さて、しつこい周は
のあと、やはりきちんと井上ひさしさん並びに毎日新聞学芸部へ連絡するべきだと思い、以下の文書を書留にて送付しました。
１９９２年１０月８日
毎日新聞社学芸部
桐 原 良 光 様
ここに私の住所会社電話
ここに自宅の住所電話
萩 原 周 二
前略
突然おたよりさしあげます。私は永年貴紙を愛読しているものです。９月
２８日（月）の夕刊６面の「文化 批評と表現」の
［ひさし響談］井上ひさし 「居座る」吉川英治、生誕百年「武蔵」の理
想に思い
の文面中疑問がありましたもので、こうして文書を差し上げる次第で
す。
いずれにしても、わたしたちの吉川武蔵への傾倒ぶりといったらた
いへんなもので、たとえば作中、武蔵が弟子（伊織だったと思いま
すが）に麻の実を蒔いてその上を毎日飛ぶようにと命じる部分があ
りますが、わたしたちはみんな、自分たちもそう命じられたような錯
覚に陥って、てんでに裏の畑に麻を蒔きました。蒔いてどうするの
かいうと、毎朝その上を跳ぶ。
麻は成長が早く丈も高く伸びますから、その上を跳んでいれば自
然に「天狗飛切の術」が会得できるはずでしたが、たいていの子は
夏休み前に断念していました。そのころ麻は背丈ほどにもなります
からこれはもう走り高跳びの選手でなければ跳べません。そこで泣
く泣く剣客の道を諦めるわけですが、こんなふうに吉川武蔵の影響
は大でした。
以上のところなのですが、私はこんなシーンが「宮本武蔵」にあったか
な、これは同じ吉川英治の「天兵童子」ではないのかと思い、調べてみ
ました。そうすると、「宮本武蔵」の「円明の巻」の「麻の胚子」という章
で、柳生兵庫が丑之助という百姓の子が剣道を習いたいというのを、
道場で教え、丑之助が兵庫の肩のうえを跳び越えるのをみて、そのわ
けを聞くところにあります。
「ふゥむ？ ……麻の胚子でか」
「あ、春先、麻の胚子を蒔くんだよ。すると、土から青い芽がそろっ
て出て来るがな」
「それをどうするのか」
「跳ぶのさ−毎日毎日、麻の芽を跳ぶのが修行だよ。あたたかくなっ
て、伸び出すと、麻ほど伸びの早いものはないだろ。それを朝に跳び、
晩に跳びしていると──麻も一尺、二尺、三尺、四尺とぐんぐん伸びて
行くから、怠けていたら、人間の勉強の方が負けて、しまいには跳び
越えられないほど高くなってしまう……」
しかしこれは井上ひさしさんのいう内容とはかなり違います。丑之助は
誰かに命じられて、これをやったわけではありません。まして武蔵は関
係ありません。次に「天兵童子」も調べてみました。そうすると、これは
「天兵童子」の「地に蒔く麻の実」と「知らずや天兵」という章に次のよう
にありました。
天兵が石見街道の茶店で、ある浪人者に会い、その弟子になろうと
します。この浪人は南木菩提次という、羽柴秀吉の部下の武将です。
この浪人が麻の実を蒔いて、その上を１２０日間跳びこえろといいま
す。
地に蒔く麻の実
浪人者は、畑の土を足でならした。そして掌（てのひら）の中にに
ぎっている麻の実で、大きな一の字を書くように、ばらばらと土へそ
れを蒔いてから、また足で土をうすくかぶせた。
（中略）
知らずや天兵
大地に蒔かれた麻の実は、いく日かたつと、青い芽をふいた。一
センチ──二センチ──と、その芽は背を伸ばす。
（中略）
二メートル近くになると、一センチ伸びても、とぶ困難ははなはだ
しく増してくる。──しかし、芽生のうちからまいにち修練していたの
で、二ートルになってもとべた。三メートルになってもとぶことがで
きた。
「おいおい、あの小僧は天狗の子じゃないか。あんな高い麻をとび
こえるぞ。──何百ぺんでも麻の葉にさわらないでとびこえるぞよ」
やはり井上ひさしさんの文は、「宮本武蔵」ではなく「天兵童子」のほ
うではないでしょうか。井上ひさしさんとその友達たちは、これを読んで
真似したのだと思います。
となると、これは井上さんの勘違いなのでしょうか。しかし、これはか
なりな核心の部分だと思います。ほとんど全編「宮本武蔵」のことで展
開されていますから、この勘違いはかなり致命的な誤謬だと思います。
また、貴紙学芸部としてもこれを校閲で正せなかったものなのでしょう
か。
どうか納得のいくご返事をいただきたく思います。そして間違いが確
認できるのであれば、紙面上にて訂正解説をお願いしたく思います。
私普段は事務所におりますので、連絡等はお茶の水の事務所まで
お願いいたします。 早 々
それで本日不十分な形ですが、電話にて返事がありました。それは次回
ＵＰ分です。
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