前回（109）は離縁状ということを書きました。昔（江戸時代）は離婚が多かったのです。そしてそれは武士階級ではなく、百姓町人に多かったのです。武士は体面の上で生活していたのですが、庶民は男も女も本音で生きていたのです。
この挿絵がおようなのです。これは元の亭主からの離縁状を手にしているのです。江戸時代以前は女のほうから離婚はできませんでした。女の側からは、縁切り寺といわれる北鎌倉東慶寺があるだけでした（もっとも、もっと盛んに離婚結婚を繰り返していたという話もあり、いや逆の説もあります。ただ私の母方の祖父、祖母は互いに明治期に再婚同士でした）。……、おようは末廣に寝泊まりしていた。となればもちろん家事も手伝う。今年も緑茶の売り買いがはじまろうという時季で船宿はにぎわっていたから、おようの手があるのは好都合だった。
「やっぱしナ、おめえもだまされたか」
「え？」
「猫をかぶっていやがるんだ。へ、イイタマさ」
この時代は、明治維新はつい先ごろのことなのですね。
次郎長の迫力がこのときにも発揮されるのです。いやそれもここで知るということなのです。 「いやァ、あんときゃおったまげたぜ」
……次郎長、最後にはおようの亭主をねじふせた。初志郎が「おったまげた」というのは、そのときのあざやかな手際のことである。
〈わしにゃ子分がいる。喜んで命を投げ出すものは千をくだらねえ。それさえ承知なら、煮るなり焼くなりしてもらおう〉
先方が及び腰になったところで、
〈いずれ、あらためて、挨拶させてもらわァ〉
ドスの聞いた声でいって、きびすを返した。
次郎長のことです。おようを親身に思うようになるはずです。
植木の医院で天袋の中におようは隠れていたのです。
この挿絵は次郎長が植木の医院に助太刀に来るところです。「そういえば、引っ越す前の家にもかくし部屋がありました。やっぱり屋根裏に」
「親方ならぬかりはないサ」
腐っても鯛、好々爺でも次郎長は次郎長。
「おようさん。おりてきてください。狼藉者は退散しました。もう大丈夫です」
天井で物音がした。
「先生がおりてくるようにっておっしゃっていますよ。先生はお怪我をされて……」
「まァ、たいへん」
低くて鼻にかかったような声が返ってきた」
この時代は、明治維新はつい先ごろのことなのですね。なかへ入るや、これは実に大変なできごとです。
息をのむ。 水桶や七輪がひっくりかえって、土間は水びたし、灰や野菜、履物や陶器のカケラが散乱している。襖も破けたり傾いたり、さながら家のなかを竜巻を吹きぬけたかのようだ。
「池田屋、寺田屋、近江屋……急襲された者たちの恐怖がようやくわかったとじゃ」「なんのことですか」「ご維新のころ、京都で物騒な事件が起こった。敵方、つまり幕府方に斬り込まれて、わが土佐の同士も命を落とした」「それなら清水だって……」けんは二代目おちょうのことをいっているのです。二代目おちょうは幕府側の者に惨殺されているのです。
初志郎はもう以前と同じにもどっています。もうこうしてなるのが当然なようです。
初志郎は、なにごともなかったような 顔で朝飯の席にあらわれた。家族も居候もびっくり仰天した。が、 それ以上にみんなが驚いたのは、次郎長が顔色ひとつ変えず、平然 と箸をうごかしていたことだ。初志朗はでかけます。カラムシ畑をつくる準備なのです。 植木医院のことはけんは気になるのですが、まだわからないのです。
けんは着物を放りだした。 「先生に、なにかッ」 初志郎は次郎長にもおちょうにも、 女を植木にあずけた話をしていない。 おちょうとはるはけげんな顔である。植木のところで何かがあったようです。 三保村の乙吉が
「た、大変だ。だれか、きてくれッ。」というのです。 さてどうしたのでしょうか。
この回は、初志郎が次郎長に謝りに行きます。やっとこれで親子の情がもどったのですね。
「う、うう、なんだ、朝っぱらから」 「なんだじゃないでしょう」 次郎長が待っているというと、さすがに初志郎は跳ね起きた。そしてけんは初志郎を次郎長に謝らせるのです。
次郎長は、殴りも蹴りもしなかった。 しばらくにぎり拳をふるわせていたものの、「カラムシは寒さに弱い。夏前に 植えて秋にァ刈りとる。となりゃ、ぐずぐずできんぞ」 それだけいって歩きだした。家へ帰ってゆく次郎長を、けんは初 志郎とならんで見送る。
これでよかった。これでまた親子になれるのです。
さあ、でも植木のほうも心配です。 これを書きましたのは５時頃なのですが、ＵＰするのは今になりました。いやいくらやってもＵＰできないのです。
私は前回「それは植木に関係したことじゃないか」と書いたのですが、見事外れてしまいました。それは初志郎なのです。
初志郎は眠っていた。こんなときによくもまあ眠っていられるものだとあきれたものの、今はそんなことをいっているときではなかった。
「初兄ちゃん、起きて、初兄ちゃん」
声を殺して呼びたてる。
そもそも次郎長も判っていたのかもしれません。
次郎長ももう、なにかがおかしいとかんじているはずだ。初志郎が帰ってきたのではないかと気づいたかもしれない。それでもけんの話に乗ることにしたのは、初志郎とどう対峙したらよいかわからず、苦慮しているからだろう。
これはいい機会です。次郎長と初志郎にはこうしたけんの機転があって始めて親子の絆を感じることができるのです。
これできっとうまく行くものだと思います。さて、植木とけんはどうなるのでしょうか。
カラムシという植物が育つのです。
「それはいいけれどおとうちゃん、この地をひとりで耕すのはムリですよ」
今朝は次郎長と歩くけんがいます。
おちょうは知っていたのです。きっとそうなのです。「ただ娘の顔がみたかったのか」であるわけはないのです
おちょうはカマチに膝をそろえて座っていた
浴衣のどてらといういでたちでも、やはりおちょうはおちょうらしく凜としている。
しかしけんは落ち着いてはいられません。植木とあの女のことが気になるのです。
けんはくちびるをひきむすんだ。風呂場へいって、のこり湯で足をあらう。ゴシゴシと力をこめたのは、そうでもしなければじっとしたいられないほど胸がたかぶっていたからだ。
これが「恋」というのでしょうか。だがその後も、この恋は成就されないのです。なぜなのかなあ。
初志郎はとんでもない人なのです。でもその女もそれこそとんでもないのです。
初志郎は言葉巧みに女を植木に押しつけた。
初志郎の話をどこまで信じたはともかく、植木は医者である。患者を見すてるわけにはいかない。女はこのまま、診察室へ泊まってゆくことになった。
初志郎はさらに言うのです。
「………………。差し込みが治る前に、あることないことお涙頂戴話をでっちあげて、匿ってもらう約束をとりつけらァな」
「そんなひどい……」
本当にひどいです。初志郎もおんなもひどいです。でも、今度はまた驚きます。
けんは茫然としていた。ようやく気をとりなおして勝手口からなかへ入るや、今度は息をのむ。
どうしたのでしょうか。それは次回になるのでしょう。
こんな次から次に驚くようなことが起きるのが人生であるわけです。それをこうして見ているのですね。
植木は事情が判らないままに初志郎の女を診ます。
植木は、はじえめてそこにいることに気づいたとでもいうように初志郎を見た。
「そういや、おまえさんは行方知れずだったなんじゃないかね。みんな心配しとったぞ」
この植木の心配も次のように言います。
「痛みがおさまれば素性を話す
たァおもいますがね、この雨だし夜道かあるし、それに、どうも切羽つまった事情があるようで……」
しかし、こうして植木を巻き込んでしまったのです。さてどうなるのでしょうか。
けんが初志郎の言う通り、女の急病を装いますが、これで植木を巻き込んだのです。
急患などいない。初志郎がつれてくるのは初志郎がいっしょに暮らしていた女で、しかもその女はコワモテの男たちに追われている。先生にも危害が及ぶかもしれない。
これでもうあともどりはできないのです。
兄ちゃんのせいだ──。
初志郎と女がわるびれる様子もなく芝居をしているのが腹立たしい。なにより植木をあざむく片棒をかついでしまってた自分がゆるせない。
どうしてこんなことになってしまったのだろうというけんの思い
が伝わります。でももうやってしまったことなのです。こんなことってありますね。そしてそれが大きなことになってしまうことが多々あることを私は過去の経験から知っています。
そうねえ、これからどうなるのでしょうか。
この事態で（本当はけんも読者もその事態がちゃんとつかめていない）、けんはいわば植木の医院へ駆け込むのです。
入口に鍵をかける家はない。けんは戸を開けて中へ入る。
先生が家にいるのはまちがいなかった、灯りだけでなく土間を見れば一目瞭然。見慣れた下駄と草履がならんでいる。
けんは声を出します。驚く事態なのです。
「先生ッ。おねがいがあってまいりましたッ」
けんは声をはりあげた。すると二階でガサゴソと音がした。
植木が居眠りをしてしまっていたのです。ただけんは、「なにがあった？」と問いかけてくる植木にちゃんと答えられません。それは初志郎のこんな突然の依頼に、その初志郎の言う通りにできるのかは無理なことだと読者も私も思います。
「先生に診てほしいって人が……」
やっぱりわけを話さないとならないでしょう。でもそうしたら、もう植木も初志郎にやることに巻き込んでしまうのです。
………まあ、仕方ないのかなあ。
けんはこの事態に混乱してしまいます。でも初志郎とはいわば大切な兄妹なのです。
植木先生に迷惑をかけたくない。先生は休む間もなくはたらいている。厄介事などもちこみたくない。
その一方で初志郎はろくでなしだが、どこか憎めないところがある。………………。
けんは「初兄ちゃんてば、もう─」と思いながら、
あきれたり怒ったりするくせに初志郎をつきはなせないのは、けんも同じだ。………。
これはけんが次郎長と同じだということなのです。それで初志郎のいう通り、植木に頼み込むことになります。
けんは足を泥まみれにして、植木の家までたどりついた。
「先生ッ、植木先生ッ」
さてこれで植木には厄介ごとを持ち込んで、でもでもこれで植木とけんとの仲がもっと親しくなるのでしょうか。また明日を楽しみに待ちます。
初志朗はこういうやっかいごとをけんに頼むのです。「あなたを男と見込んで（けんは１７歳の少女ですが）」などといわないのはいい。でも実にやっかいなことです。
勘当だ家に入れるなとわめきたてながらも次郎長が初志郎の住まいをそのままにしているのは、なんだかんだいっても、帰ってきたら迎えいれるつもりでいるからだろう。
実にこの気持は痛いほど分かるつもりです。けんが「あした、お父ちゃんにあやまって……」というのは本当にけんはそうしてほしいのです。でも初志郎にはそんな気はなく、まったく別の方策を考えているのです。植木先生のところに、その相手の女を匿おう（植木はまったく知らないわけですが）というのです。それをけんに頼んでもらおうというのです。
………。………、植木は次郎長の家族にも世話になっている。とりわけけんには人手が足りないときに手伝
ってもらっているから、けんの頼みとあれば、ひきうけざるをえないはずだ。
うーん、実に初志郎にはけんはいい存在なのですね。もう間違いなく、こうしたことを引き受けてしまうけんなのでしょう。
このけんが大好きになってきます。歴史上、実在の人物のようですから、諸田玲子さんがこの小説以外にも書いてくれるのかなあ。そうなったらぜひ読みたいです。
春霧の気配が夜のにおいからつたわってくる。
私は春霖なる言葉を知りませんでした。「しゅんりん」と読むのですね。私の持つ「漢語林」（大修林）にはありませんでした。（あ、「春霖」がないのですよ。「霖」はあります。念のためです）。
それでインターネット上で調べました。
http://www.bionet.jp/2012/04/iro6-2/
春霖 色、いろいろ。 住まいネット新聞「びお」
で次のようにありました（もっと長く書いてありますが）。
春の長雨は、春霖。秋の長雨は、秋霖。
霖は、ながあめという意味の漢字です。当用漢字に入っていないので、気象庁はこの言葉を用いないで、放送などでは「春の長雨」「秋の長雨」と言っています。
春霖という言葉は、梅雨ほどの鬱陶しさは感じられず、秋霖のような暗さもありませんが、やや生硬な感じがあります。春霖と菜種梅雨は同意語ですので、こちらの方が春の長雨の感じがよく出ているように思われます。
インターネットっていいものですね。
けんのところに初志郎が来るのですが、どうやら女性を連れているようです。
「手を貸してくれ。人を匿ってもらいてェんだ。わるいやつらに追われていて……」
「女の人？」
これでけんは初志郎の頼みを聞くのでしょう。これはいいこと、当然のことです。この「わるいやつら」がいけないはずなのですから。
けんと芝栄が一緒に歌を唄います。ものすごくいいシーンです。
芝栄は五十歳、はたらきざかりだ。体力も気力もありあまっているのだろうが、それにしても、よくまァあきもせず、腹をたてていられるものである。いや、芝栄は土地の所有権うんぬんの前に、喧嘩そのものが生きがいの一つになっているのかもしれない。
このあとのけんとの会話が目に見えるようなのです。私も嬉しいです。
「だったら小父ちゃん、教えてあげるから、いっしょにうたいましょ」
けんは芝栄のかたわらにしゃがみこむ。
「木遣りや詩吟ならちったァやるが、そういうやつはなァ……」
目ン玉をよせながらも、けんめいに歌詞をおぼえ、芝栄もいっしょにうたう。そのせいかどうか、表情はやわらいでした。
私もものすごく嬉しく、そして今度の２１日の母の七回忌に私が詩を詠おうという気持になりました。
おちょうはけんに注意します。
ひとりで出歩かないようにと、おちょうはけんに注意した。
やはりこの清水もへんなやつらが出入りしているのです。さて、どんな奴らでどうなるのでしょうか。
小笠原長生との会話は終わりました。なんだか、それが読んでいる私にも少し寂しい思いです。
海軍大学校を卒業すれば出世まちがいなしと聞いている。小笠原なら、海軍大佐にも海軍大将にもなれるにちがいない。
そんな男の妻に迎えられる女は、華族の令嬢か資産家の娘か。港町の庶民の娘ではないはずだ。ましてや、元博徒の娘などもってのほか。
ここでけんは歌を唄います。その歌が私にも聞こえるような思いになります。
「埴生の宿も わが宿 玉のよそい うらやまじ のどかなりや 春の空 花はあるじとりは友 おーわが宿よ たのしとも たのもしや」
けんは口ずさんでいた。………………。
この唄をいい唄だなあ、と聞いていたのが芝栄の芝野栄七です。この栄七は今旧幕臣の白井音二郎と土地のことで、ずっと争い続けているようです。それが白井の側には人相の悪い連中が来ているようです。
でも多分、この連中は白井とは関係ないでしょう。この清水も新しい連中が来ているのでしょう。ただし、これは私の予想です。この私の予想では、けっして清水はいい時代に向かっているわけではないのです。
私は「埴生の宿」の唄で、はるか昔に見た「市川昆『ビルマの竪琴』」で、三國連太郎率いている日本軍が合唱し、英軍もそれにわして合唱してしまうシーンを思い出し、今涙にいっぱいになっています。いい映画で、いい唄です。このシーンで「埴生の宿」は何度でも思い出す歌です。
今日も日経新聞が来るのが待ち遠しいです。ただただこの小説が読みたいのです。今はもうけんが大好きになった私なのです。でも来たらこうして早速手にして読みました。
あれは去年の新緑の季節だった。
<七月から海軍大学生です。当分、こちらへはおじゃまできなくなります>
小笠原はわざわざ末廣へ挨拶にやってきた。
その律儀さには次郎長は感激した。………………。
この小笠原は、白い制服を着ていて、ものすごく格好いいのですが、<おけんさんはいいなあ> というのですが、彼は さらに<ぼくだけではない。広瀬少尉だって、……… >というのです。
私は私の大好きな広瀬武夫も大変だったのでした。私はそれを知らないから、駄目なんだなあ、と自分に言い聞かせました。
先の小笠原の言葉が続くのです。
<………。みんな、家柄や体裁
にしばられて、がんじがらめで生きているから、おけんさんや親方がうらやましいのです。親方の話を聞いていると、自分にはなかった子供時代が見つかったようで愉快になります>
みんなそれぞれ大変な人生を送ってきたのですね。こうして改めて知って良かった思いです。
次郎長が富士の裾野の開墾をしたことは、知識では知っていても、それ以上は何も知りませんでした。いわば上手くいかなかったのかなあ、と私は思いました。次郎長は１０年間もやっていたのですね。
けんは防波堤で富士山を見ていた。
雪化粧をした姿はあまりに神々しくて、………。………………。
次のくだりは、ものすごく納得します。
この世には、手のとどかないものがある。
けんには小笠原との邂逅がものすごく大事な嬉しいことだったでしょう。でも今は思い出すしかないのです。
けんはため息をついた。今となっては、小笠原が約束をまも
り、壮士墓へ誘ってくれたことだけが誇らしい思い出である。
そうなんだなあ、と思います。……でも植木とのことはどうなるのという私がいます。そうそれがこの波止場浪漫の一番の恋の話なのだと思うのです。
簡単にはハワイへはいけないのですね。この初志郎の話でそれが充分にわかります。彼は手配師を名乗る男に金を巻きあげられていたのでした。
港町にもぐりこんではたらきながら次なる機会を待つうちに、女とねんごろになってしまった。
横浜から東京へ逃げて、そして今は清水に舞い戻ったのです。女もあとについてきます。でもこの女は流行りの髪型を知っていて、忙しいようです。
「おめえ、金もってねえか。ちっとでいい」
拝まれればいやといえない。
そうか、何事も簡単にはいかないのですね。しかし、こうしてけんにも大きな迷惑をかけているわけです。
ただ、今に至るもこうしたことはいくらでもあるように思います。ただ「金を巻きあげられて」というようなことは少なくなったのでしょうか。
なにか、愉快なことは少しもないものですね。
初志郎の今が分かります。こんなところで生活しているんだ。
………、………………。初志郎は髪結い床の裏手にまわりこむ。裏の空き地には、みすぼらしい長屋がたっていた。
「へ、髪結い床がねぐらたァおもうまい」
初志郎は長屋へむかおうとしている。
けんは初志郎に父次郎長にあやまってちゃんと帰ればとすすめます。次郎長もなんのかんの言っても結局は許すだろうと思うけんなのです。
けんは初志郎の今のねぐらに入るのです。でもそこには女と一緒にいただろう跡がそのままなのです。
「ちッ。かたづけとけっていったのに」
舌打ちをしたものの、初志郎はあわてるそぶりを見せなかった。布団ごと丸めて部屋の隅に押しやり、空いたところへけんを座らせる。
もうこうしたところを妹のけんにそのまま見せてしまうのです。兄妹といっても、血のつながりはないわけですが、でも少しは妹を大事にしろよなあ、と思います。
いや、これが可愛い妹をそのまま思う兄の初志郎の姿なのでしょう。
昨日私は「真相をしりたい」と書いたものでした。それが今日明かされます。初志郎はやはりハワイへは行ってはなかったようです。次郎長が知ったらもう大変におどろき、怒りだすことでしょう。いやまずは初志郎の無事を喜ぶことでしょうが。
では初志郎は、ハワイへいかなかったのだ。
それにしても十月ものあいだ、どこでどうしていたのか。今ごろになって、なぜ、まいもどってきたのだろう。
これはけんでなくても、誰でも、読んでいる私たちでもわいてくる疑問です。けんは聞きます。
「どういうこと？」
これに初志郎はちゃんと答えてほしいものです。
「どういうって……見りゃわかるずら」
「ハワイにいってたんじゃなかったの？ 今までどこへいたのよ」
「まァ、待て。町なかで立ち話もなんだ」
これで初志郎は１０ケ月もの間、どうしていたのかが分かるのでしょう。とんでもない初志郎ですね。
前に姿を突如消してしまった初志朗をけんは目にします。諸田玲子「波止場浪漫」（48)で、初志郎の姿が挿絵にあります。
けんは目をみはった。どんなに眸をこらしても自分の見ているものが信じられない。
「初兄ちゃん……」
この初志郎はハワイに行くといって、次郎長が山田長政の建碑建設のために集めた資金を勝手に持ち出してしまったのです。それ以来、初志郎の行方は分かりませんでした。
初志郎はハワイへゆくといっていた。はじめのうちは「いけっこない」とおもっていたけんも、日がたつにつれて、もしや、とおもいはじめた。今では、ハワイにいっているような気がしていた。
さてどうなのでしょうか。もうハワイへ行って帰ってきたのか、それともまだ行
けないで、日本にいる、しかも清水にいるのでしょうか。私はこの二番目のような気がしてしまうのですが、それは初志郎には気の毒な想像なのかもしれません。
でもまだ十七歳のけんには、大変なことなわけなのです。
その真相を知りたいです。
次郎長の山本家を継ぐのは、けんだとされたようです。おちょうには面倒な思いを抱く親族たちもけんには、いい気持を持つのです。この作品を読んでいて、それが判る思いになります。
波止場のお転婆娘はくったくがない。人見知りもしない。同じ浜育ちで、気性ははげしいものの根は人のよい親族は、「おけんちゃん、おけんちゃん」と、けんをかわいがってくれた。山本家の後継者に、おちょうが三河からつれてきた清太郎やはるではなく、けんが選ばれたのも、実は親族の意向を踏まえたものだった。
私は、「気性ははげしいものの根は人のよい親族は」を読んで、「ああ、良かった、良かった」と呟いたものです。私が思い込んでいた、面倒で嫌な親族たちというのは私のいいかげんな思いのようでした。
だが今日のこの作品の後半は、自由党と改進党が共同でやった壮士芝居のことが書いてあります。
両党は共同戦線をはり、無策の藩閥政府に「民力活用」「成否節減」をかかげて攻撃をしかけていた。政府は弾圧を強化している。
でもこの政党が敗れていくのが昭和の戦前の話だと思うのですね。思えば、明治後半から大正時代が、これら政党がよくやったといえるのかなあ。
とにかく、この小説の今後もおおいに期待します。
次郎長は明治期になって逮捕されているのですね。
八年前の明治十七年に、次郎長は明治政府の博徒総刈込にあって投獄された。………………。
ふーん、そうなんだ。そして釈放されるのは保釈金が要ります。これが大変だったようです。判決が決まればこの金はもどってきますが。私は東大闘争では保釈金は１５万円でした。次の芝浦工大事件でも同じ金額でした。二回とも私は親が出してくれて、裁判が終わったときにまた親の元へ戻しました。
だがこの保釈金を集めることで、おちょうは次郎長の親族といがみ合いの現実になります。
<わるいのはおちょうだ。開墾なんぞたきつけるから、すっからかんになっちまったんずら>
うん、つらいなあ。富士山のそばの開墾も、こういうふうに見ているむきもあったのですね。これはつらいことでしょう。おちょうには実に大変なことだったでしょう。
今日からこの小説の小見出しが「十七の春」とあります。もうけんは４０歳近いと思われますから、この十七とは何だろうと思っています。
それはまたこの作品が書かれる中で分かるのでしょう。
………………、けんは強風にあおられて砂ぼこりをあびた。背中をこごめ、ビロードの襟巻を頭からかぶる。この日は母のお下がりの銘仙の着物に綸子のコード、千畳楼の女将から次郎長へたくされた菓子折を胸にかかえていた。
この挿絵がこのけんの姿なのです。
………次郎長が品行方正になったのはよいとして、次から次へと新規事業──儲け度外視の公共事業──に手を出して、湯水のごとく私財を投ずるのを苦い顔でながめている。
こうした目で見ているのは多くの次郎長の親族たちです。親族は優しい頼りになるところもたくさんありますが、同時にまた厄介な存在でもあるのです。
このことはけんはものすごく感じていることでしょう。