聞いたところ、多い順にメール、カメラ、写真が送れる、ゲームができる、電話ができるとなり、電話ができることが5番目になったことを紹介。「通話+インターネット+デジタルカメラ=ケータイ」とした。また、子どもたちは持ち始めたばかりの時期に携帯電話に振り回されており、学校では対応し切れていないことに言及した。

 これを親たちはちゃんと見ておいてほしいのです。ケータイはその親たちのように、「電話する」ことが第一義的なことではないのです。おそらく、このことは私の多くの友人たちでも理解できないでしょうね。

 前にも、私も書きましたが、私の高校時代の友人が、『子どもから「携帯電話を持って!」と熱心にいわれ続けたから、もったけれど、少しも電話してこないんだ』と、その子どもの前で言い続けました。その子どもさんは、私に目で会話しました。「ね、うちの親父は判っていないのです」。でも彼は、「せっかく携帯電話も持ったのに、電話してこないのじゃどうしようもない」という思いばかりのようです。
 私も急いでいるときに、彼から携帯電話もらって、困り果てました。私はその場で、「今無理だから、ケータイメールしてきてよ」といいましたが、もうそれきりでした。私も息子たちと同じと思われたようです。

 このことは、すぐに理解してほしいのですが、私の友人たちの多くは無理でしょうね。私は、私の娘、妻、姪たち、姪の子どもたち、多くの友人たちとは、ケータイメールでたくさん連絡をとっています。
 それに私は、かなりな数の手紙を出していますよ。いつも和紙で書いています。昨年はちょうど11カ月で608通書きました。今年も続けます。

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、2月5日、このUPがありました。

「携帯電話の問題は、子ども達の心の問題が表に現れた『結果』に過ぎない」
 「安易に『携帯禁止』にしてはいけない」
 と繰り返し書いてきました。
 これは少し考えればすぐわかりそうなものだと私は思うのですが、逆にこれだけ「子どもは携帯禁止」と世間で大きく言われてしまう背景には、実は大人側の意図や利害が隠れているように思います。

 まったく、この通りです。私は小中学校で、国語、数学(小学校は算数)、社会、理科と並んで、情報というような科目を作って教えるべきだともう前々から言ってきました。私が娘の中学校で、一教室でパソコン教室というものがあって、パソコンが30台、プリンタがその半分置いてありながら、常に鍵がかけられており、まったく使われていない様を見て、そう思いました。パソコンの授業は、算数、理科の教員ではまともに教えられないのです。
 この情報の授業の内容は、パソコンに限りません。ケータイもそうですし、DSのようなゲーム機器も扱います。もちろん、ソフト自体のことをも、インターネットのことをもです。そもそも「情報」ということ、そのことから学びます。これが義務教育の場で教えられたなら、この日本は世界に冠たる国と言えるようになると私は思っています。
 とにかく、学校も行政も、われわれ一般市民、親たちも手抜きをしてはならないのです。

 まとめると、「子どもは携帯禁止」というのは、実は大人の手抜きなのではないでしょうか。
 「禁止」と言ってしまえばそれ以上何もしなくていいし、自分で責任を取らずに携帯のせいにしてしまう方が楽なのです。
 しかし、大人がそうやって楽をしてしまうと、割を食うのは子ども達です。そして、その子ども達が大人になる頃には、社会はもっと悪い方向へ進んでしまうでしょう。
 「携帯禁止」と言う前に、我々大人がちゃんと子ども達の気持ちに向き合ったり、携帯の使い方や付き合い方を教えていくことが必要なのだと私は思います。

 このまま行ってしまえば、「子ども達が大人になる頃には、社会はもっと悪い方向へ進んでしまう」と思いますが、この日本はけっしてそういうふうにはならないだろうと思っています。橋下知事のような阿呆は、他には出てこないでしょう。少なくとも、こうしてSHIROのポメラ日記の斎藤さんのように、ちゃんと言われる方がいるわけです。
 そして、自分の子どもにケータイを持たせても、あたり前のことを言っている親も、まだ少数ながら確実にいます。

 なにしろ最近は「携帯禁止」の大渦に子ども達が飲み込まれてしまう勢いなので、「それは違う」と声を上げる大人がもっと必要です。今回の一連の「物申す」も、そんな願いを込めて書きました。

 私もこうして、斎藤さんのUPにトラックバックという形で、すべてUPしました。できたら、多くの親たちが、考えて、声をあげてほしいと思っています。
 そうすることが、自分たちの子どもたちとちゃんと向き合い、この日本をまともにしていく真の路であると、私は思っております。

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、2月4日、このUPがありました。

 私は「携帯だけではない」を読んで、「そうだよ、そもそもパソコンでやるんだよ!」と叫びましたが、でもやっぱり私はわけが判っていません。

 このように携帯電話に関しては最近かなり注目されているのですが、案外知られておらず、盲点になっているのが携帯ゲーム機です。

 私は任天堂DSを見たときに実にたまげました。私はああいう機器は、触ってもさっぱり判らないです。使えないです。そもそもゲームが判らないのです。トランプもカルタ(百人一首)も苦手でしたね。

 もはやケータイでなくても「無線LAN接続でインターネットにつないでホームページが見られ」る機器はたくさんあります。思えば、赤字ばかりのパソコンメーカーなのに、任天堂だけは、すごい黒字ですね。判る気がしますが、私はゲームは苦手ですからね。

「それはけしからん。じゃあゲーム機を禁止しよう」と大人は思うかもしれませんが、まだあります。
 最近子ども達や若者の間で流行しているのが、iPodやウォークマンなどの携帯音楽プレーヤーです。昔のカセットテープやMDから今はフラッシュメモリが記憶媒体になり、ずいぶん小型化されて持ち歩きやすくなりました。

 私もiPodは常時持っていたのですが、私が聞くのは落語ぐらいなのです。詩吟を常時聞いていたいのですが、でもそんなのは無理なのです。詩吟のアナログレコードをすべてデジタルにしたかったのですが、私では無理でした。詩吟界の対応も駄目なんですね。でもまた、私が詩吟をインターネット上で吟って行こうかなあ。

 このように、技術の発展でどんどん新しいツールが出てきてしまいます。いくら「禁止」してもイタチごっこなのです。
 今後、パソコンや携帯以外にも、インターネット接続できる機器はどんどん増えるでしょう。機器本体だけでなく、ネットサービスをどんどん利用してもらわないと、他の製品と差別化できないし、発売元の企業が儲からないからです。

 まったくその通りです。それを、ケータイのみで、「禁止」として、どうなるというのでしょうか。大阪府の阿呆な知事ばかりだけではなく、他の県市町村も不安ですね。

 ですから、「禁止」といった対症療法ではなく、元にある子どもの心の問題を解決していかないと、時代の速い変化に対応できません。

 とにかく、この時代の恐ろしいほども変化進歩に、私なんかは、黙って飲み屋で飲んで、ときどき詩吟を詠いだすだけです(あ、吟う前には、周りのみなさんの了解を求めますよ)。ただ、私はいつもノートパソコン他の機器を持っていますから、それでもさまざまな会話になります。もう周囲の方々も、どんどんと変化されていることを如実に感じております。

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『「携帯禁止」に物申す:(9))統計は時にウソをつくSHIROのポメラ日記 の斎藤さんから、次のコメントがありました。

1. Posted by 斎藤史郎    2009年02月03日 15:52
 「SHIROのポメラ日記」の斎藤です。
いつも読んでいただいて、ありがとうございます。
テレビや新聞の言うことをそのまま鵜呑みにして議論してしまう大人が多いですよね。赤の他人の先生の言うことより、目の前の子どもから学べることの方がずっと多いと思うのですが…

それから図の作り方ですが、手近な所では、Microsoft Officeに入っているPowerpoint(プレゼンテーションソフト)を使うと書きやすいです。
用紙サイズを「はがき」などの小さいサイズにして、スライドの上に文字や図形を並べて、保存する時に「GIF」または「JPEG」形式を選ぶと、ホームページで使える画像ができます。
WordやExcelなどの書類に、図を貼り付けることもできます。お試しください。

 ご丁寧にありがとうございます。それで私はPowerpointは持ってないのですね。だから、きょうか明日秋葉原へ行きまして、手に入れます。
 私は、Wordというのは、持っていません。そもそもワープロは使っていないのです。パソコンを持ち出したときから、一太郎も使いませんでした。とにかく、ずうっと今にいたるまで、エディタで文章は書いていました。
 Excelは、随分前に購入して、年に数度(年に2度かなあ、と思いましたら、もう少し3、4度)使っています。

 Powerpointは購入したら、何か図形を作成して、ここにUPします。

 でも間違いなく斎藤さんの書かれていることは、今の教育現場にも私たちにも、とっても大事なことだと確信しますよ。

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、2月3日、このUPがありました。

 例えば、ある大学の先生の調査結果が、「携帯を長時間使っている子どもはキレやすい」などとセンセーショナルな見出しが付いて、マスコミに取り上げられることがあります。
 しかし、こうした統計調査は、よくよく考えて解釈しないと意味を取り違えてしまいます。マスコミの報道をそのまま鵜呑みにしてはいけません。

 こうしたことが、よくテレビや新聞で言われていることを、目にし耳にします。そしてさらのこういうことから何か論を展開しがちな大人が多いと感じています。そしてそのような大人は、今の教育を非難し、今の子どもたちを決めつけがちです。
 もう今から10年か15年前には、同じようにパソコンを激しく非難していたものです。前にも書きましたが、私の高校時代の友人たちが、クラス会の相談のときに、子どもたちがパソコンを使うことの弊害のみ言い続けていました。曰く、パソコンを使っていると目が悪くなる、あればっかりじゃなくて、子どもは読書すべきだ……等とでした。
 でもそのうちに彼らは、私を見て、話を止めました。私は当時も元気にいっぱいパソコンを使っていましたし(その場にノートパソコンを持って行っていました)、高校時代から圧倒的に読書していたのは私です。彼らは、その頃も今も本を読む習慣はないでしょう。パソコンがあるから、読書をしなくなるのではないのです。

仮に、「携帯を長時間使っている子どもはキレやすい」と見出しの付いた研究があったとしましょう。
 こうした研究では、たいがいアンケートなどで実態調査をします。
 まず「あなたは(あなたの子どもは)一日に何時間携帯を使っていますか?」という設問で、携帯の使用時間を把握します。
 もう一つの「キレやすい」をどう調査するかは難しいのですが、同様に日頃の行動の様子を質問して把握します。
 その結果をグラフにプロットして統計的な計算をすると、直線や曲線が描けます。

 しかし、このようなグラフが描けるからと言って、「携帯を長時間使うとキレやすくなる」と結論づけるのは間違いです。

 まったく、この通りです。

 同じ原因から生じた2つの結果だったら、その数量をグラフにすれば互いに関係があるのは当たり前です。
09020303 つまり、グラフ上で関係が認められたからと言って、片方が原因で片方がその結果であるとは限らないのです。
 こうした研究結果を見て「キレる行動を防ぐために携帯を禁止しよう」と対策を取ったとしても、別の原因があるのなら何の意味も無いことになります。

(上の図は、このSHIROさんのブログからとりました。いえ、私もこういうような図を描きたいのですが、どうやったらいいのか、皆目判らないのです)

 こうした研究結果を見ていて私が不満に思うのは、子ども達の「気持ち」の部分がなかなか調査されないことです。

 子どもたちの気持のことなんか少しも理解しようとはしていないとしか思えません。

 次のゲームの例は、実にとても判ります。

 これは携帯ではなくゲームの例ですが、私の知り合いのあるお母さんから「うちの小学生の息子がゲームばかりやっていて困る」という相談を受けました。
 いろいろ聞いてみると、その息子さんはすごく自己評価が低くて、「僕なんてダメダメだ」とよく言っているそうです。
 ここで彼の内面を考えてみると、もしかすると彼にとってゲームは、現実のダメダメな自分から一時的にでも脱出できる「場」なのかもしれません。ゲームの中では自分も勇者やヒーローになれるのですから。
 そんな彼に「ゲームしちゃダメ」と言ってゲーム機を取り上げたとしたら、彼にとっては活躍できる唯一の場を奪われてしまうことになります。彼の不満はくすぶり、将来全く違う形で爆発してしまうかもしれません。
 彼に対して我々大人がしなければいけない対策は、ゲーム機を取り上げることではなく、現実の生活の中で「自分は大切な存在だ」と思えるような環境を作ることなのです。そうすれば、結果としてゲームをする時間は減っていくでしょう。

 私の自宅にもファミコンが流行っていた時代、娘二人の同級生の男の子二人が来てくれて、「スーパーマリオ」をやっていたことがありました。私は目の前で展開されるマリオの世界に驚きました。私はもうただただ驚いて彼らを尊敬し、「君たちは天才なのか?」と言ったものでした。私自身には、到底考えられないゲーム展開なのです。
 私は、あの当時もゲームはまったくだめですし、今もまったくできません。

 思えば、私はパソコンを使いはじめ、パソコン通信をやっていた頃は、実にパソコンの使用は駄目だという意見をしつこいほどよく聞きました。
 インターネットでホームページを展開し、こうしてブログを毎日UPするようになって、今でこそ、飲み屋の席でも、そばにいる人や店の人にいろいろなことを聞かれるようになってきたものです。そして、そういう人も、店の人も自分でも実際にパソコンでインターネットでいろいろなことを調べるようになっていました。
 それが今では、ケータイメールで、いくつものことを質問したり、連絡したりするようになってきました。
 それなのに、そうした事態をまったく理解できない、理解しようとしない中高年大人が、ただただ自分の頭だけで、世界を支配し続けようとしているだけです。

 くれぐれも、マスコミのセンセーショナルな見出しに踊らされないようにしてください。マスコミはその場の視聴率や読者数のために、派手な見出しで人目を引こうとすることが多いからです。
 また、偉い大学の先生が発表した研究結果だからと言って、信用できるとは限りません。人の肩書きではなくて、あくまでその研究の中身で判断しないといけないのです。
 これらは一種のメディアリテラシーで、情報社会に生きる私達はよくわきまえておく必要があります。

 もはや、いわゆるマスコミの大部分は私には、そのまま信用できません。もう私たちが、私たちの親たちから教わってきたことを、そのまま子どもたち孫たちに伝えていこうと思っています。
 きょうの節分の日、私は二人の孫に豆まきを教えます。ただ、鬼のお面をどうするかな、ということと、長女の家で、豆を「鬼は外、福は内」といってばらまいたら、ポコ汰とポニョは喜ぶだろうけれど、長女おはぎには、ダメって言われるかなあ?

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、2月2日、このUPがありました。

子ども達に「携帯禁止」と言うのは簡単です。

 本当にそうです。「言うのは簡単です」なのです。でもそれが簡単にできるのでしょうか。

 また、「子どもと携帯電話」の出前講座をしていて、「携帯のことは難しくてよくわからないから、行政が制限してくれ」「学校で指導してくれ」といった意見をよく聞きます。
 しかし、一番恐いのは、「携帯禁止」と言ったり、「学校で/情報センターで子どもに話してもらえば」「行政で制限してもらえば問題は解決」などと考えて、保護者や地域の大人が、携帯を使う子ども達の気持ちにちゃんと向かい合わなくなることです。

 これはこういう大人たちが、ただただ無責任だということなのです。

 例えば、2008年6月に秋葉原で無差別殺傷事件が起きました。加藤容疑者が事件前にネットの掲示板に書き込んだメッセージを読むと、彼がいかに親や周囲に傷つけられ、自己評価が低く、周囲の人たちや社会を恨んでいたかがよくわかります。それらの気持ちが爆発してあの悲惨な事件になったのであって、ダガーナイフが事件の原因だった訳ではありません。慌ててダガーナイフの販売を禁止する大人を見て、多くの子ども達は「大人はちっともわかってないな」と思った事でしょう。

 あのときに、私はいつもの飲み屋に行きましたら、店の皆さんが、秋葉原によく行くであろう私のことを心配していました。それで私も事件を知ったものでした。

 そして、「携帯のことは難しくてよくわからない」という大人の方は、まずは自分でやってみましょう。家族や友達などと携帯メールをやり取りしたり、携帯でネットをあれこれ見てみましょう。
 頭で理解することと、実際に体験して実感することは全然違います。携帯メールを誰かとやり取りしてどんな気持ちになるのか、自分で体験してみないといいも悪いもわからないし、子どもに対して何も言えないでしょう。
 今は生涯学習の時代ですから、子どもに「勉強しろ」と言うだけではなくて、大人の方も勉強しないといけませんよ。

 私と同年代、そして下の年代でも、ケータイは、電話だと思っているだけなのです。ケータイメールはできないという人が多いです(いやなに、実際にやってみればできるはずなのですが)。だから、自分の息子娘たちがケータイメールを使っていても、それがまったく理解できません。「電話なんだから、電話でこそ使えばいいんだ」という気持だけなのですね。
 私の友人たちでは、私がほぼケータイメールだけですから、それでケータイメールを使いきる人が増えてきました。使ってみれば、こんなに便利なものはありません。そしてこれを使いきって、始めて実際に声で話すこと、手紙で詳しく書くこと、実際に会ってみることの大事さ、その魅力が判ってくるはずなのです。

 先の記事でも取り上げた吉田賢治郎さんのブログ「けんじろうとコラボろう!」には、家族間でネットを使ったコミュニケーションをする例がいろいろ載っていて、参考になります。ぜひ見てみてください。

けんじろうとコラボろう!」は、私のブログのサイドバーでリンクしました(あ、そのことを広報しなくてはいけません。それと彼にも連絡しなくちゃあ)。あのような親がいることに、私はとっても嬉しくなります。

 あ、私は昨日、SHIROさんが薦められていた「教室の悪魔」を読みました。この本のことはまた後で書きます。

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、2月1日、このUPがありました。これを読んで、私はいつもよりも深く頷いていたものでした。

 市内の自治会や育成会などに呼ばれて話す事が多いのですが、一通り話し終わって質疑応答の時間になると、「子どもなんて仕事してる訳じゃないんだから、携帯なんて要らないだろう」という人がよくいます。たいていは自治会の役員などの中高年男性です。
 講座終了後に書いてもらうアンケートを見返しても、「心の問題が重要だ」という説明は、子どもを持つお母さん方には結構理解してもらえるのですが、中高年男性の方にはなかなか伝わらないようです。

 この中高年男性の言い方がよく判ります。私が実に嫌悪してしまういつもの言い方ですね。そして大事なのが次のことです。

 これは携帯の問題以前に、男性と女性のコミュニケーションの違いがあるように思います。例えば、「携帯禁止」と言う中高年男性は、女性が長電話するのを全く理解できないのではないでしょうか。
 「男の会話はインフォメーション、女の会話はコミュニケーション」という言葉があります。男性の会話は「情報伝達」で、必要な情報さえ伝わればそれ以上の会話は必要ありませんが、女性は会話の内容が重要なのではなく、会話することそのものが楽しみだったり、お互いの関係の確認だったり、気持ちの共有だったりします。

 私はケータイ電話といいましても、ケータイメールこそが大事であり、ケータイ電話そのものはそれほど使いません。いやむしろ、いつでも何時でもどこでも電話を欲しがるひとが嫌です。電車の中ではケータイで会話はできないし、急いで歩いているときも重要な会話はできません(だから、私は今は無理だからと伝えます)。ケータイメールなら、落ち着いた場所・時間に正確な用件を伝えられます。
 思えば、このことはこのブログででも言えるのじゃないかなあ。私が思うのには、女性のほうが柔軟であり、まともです。中高年男性の多くは、もうやりにくくて仕方ない存在です。だから、こういう連中が平気で「携帯禁止」なんていうのでしょうね。上の「子どもなんて仕事してる訳じゃないんだから、携帯なんて要らないだろう」という言い方に、それはよく表れています。
 前に、私の高校時代の友人のことを書きました。『「携帯禁止」に物申す:(2)「出会いたがる」のは、今の自分を大切に思えないから』 にです。

 私の高校時代の友人が、携帯電話を子どもから言われて、やっと持ったのですが、その子どもが少しも携帯電話で電話してこないというのです。その子どもたちは、お父さんに、「だから、ケータイメールしてきて」(実際にその親子の会話も直接私は聞きました)というのですが、お父さんには判らないことなのです。私にも、何度かケータイ電話してきても、私はいつも出られない時間と場所でした。あるとき、朝私が急いで歩いているときに、ちょうど柳田公園を歩いていたのですが、そのときに、携帯電話があり、私が「今はとても電話では話していられないから、ケータイメールをくださいよ」と言ったのですが、彼は、これじゃ息子と同じだと思ったらしく、それからは何の連絡もくれません。よっぽどケータイメールが嫌らしくて、その後は年賀状もくれません。

 このことの重要なことが今判りました。あの彼には、結局子どもとの重要な接点が少しも判っていないのですね。今も、携帯電話があるのに、少しも子どもが連絡してこないと怒っていて、子どものほうは「早くケータイメールができるようになってよ」と言い続けているのでしょう。

 でもこう見てくると、なんとなく絶望的な気持になってしまいますね。つまり私は、こういう中高年男性に絶望してしまうのです。

 子ども達が携帯で一日何十通もメールをやりとりするのもそれと同じで、内容が重要なのではなく、メールそのものが友情の証明だったり、「誰かとつながっていること」の確認だったりします。
 かつて携帯が無い時代でも、特に女の子は授業中にこっそり手紙を回したりしてコミュニケーションをしてきました。その手段がメールに変わっただけです。

 私も一日にそれこそ何人もの相手と何十通とケータイメールを交換しています。思えば、私は、ある女性にこう言われたことがあります。「萩原先生は、女性なのよ」と。このことが今またよく判ってきた思いがします。
 でもやはり、私は男性であり、中高年です。だから、自分と同じ年の男性が同じような実に情けないことしか言えないのが実に嫌になります。
 だから思えば、お母さん方のほうが、子どもがケータイを持つことに許容できる点がおおいにあるのですね。

「携帯禁止」と言う中高年男性を見ていて私が感じるのは、携帯を使っている子ども達が全く理解できず、宇宙人のように見えているのではないか?ということです。一種の生理的嫌悪感・恐怖感から、理屈抜きにとにかく排除したくなるのではないでしょうか。
 また、自分も含めて男は変なプライドがあるので、「自分が『わからない』ことを認めたくない」→「『わからない』ものは否定して『無かった事』にしたい」という心の働きがあるように思います。
 昔は携帯やネットはありませんでした。でも今は時代が違います。「昔は無かったから」「自分は必要ないから」という理由で排除しないで欲しいと思います。なぜ子ども達があれだけ携帯やメールを使っているのか、まずはその気持ちを理解していかないと、問題は解決しません。

 まったくこの通りだと思います。

 以前の記事で、「文部科学省が『小中学校で携帯持ち込み禁止』の指針を出す予定」というニュースを取り上げましたが、1月30日に全国の都道府県、政令指定市の教育委員会などに通知したそうです。
 こうした施策は政府の教育再生懇談会の提案から来ているのですが、懇談会のメンバーを見てみると、10人の委員の内、女性は2人だけです。
 さらに懇談会の議事録を読むと、携帯電話の問題についてはこの内の4人で作るワーキンググループが中心になってまとめたようですが、グループの4人は全て男性です。
 (これらの性別は名前の漢字を見ての判断なので、間違っているかもしれませんが)
 懇談会やワーキンググループの細かい雰囲気はわかりませんが、このメンバーでは中高年男性の価値観が中心になって議論されてしまうのではないでしょうか。
 また、自治体などの行政組織にしても、中心になって決定権を持っているのは中高年男性が多いですから、その人達の価値観で施策が決まっていってしまう傾向があります。
 頻繁に携帯メールでコミュニケーションする今時の子ども達の心のありようをどれだけ理解して、施策が決定されるのか、私たち市民一人一人が注意してチェックしていかないといけません。

 どうしても絶望してしまう思いにもなりますが、こうしてSHIROさんが書かれているということで、少しの光も見えてくる思いです。
 もっともっと言っていかなとならない。どうでもいい、もう凝り固まった中高年男性の思いで、せっかくのことをぶち壊されたくありません。
 もっともっと、このインターネットの世界だけでなく、述べていかなくちゃならないのだなあ、と深く思ったものです。

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、1月31日、このUPがありました。

 ここでは、山脇由貴子さんが書かれた「教室の悪魔〜見えない「いじめ」を解決するために〜」という本が紹介されています。私も早速読むようにします。もう2006年に出版されている本なのですね。

 こうした事件があると、すぐに「携帯なんてダメだ。禁止」という話になってしまうのですが、そうではないと私は思います。
 まず、携帯はあくまでいじめのツールに過ぎません。現実世界のいじめの延長がネットいじめになるのであって、携帯が原因でいじめが起きる訳ではないのです。

 このことが判らない、いや判ろうとしない大人が、とにかく、「携帯がいけない」とばかり犯人にしたがります。
 そして次が大切なことです。

 大人が「普通〜」「みんな〜」と無責任に言っていれば、子どもも「みんなと違うヤツはおかしい」と考えますし、大人が「あの人ヘン」「おかしい」と言っていれば、子どもも「変なヤツは死ね」といじめに走ります。
 「みんなと一緒」=「正しい」ではありません。自分がみんなと一緒だからと言って、みんなと違う人を攻撃する権利がある訳でもありません。
 まずは我々大人が自分達の言動を見直し、「普通〜」「みんな〜」ではなく、「〜だと私は思う」と自分の責任で物を言うこと、そして子ども達を大切にする「居場所」やいいコミュニケーション関係を作ることが大切なのだと思います。

 まったく同感します。そして私自身も、私の子どもそして私の孫のことは、もう懸命に護りきることを決意しています。少なくとも、私よりもいい人生を送れるように、私も努力してまいります。

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、1月28日、このUPがありました。このUPでSHIROさんは、吉田賢治郎さんという方のブログを紹介しています。

 http://blogs.itmedia.co.jp/kenjiro/ けんじろうとコラボろう!

 ここの「子育てとIT、ネット問題」というところに、このけんじろうさんと彼の高校生の娘さんが学校裏サイトで受けた顛末が書いてあります。私も読んで、実に驚いたものです。そして、でもこのけんじろうさんの実行されたことも書いてあり、その実践に感激したものでした。私もぜひ、自分の孫のことでも懸命にやっていこうと決意したものでした。

 SHIROさんは、最後に次のように言っています。

 吉田賢治郎さんのブログでは、親にできる対策として、「裏サイトについて子供に聞けるぐらいのコミュニケーション関係を作る」「子供が相談しやすい場を定期的に作る」などが挙げられていて、非常に参考になります。ぜひ読んでみてください。

 本当にいいサイトを知ることができました。親も真剣に考え向き合わないとならないのですね。いえ、これはじいじも同じです。

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、1月26日、このUPがありました。

携帯メールでの「30分ルール」というのをご存知でしょうか。

友達へメールを出した時、返事が返ってくるまでの時間が、
 15分かかると→65%の子どもが「遅い」と感じる。
 30分かかると→85%の子どもが「遅い」と感じる。
(モバイル社会研究所の調査より)

 いえ、私はまったく知りませんでした。でもこういうふうに思うのは、よく判ります。私の二人の娘は実に返信が速いです。私は次女ブルータスには、「エッ、よくこんなに速く!」と驚いています。0秒か、1秒としか考えられないくらいに速いですね。
 ただし、私は私の年代の友人が、実に時間がかかって返信をくれても、まったく構いません。まあ、思えば私は手紙の返信がなくても、延々と和紙の手紙を出していますものね。

 私たち大人は、メールというのはFAXと一緒で、自分が都合のいい時に出して、相手も都合が付いた時に読むものというイメージがあります。
 しかし子ども達にとってメールは電話と一緒で、「30分以内に返事を書くのが当たり前」のリアルタイムなメディアなのです。今では「30分ルール」から「15分ルール」に時間が縮まっている、という話もあります。

 でもこの子どもたちの気持は判ります。ただし、私は返信がこなくても平気です。いえ、明確な問い合わせのときには困りますが。
 そういえば、昨年私は608通の手紙(みな私的な手紙です。仕事上の手紙はまた別です。そして私的な手紙はすべて和紙で書いています)を出しまして、封書による返信は5通で、葉書による返信も5通でした。みなさまお忙しいのだろうと納得しています。

 でも、私の書いている和紙も手に入れるのがけっこう大変です。ただ今年になってからは、まだ数通しか出していません。けっこうその時間がないのですね。この私の手紙はいわばいつ出しても、出さなくても構わないものなのですが、今の若者のケータイメールは違うもののようです。

 それだけすぐに返事を書くためには、学校の授業中でも、食事中でも、携帯を手離さずにひたすらメールを打つことになります。大人からしたら「授業中はやめなさい」「食事終わるまで待ってなさい」と言いたくなります。
 そもそも、子ども達はなぜそんなに頻繁にメールをするのでしょうか?

 それで、このあとを読んで、私は少し怖い思いにもなりました。私の孫たちのも、そんな時がくるのでしょうか。

 例えば、ある高校生の女の子Aちゃんが、友達のBちゃんへメールを出したとします。Bちゃんはきっと、御飯を食べたり、宿題をしたり、やらなければいけないことがたくさんあるでしょう。でもそれらを置いてBちゃんがすぐメールを返してくれたら、それはAちゃんにとって「私はBちゃんにそれだけ大切に思われている」という友情の証明になるのです。
 逆にBちゃんからメールをもらったら、Aちゃんは「すぐに返事を出さないと私の友情を疑われる」と思って、何を置いてもすぐにBちゃんへ返事を書こうとします。
 そうしてメールをやり取りしていくと、口に出した言葉と違って、携帯の中に全て保存されていきます。子ども達は過去のメールをよく読み返すそうですが、それらは「私はこれだけ○○ちゃんとやり取りしている」という友情の証明アルバムなのです。

 これはとくに、女の子はこういう傾向が強くなるのでしょうね。私の二人の娘は、結婚をして、今度は私の孫のことを心配しだしている私です。

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、1月25日、このUPがありました。

 2006年9月、長野県小諸市の小学6年生の女の子が、携帯のネットで知り合った男性に会いに行ってしまった事件は、全国的に話題になりました。覚えている方も多い事でしょう。
 いわゆる「出会い系サイト規制法」でも「18才未満の子どもは出会い系サイトを利用してはいけない」となっていますし、我々大人は「ネットで知り合った人に会いに行くな」などと子どもに言います。

 この事件は私は覚えていません。でもこれに類似したことが起きていることはよく感じています。ただし、私にはこうした子どもたちの心の中は少しも判っていません。

 しかし、なぜ子ども達はそんなに“会いに行ってしまう”のでしょうか?
 一つ参考になる情報として、ユニセフ(国連児童基金)が世界の先進国(約30カ国)の子ども達の実態調査をした統計があります。

 ぜひとも、この「SHIROのポメラ日記」のここにあるグラフを見てほしいと思います。もうただただ驚いてしまいます。ここには、

   「孤独を感じた事がある」15歳
    「自分は未熟で居場所がない」15歳

の二つのグラフは、この日本が第一位になっているのです。

 15才の子どもに「あなたは孤独を感じた事がありますか?」と質問すると、他の国はほとんど10%以下なのですが、日本だけ約30%でダントツのトップなのです。
 同様に、「自分は未熟で居場所がないと感じていますか?」という質問でも、約18%で日本はトップになっています。
 つまり、日本の今の子ども達は「わかってもらえない」大きな孤独を感じていて、「こんな僕じゃダメ」「どうせ私なんか」と自己評価が低い子が多いのです。

 だからこそ、日本の子どもたちは、ケータイで知り合った同じ子どもたちや、少し年上の大人たちに、話を聞いてほしい、話をしたいのだと思います。ケータイなら、どこででも連絡がとれるのです。

 そんな時、ネットで知り合い、優しい言葉をかけてくれる人に対して、「この人ならわかってくれる」「今の自分じゃダメだけど、この人に付いていったら新しい可能性があるかもしれない」と思ったら、会いに行ってしまうのです。
 大人からすれば「知らない人に会いに行くなんて危ないじゃないか」と思うのですが、「危ない」は「自分は大切で守るべきものだ」という意識があって初めて成り立ちます。「自分なんてダメダメだ」と自己評価が低い子どもは、危険なハードルを飛び越えてしまいます。
 ですから、「出会い系サイトを見るな」「会いに行くな」などと言えば済む問題ではありません。「私は大切な存在だ」「ここにいて幸せだ」と子ども達が思えるような環境を、家族や地域の大人達がどう作っていくかが大切なのです。

 だから、単純に「『出会い系サイト』はダメだ」「そんなところにすぐにアクセスできる携帯はダメだ」としか思わないし、そうしか言えないのです。

 私の高校時代の友人が、携帯電話を子どもから言われて、やっと持ったのですが、その子どもが少しも携帯電話で電話してこないというのです。その子どもたちは、お父さんに、「だから、ケータイメールしてきて」(実際にその親子の会話も直接私は聞きました)というのですが、お父さんには判らないことなのです。私にも、何度かケータイ電話してきても、私はいつも出られない時間と場所でした。あるとき、朝私が急いで歩いているときに、ちょうど柳田公園を歩いていたのですが、そのときに、携帯電話があり、私が「今はとても電話では話していられないから、ケータイメールをくださいよ」と言ったのですが、彼は、これじゃ息子と同じだと思ったらしく、それからは何の連絡もくれません。よっぽどケータイメールが嫌らしくて、その後は年賀状もくれません。

 いえ、私には、この感じの友人が何人かいます。もうこうなると、私が和紙の手紙を出しても取り返しがつかないようです。彼には、私の、ケータイメールも和紙の手紙も、インターネットもホームページも、私がよく喋る漢詩のことも、三派全学連のことも、すべてが嫌なことのようです。

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 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、1月24日、このUPがありました。

 私は基本的に「安易に『携帯禁止』をしてはいけない」と考えています。本業の情報センターのセミナーやイベントで子ども達に接している経験や、個人的に勉強している心理学・カウンセリング関係の知識からそう考えるのですが、そうした観点から物を言う人がなかなかいないので、この機会に書いてみたいと思います。

 まったく私も同じに考えています。ただ、それでも私はちゃんと言い切ることができません。いえ、妙に言い切ってしまうから、いつも怒られているのです。
 いや、私は「授業中にケータイメールをしていていいのか?」といわれて、「別に構わないのじゃない。俺だって、昔は、ずっと授業中、本を読んでいた」と言って、「だから、パパはどうしようもない人なんだ」と言われてしまうのですね。いや、本を読むことよりも、魅力ある授業内容を私は期待していたのです。

 我々大人もかつては子どもだったはずです。そして、周りの大人達に対して「どうしてわかってくれないんだろう?」と思ったこともあったでしょう。
 大人になると、どうしてその思いを忘れてしまうのでしょうか。
 日々の生活に忙殺されて、目に見えない人の心を思いやる余裕が無くなってしまうのでしょうか。苦しい子ども時代や青春時代をくぐり抜けて大人になって、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのでしょうか。私もその理由をいろいろ考えているのですが、結論は出ていません。
 それはともかくとして、子ども達の表の行動だけでなく、内面の心の問題にいかに向き合っていくか。理解していくか。難しい事ですが、ネット時代の今こそ必要なことではないかと思っています。

 私は今、私自身がどうであったことを思いだし(でも読書とケータイは違うというのかもしれませんが)、考えていきたいと思っています。

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 SHIROのポメラ日記 に [子どもと携帯電話]というカテゴリーがあり、このUPがありました。
 このshiroさんは、「地元のガールスカウトの子ども達にパソコンの使い方などを教えるサポートをしている」ということです。

 毎回、パソコンや携帯でのネット利用の注意点などを話しているのですが、今回は「日頃の不満を掲示板に書いてみよう」というテーマでやってみました。
 こちらで「日頃の不満ぶちまけ掲示板」というページを用意して、子ども達やリーダーの大人達にパソコンで開いてもらい、「日頃の学校や家での生活で不満に思っている事などを書いてください」といろいろ書き込んでもらいました。
 15分ほど書いてもらったのですが、たくさんの不満が出てきました。「担任変えて欲しい」「特定の子ばかりえこひいきする」「政府の人たちは国民のことを考えて欲しい」などなど…。みんないろいろな不満やストレスを感じながら生活していることがよくわかりました。

 私は約7年間、「松戸自主夜間中学」というところで、毎月1度パソコンの授業をしていました。まだインターネットの時代ではなく、パソコン通信の時代でした。
 思えば、今のスカイプではなく、netmeetingで、米国やロシア、南米、中国とも無料で会話できること、映像でも見られることをやったものでした。
 みなほぼ不登校の生徒さんたちが多く(他にも中国残留孤児の方とはいろいろいました)、でも残念なことに、その頃は、どうしてもパソコンでは、「勉強」という思いを抱いてしまうのでしょうか。あまり活発にはやってくれなかったものでした。
 だから、今の携帯電話による掲示板の書込み(プロフというのかな。私もあるところの会員になりましたが、あんまり私には面白くないので、もうやっていません)なんていうことは、私の過去のパソコン通信の時代にはなかったものです。
 でもこうしてshiroさんが子どもたちとお話しているのはいいことだと思います。

「そうだね。別な事で発散するっていうのも一つの手かもしれない。でも本当は、その問題そのものにちゃんと向き合って考えないと解決しない。例えば『担任変えて欲しい』っていう書き込みがあったけれども、それは担任の先生と何か誤解があったのかもしれないし、うまく伝わらないことがあったのかもしれない。お互いに確かめたり、直さなきゃいけない所は直したり、その問題そのものをどうにかしないと、結局は解決しないよね」。そんな話をしました。

 まったくこの通りだと思います。

 最近、学校裏サイトの掲示板などで人をいじめたり傷つけたりする書き込みをすることが、大きな問題になっています。「学校裏サイト禁止」「携帯禁止」といった「禁止」や「取り締まる」ことばかりが話題になるのですが、果たしてそれでいいのでしょうか。
 ネットや携帯電話の問題は、子ども達の心の問題が表に現れた「結果」に過ぎません。目に見える表の現象ばかりを見て、それを取り締まろうとするのではなく、元にある原因―子ども達の心の問題にちゃんと向き合わないと、本当には解決しないのです。
 「『大人ってどうして表の目に見えることしか見ようとしないんだろう』って思わない?」と聞くと、スカウトの子ども達はうんうんと頷いていました。
 子ども達の本音が伺えるこうした機会に、我々大人は大いに反省しないといけません。
 そして、これから5年後、あるいは10年後、今の子ども達が成長した時には、目に見える表のことばかりでなく、裏にある心の問題にちゃんと向き合える大人になって欲しい、そう願っています。

 思えば、私なんかは大昔から、どんなになっても自分勝手でした。上に書いたパソコン通信の場でも、私のやってきたこと、やっていることから、少しも変わらないことばかりをやっていたと思います。
 私はパソコン通信の場でもインターネットでも、自分の好きな漢詩の話、ヤクザ映画の話、自分の三派全学連、全共闘の話ばっかりしていました。
 今後は、もっとみなに合わせたことを、一緒にたくさんやっていきたい、いくべきだと思っています。

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 リンクス「SHIROのポメラ日記」斎藤史郎さんから、次のコメントをいただきました。

1. Posted by 斎藤史郎    2009年01月21日 08:36
「SHIROのポメラ日記」の斎藤史郎です。
リンクしていただき、ありがとうございます。
ほめていただいて何だか気恥ずかしいです。
文章を書いたり講座で話したりしていて、自分もまだまだ勉強不足だと感じることが多々あります。
が、文科省や各県教委なども「小中学校での携帯持ち込み禁止」の方向に動いているようなので、「それはちょっと違うぞ」と声を出していく人間が必要だと思っています。
子どもと携帯電話の問題についてはまたぼつぼつと書いていく予定ですので、よかったらまたお寄り下さい。

 わざわざありがとうございました。貴ブログのケータイに関する書込みについては、またトラックバックさせてもらいます。
 前には、学校ではパソコンに関して、「あれはよくない」という声を聞いたものでした。インターネットに関しても、「あれはよくない」という声ばかりでした。そして今はケータイなんですね。
 近代でも、「ペンはよくない、日本には筆があるのだから」という言い方がありました。古代日本では、「文字はよくない」という言い方がありました」。実際にかたくなに文字を使わない人がいたようです。
 そんな何度も繰り返したことを思います。
 斎藤史郎さんのサイトはいつも読んでいて、けっこうたくさん私が学んでいます。昨日も飲み始めた店で、ポメラで書き始めていました。でも何故か昨日は2軒目でも飲んでいました。途中から記憶がありません。

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 私のこのブログのサイドバーで、このサイトをリンクいたしました。16日にリンクしていました。「将門のブックマーク」にてリンクしています。
 以下は、彼のサイト内の記事を、私がトラックバックしたものです。

   「子どもと携帯電話」 「ポメラの牙」

 私よりはずっと若い方ですが、読んでいてとっても頷いています。私はいつもどこでも酒を飲んでやにはに詩吟をやっているようなおっさん(というより初老のじじい)ですが、この彼が言われていることはとっても気持いいです。
 私自身もしっかりと自分の考えをちゃんと新たにしていこうと思っておりましたものです。

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 SHIROのポメラ日記 に 以下のUPがありました。

   [ポメラ]ポメラの牙

 これは読んでいて、実にたくさんのことに頷いていました。

mixiのコミュニティで「PCや携帯はネットにつないで情報をインプットするデバイスだが、ポメラはアウトプットするためのデバイスだ」といったことを書いた人がいた。なるほど!と私は膝を打った。

 このことは、私もおおいに納得します。だから、まだ私は慣れきれていないのかもしれません。私自身は、まだ自分の考えでアウトプットしきれる雅量も知識も備わっていないのですね。

私は本業の情報センターで「子どもと携帯電話」という出前講座を行っている。携帯を使っていて起こる様々な問題やその対策について、地域の自治会で保護者・大人向けに話したり、小中学校で子ども達に話したりしている。
子どもの携帯の問題については様々な所で取り上げられているが、一方では技術論から入ってフィルタリングやサイバーポリスの話に終始し、他方ではよくわからない保護者達が「子どもは携帯禁止」などと叫んでひたすら否定してみたりする。
私は趣味で心理学やカウンセリングの勉強をしているので、「携帯の問題は、子どもの心の問題が表に現れた結果に過ぎない」と思っている。そのため講座でも、「自分自身を大切に」「子どもの心に向き合いましょう」などと心の問題に重点を置いて話すことにしている。

 いや、この問題は私なんか、「子どもたちに、『携帯電話は禁止』なんていう親や学校は駄目だなあ」という思いですが、でも私がその私の思いを露出できる雅量がないことが、自分が駄目だなあと思うところなのです。
 でも、SHIROさんはちゃんと言い切っています。もう私は感心すると同時に、自分もちゃんとして行こうと思うばかりです。

 携帯の講座で子ども達にこんなことを話している。
「皆さんは今は子どもですから、親や学校や社会から何かをもらう立場です。でも、あと何年かすれば成長して大人になります。“大人になる”ということは、今度はあなた達が自分の子どもや社会に対して、何かを与えたり作ったりする立場になる、ということです。そのことをよく考えてみてください。」

 もうすぐに、私の孫たちもすぐに大きくなります。私のあんなに可愛いだけだった娘二人も教員になり、結婚して、長女は二人の子どもの親になりました。次女もすぐに親になるでしょう。
 私はこの二人の娘にも、絵本を読んできて、たくさんの本を読むこと、映画を見て、いろんな思いを抱くことを喋ってきました。娘たちの学校へ行って、授業参観をして、そしていろんなことをしてきました。
 今私は二人の娘にいっぱいの手紙を書き、次女には毎回漢詩を紹介しています。
 これからも私は、私の孫にも同じことをしていくでしょう。

小さなポメラから、つぶらなモノクロの瞳で見上げられ、「あなたは何が作れるの?」と聞かれたら、どう答えるか。かわいいナリをして、実は鋭い牙を隠し持ったあなどれない奴かもしれない、と最近思う。

 もっと私もやりきっていかないとならないなあ、と強く思っています。

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 SHIROのポメラ日記 に 以下のUPがありました。

   [子どもと携帯電話]出前講座「中学生と携帯電話」
   [子どもと携帯電話]本当に来て欲しい親は…

 そして次の言葉におおいに頷いていました。

e0bf94e9.jpg「負けないのが大事なのではない。負けたり失敗したりしながら、自分の人生を大切に生きることが大切」

「今は生涯学習の時代で、勉強は一生続く。高校や大学で人生が決まる訳じゃない。勉強したいと思った時が勉強する時」

 私は、「携帯電話を学校へ持ってきてはいけない」とか言い出す前に、こうしたケータイに関する学ぶ場が学校で必要だと思います。
 少し前までは、学校でもパソコンに関する論議がありました。もうパソコンが駄目だという論議がものすごくありました。でも、もはやそうしたことはなくなったようです。それにパソコンを使えない私たちの世代は、もう学校を去っている段階です。
 それが今はケータイなのでしょうね。私の姪(兄の娘)の二人の息子は、今中1と小4ですが、二人ともケータイを持っています。それで私にもケータイメールをくれます。
 私はこの二人にも和紙の手紙を書いています。二人は、私が常にパソコンを使っているから、こうして手紙も書くんだと思っているはずです。

 思い出します。私の娘が中学生の頃、その中学へ行くと、パソコン教室があり、パソコンが一クラスの人数分30台とプリンタが15台列んでいました。でもその教室には鍵が常時かけられており、外から見る私には、ただただ綺麗に整然と機器がならんでいただけです。
 そうですね。その頃もよくお酒を私が買っていました我孫子の春日やさんでは、店内にあるパソコンのキードードをみんなが手あかがついて黒くなるまで店主さんが許さなかったようです。これは実に正しいことです。綺麗に整然として、誰もその部屋に入れないなんて、もうどうしようもないことです。

 思い出せば、その頃のパソコンの授業のテストがありまして、それはたしかMS−DOSの用語が列んでいたかと思います(もうくだらないから覚えていないよ)。私は「こんなのパパはできないよ。こんなのペーパーテストでできる必要ないよ。実際に手でパソコンが操作できることが大事なんだ」と言ったものです。
 二人も娘も、そんなテストのくだらなさを判っていました。でも、そういうテストでも満点を取る子がいるようでした。ものすごい記憶力です。
 私が、ある授業でやっていた環境問題のことで(私が見学しました)、「参考になればいいと思いました」と各新聞のその環境問題に関する記事をA4用紙に10数枚プリントして娘から、その先生へあげたことがあります。ぜひパソコンで、こういう記事を画面上で見られることを知れば、生徒たちは、パソコンとインターネットの有意義さと環境問題への深刻さが少しは判ると思ったのでした。
 でもその先生からかえってきたのは、もちろん感謝の声もありましたが、まず第一に「お父さんがわざわざこれを打ってくれたのか?」ということでした。私はもうあきれかえったことを、よく覚えています。
 でもこれは1992年のことです。もうそれから17年が経過しているのです。でも今度はケータイでも同じなのでしょうね。パソコンに関して、あれほど反感を持っていたとしか思えない人たち(やその同類者とその後輩たち)が、今はケータイにも同じ目を向けているのです。

 私は圧倒的に学生運動(というか革命運動のつもりでしたが)をやっていましたが、その時代の仲間友人たちも、今はほぼパソコンには苦手意識ばかりで、インターネットにも精通しようとはしません。ましてこのケータイも同じです。携帯は、あくまで電話で会話する道具だと思っていまして、インターネットで調べものをしたり、ケータイメールで会話するなんて、思いもよらないようです。
 むしろ学生運動もやならかった人たちのほうが、けっこうやってくれています。60代後半、70代、80代の方がやってくれていることが、私には大変に嬉しいです。それらの年代の方ともケータイで交信できることは、私には嬉しいものです。

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ff64917d.jpg SHIROのポメラ日記 を私のここのサイドバーにある「将門のブックマーク」で、リンクいたしました。これで毎日いつでも簡単に読めます。
 これを読んでいますと、shiroさんは、小中学校へ携帯電話のことで講義されることがあるようです。感心して読んでいました。
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