将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ムイシュキン公爵

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『悪霊』と『未成年』やらそれに余計なこと に以下のように書きました。

あ、立命館闘争を描いている『全共闘記』という作品にムイシュキン公爵と呼ばれている人物が出てきます。以下読んでみてください。兵頭正俊「死了魁

 でも実際にこの私の書評の兵頭正俊『死了魁には、その小説の中のムイシュキン公爵のことは少しも書いてありませんでした。この小説の中で、このムイシュキン公爵は、大きな存在をしめている人物なのですが、でも私は何も書いていませんでした。それに、私のこの本は、我孫子の自宅にありまして、今は参照することができません。
 できたら、この『死了魁戮鯑匹鵑任澆討ださい。

 でもこの『死了魁戮魎泙鵑澄愾感ζ記』全体でも思うのですが、あの時代を体験した人間は、自分の体験を実に大きな忘れられないものと思っているわけなのでしょうが、それは他の世代でも誰もが同じような大きな体験をしてきていたということなのだろうと思います。
 60年安保闘争世代も、その前に日共左派時代の体験世代も、その前の戦争体験でも、その前の2・26事件の世代でも、みな同じじゃないのかなあ。
 この『死了魁戮如⇔命館の闘争のことでも、同時に書かれています源実朝の公暁による暗殺事件でも、同じじゃないかなあ。当事者には、それこそ大きな大変な事件だったろうと思います。でも当事者は、誰もが忘れられない大きな出来事であっても、歴史はそれを次第にはるか彼方へ押しやります。そして私たちの記憶に残るだけのものになってしまいます。

 このことはもう致し方ないことなのかなあ。

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 この前の宮本百合子『伸子』を思い出したと、その前に書いた沙悟浄のことで で、この朝霞警察署の留置場にいたときの読んだ本の思い出を書きました。そうすると、このときに読んだ何冊かの本のことを思い出してきました。
 私はこの朝霞に留置される3カ月と20日前までは府中刑務所に勾留されていました。だが府中刑務所では、ノートとボールペンの使用が許されており、それで少しは記録が書けるわけですが、この朝霞にいた(たしか3カ月半くらいいたなあ)期間は、本は読むだけで、記録は残せませんでした。だから今になって、きゅうにいくつもの本を思い出したわけなのです。
 いろいろな本を読みましたが、さきほど思い出したのは、ドストエフスキーの『悪霊』と『未成年』です。『未成年』のほうは、「これほどの事件なのかなあ?」なんていう思いでしたが、『悪霊』はそれこそもう内容の展開に引きつけられました。
 私はドストエフスキーは、中学生のときに『罪と罰』を読んだだけでした。そのあとは、この1968年に府中刑務所から保釈で出獄したときに、『カラマーゾフ兄弟』を読んでいました。そのあとが、この『悪霊』と『未成年』でした。その後『白痴』、『死の家の記録』、『虐げられた人びと』、『地下室の手記』は読みました。膨大な書簡集含めて、昔から(大学生の時)全作品を読まなくちゃいけないと考えた作家の一人です。
 でも『悪霊』はもう一度読まないといけないなあと今思いました。スタボローギン、キリーロフ等の登場人物の名前と何をしていたかなんてことは思い出せますが、細かいことは思い浮かんできません。

 あ、また思い出した。昔ゴールデン街のどこかの飲み屋でアルバイトしていた、ドストエフスキーの作品の好きな娘が居た店があって、その娘に『白痴』のムイシュキン公爵のことで、「実は、あのムイシュキン公爵のモデルは、この日本にきていたことがあるんだ」なんて嘘ついてたなあ。ゴメンね(ゴメンじゃすまないなあ)。それで私の嘘は、かなりなことを言い続けるのですね。

 そのムイシュキン公爵はね、あ、もちろんモデルなだけだから、本名は違うのだけど、日本でも京都へ行ってね、そこで立命館の闘争と拘わってしまったのだけど……………………

 なんていう嘘をつきつづけました。(あ、立命館闘争を描いている『全共闘記』という作品にムイシュキン公爵と呼ばれている人物が出てきます。以下読んでみてください。兵頭正俊「死了魁
 あ、でもこれからいろいろと読み返してみましょう。 

  『死了魁戮離爛ぅ轡絅ン公爵 へ

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