曲名  憎しみのるつぼ
作詩作曲 エリ・ラージン
訳詞  鹿地 亘

一 憎しみのるつぼに 赤く焼くる
  くろがねの劒を 打ちきたえよ
  くろがねの劒を 打ちきたえよ
二 圧制のとりで よし堅くとも
  暴虐の嵐 よしすさぶとも
  暴虐の嵐 よしすさぶとも
三 同志の腕よ 固く結び
  同志の誓いよ 高く胸打ち
  同志の誓いよ 高く胸打ち
四 屈辱の歴史 その日閉ずる
  最後の戦いを 戦い抜かん
  最後の戦いを 戦い抜かん
五 真紅の旗を見よ 屍の
  築きなすとりでに 翻える見よ
  築きなすとりでに 翻える見よ

12042705 実はこの歌は唄ったことが一度もありません。私たちの時代にはもう唄うことはなかったように思います。強烈に思い出すのは、斉藤龍鳳「私の戦後史」の中のある一節です。
 斉藤龍鳳は昔三派全学連の集会に出てきて以下のような挨拶をする目茶苦茶な人でした。

  私は一〇代の頃より、アメリカ帝国主義と戦ってまいりました。
  一〇代では、帝国海軍の一兵士として、二〇代では日本共産党員
  として、三〇代はこうして、諸君と共に……。

 当然会場は、「バカヤロウ」「ナンセンス!」の怒号が飛び交います。三派全学連というのは、アメリカ帝国主義を敵としているのではなく、日本帝国主義こそが相手だったわけですから。
 でも私はそうしたことはこの斉藤龍鳳に関しては、あまりどうでも良かったのです。なんだかこんないわばデタラメにも思える彼が好きでした。たくさんの映画の評論も好きです。私がヤクザ映画を大変に好きになったのも、斉藤龍鳳の影響があります。三九歳の時に善隣館闘争に参加し、そののち日大、東大闘争にも参加してきます。しかし、長く薬中毒であり、一九七一年四三歳でガス中毒で死にます。
 この斉藤龍鳳の文の一節に、一九四七年の中学五年の時のことが書いてあります。

  ……会計主任の部屋は「舞踏けい古場」から、一変して「マル
  クス・レーニン主義研究所」になってしまった。やがて卒業式で
  私たちが出て行く時、彼は「君が代」拒否の運動をもりあげ「憎
  しみのるつぼ」と「ワルシャワ労働歌」で私たちを見送り、学校
  創設以来の反乱指導者になっていた。…………。

 この歌は、一八九七年モスクワのタガンスクの独房の中で、エリ・ラージンが作詩作曲したと言われています。レーニンも大変にこの歌が好きだったようです。(1998.12.01)