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周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:周の漢詩入門

13020513  私は周の漢詩入門「劉方平『春雪』」で以下のように書きました。

白皙(はくせき)という語を辞書で調べ、はるかにこの人の顔を想像するものです。

  辞書では、以下のようにありました。

 皮膚の白いこと。皙も、白。

 私のは、大修館の「漢字林」です。あと他にも持っていますが、私にはこれがいいのです。インターネットで何もかも調べているわけですが、この漢和辞典だけは手放せませんね。

10112513 私のメルマガの「周の漢詩入門」なのですが、「第216号」にて、この「周の漢詩入門」が書けませんでした。

 この「周の漢詩入門」を書こうといくつか予定していた幕末の詩人たちの詩を見てみました。今回はこのメルマガの配信がこの「周の漢詩入門」のみを書き上げられなく、月曜日配信できませんでした。3日は家族で出かけて午後9時半頃帰宅しまして、これに取り掛かりました。
 ところが私が予定していた幕末の志士たちの何人かの七言絶句なのですが、詩吟の教本の詩句ではどうしても納得できないのです。前々から、私はこのことに大変不満でした。「これじゃ、七言絶句とはいえないじゃないか」という思いなのですね。だから、今までここで披露してきた漢詩については、詩吟の教本とは違って、独自に調べてきたつもりです。「これが、この詩人がもともと書いただろう詩そのものだろう」というものを紹介してきたつもりです。
 どんなに口調がよく、どんなにいい詩句が使われていたとしても、その詩人の作詩した詩そのものでなければ意味がありません。
 そんな中で、今回予定していた幕末の詩人たちのいくつもの七言絶句が一つもここに書くことができないのです。とくに詩吟の教本は、その詩を作った詩人の詩を別に作り替えているとしか思えないものがいくつもあるのです。
 これはもうものすごく悩みました。「これじゃ、彼が作詩した詩とはいえないじゃないか。これでは紹介できない」という思いですね。
 七言絶句でなく、律詩や長詩を紹介していけば、まだ紹介できるいくつもの詩があります。今後はそうした詩を探して、ここで紹介してまいります。(2005.05.04)

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10112012 私のサイトに、「周の漢詩入門」というページがあるからか、よく漢詩に関した質問のメールをいただきます。
そんな中で、漢詩作成について返事をしたものがありますので、ここに書いておきます。

メールをありがとうございました。こんなに返事が遅くなり申し訳ございません。メールをたくさんいただくもので、順番に返事を書いているものですから、今になってしまいました。

叙勲のお祝いのオリジナル漢詩を作りたいのですが、製作注文を受けてくださるようなお店はないでしょうか?

まず、こうしたことを受けてくれる「お店」などというのはないと思います。検索エンジンのgoogleで、「漢詩」と入れても、請け負ってくれるというところはないようです。ただ、インターネット上には、漢詩作成についてのホームページもいくつかあるようです。それから漢詩作成のソフトもあるようです。私が使ってみればいいのですが、とにかく時間が作り出せません。以下にあります。

(もう現在はないサイトです。)

それで最初に書きましたように、こうしてメールの返事が遅くなりましたのは、たくさん返事を書かなければいけないこともありましたが、なんとか、漢詩作成に関する資料を手にしてからと思っておりまして、それで今になってしまいました。

私が最初に「漢詩作成」ということで、勉強(といえるかどうか自信はありませが)をし始めたのは、高校生のときです。当時「吟と友」という詩吟の雑誌(月刊)に、「漢詩作成講座」という連載が開始されました。この連載をされた先生が誰だったか、記憶がさだかではないのですが、たしか宮崎東明先生ではなかったかと思うのですが、もう30数年前なので、記憶があやふやです。
それで、この連載が2年くらい続いたころ、それまでの掲載分がまとめて単行本になりました。実は、この本を探しに探したのですが、見つからないのです。そして今は、この雑誌社も存在しません。
ただ、ここで教えていました漢詩作成講座は、実によく理解できる内容でした。まず日本語で、できたら4行で書きたいことを書きます(4行というのは、最初の最初は、七言絶句がいちばん入りやすいからです)。それで、それをまずは漢語にしていきます。それで、このときに平仄と韻の規則があるわけですが、まず最初の起句が決まれば、それで韻を漢和辞典なりで調べまして、「漢詩含英異同辯」という辞書をひきますと、承句、結句の語句もいくつも出てきますから、それを使っていきます。この「異同辯」を使うと、平仄も合わせてある語句がいくつも出てきますので、それで全部の句をとにかく並べるだけならべてみます。
そして、これから推敲になります。これが大変なのですね。この漢語を使いたいとなっても、平仄が合わないと使えません。そして俗語は使ってはいけないとか、同じ字を繰り返し使ってはいけない(同じ句の中ならいい)ということがありして、これにものすごく時間がかかります。
ところが、これまた面白いもので、「詩語粋金」「幼学便覧」「幼学詩韻」等々という江戸時代の漢詩作りのアンチョコ本がいくつもあります。これは、日常のことでも、時節のことでも、とにかく漢詩作りにうまく合わせた語彙集なのです。これもまた平仄は規則通り合わせてありますから、これを使えば簡単です。例えば、「中秋」ということなら、たくさんの語句が並んでいるわけですが、もしも雨が降って、月が見られなかった場合には、「中秋無月」ということで、できるようになっています。
私は、この講座で、すぐに「漢詩含英異同辯」を買いにいきました。神田の「松雲堂書店」です。今でも、ここで作成販売しています。また上の数々の和本は東大前の古書店等々で求めました。
かくして、このようないくつもの資料をもって作詩していくわけです。ただ、とにかく時間がかかります。
でも、とにかくできましたら、最低限「漢詩含英異同辯」を手に入れられ、ご自分でやってみられることが一番だと思います。
(2002.02.25)

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2017052905   私の 周の漢詩入門「白居易『春風』」島爺 さんから以下のコメントをいただいていました。

1. Posted by 島爺   2010年02月05日 17:41
2月4日朝日の「天声人語」に次のような文章がありました。白居易の詩として
池に波紋ありて 氷尽く開く
今日知らず 誰か計会するを
春風春水一時に来る
が紹介されていました。
できれば原文を教えてください。

  申し訳ありません。ちゃんとUPしよう508dfc46.jpgと思っていたのでしたが、私が毎日書き込んでいました「蜘蛛業」がどうしてもつながらなくなりまして、そのことであたふたしていまして、島爺さんにレスするのが今になってしまいました。申し訳ございません。もうインターネットはいつ何が起こってしまうか判らないもので、今になってしまいました。

それで私はこの白楽天はそれほど得意だという思いを抱けない詩人です。おそらく清少納言だったら、ただただ好きだといえるのでしょうね。

   府西池  白居易
柳無氣力條先動 柳に気力無くして 条(えだ)先(ま)づ動く 、
池有波文氷盡開 池に波の文(もん)ありて 氷尽(ことごと)く開く。
今日不知誰計會 今日(こんにち) 知らず 誰か計会(註1)せん、
春風春水一時來 春風春水一時(いちじ)に来(きた)る

(註1)計会(けいかい) 数えはかる。会計。

柳はぐったりしていて、真っ先に枝が動く、
池の氷はすっかり溶けて、水の上には波紋が描かれる。
今日はいったお誰がはからい合わせたのか、
春の風と春の水が、いっぺんにやってきたものだ。

  やはり日本人には昔から親しまれた詩人であり、この詩に影響を受けたいくつもの和歌があるようです。

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 私の周の漢詩入門「白居易『春風』」に、島爺さんから以下のコメントを頂きました。

1. Posted by 島爺   2010年02月05日 17:41
2月4日朝日の「天声人語」に次のような文章がありました。白居易の詩として
 池に波紋ありて 氷尽く開く
 今日知らず 誰か計会するを
 春風春水一時に来る
が紹介されていました。
できれば原文を教えてください。

 ありがとうございます。ええと遅くなって申し訳ありません。私は、この書込に次のように書いていますように、

私は実に長く詩吟に親しんできましたが、この白居易の詩は詠ったことがありません。

それほど親しさを感じていない詩人です。日本人は昔から好きな詩人ですね。
 ぜひ、またこのあと、この詩について書いてみます。私も白楽天をもっと知らないといけないなあ、と深く感じたところです。

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10012104 21歳の頃詠ったことがあることを思い出しました。荒國政先生に教わったものでした。
 吉村寅太郎は、天保八年(1837)〜文久三年(1863)の生涯でした。天誅組の武装蜂起に失敗して、故郷の土佐に送られるときに、船の上で作った詩です。

    舟到由良港  吉村寅太郎
  囘首蒼茫浪速城 頭を回(註1)らせば蒼茫(註2)たり 浪速の城、
  篷窗又聽杜鵑聲 篷窓(註3)又た聴く 杜鵑(註4)の声。
  丹心一片人知否 丹心(註5)一片 人知るや否や、
  不夢家夢帝京 家郷を夢みず 帝京を夢む。

  (註1)囘首(こうべをめぐらす) ふりかえる。振り向く。
  (註2)蒼茫(そうぼう) 見渡す限り青々として広い様。
  (註3)篷窓(ほうそう) 舟の窓
  (註4)杜鵑(とけん) ほととぎす
  (註5)丹心 まごころ。赤心。

  振り返ってみれば、大坂の城ははるかに見渡す限り青い先になってしまった
  舟の窓からはまたほととぎるの声に耳をすませている。
  私の尊皇の真心を人は知っているだろうか、
  こうして故郷を思わず、帝のいる京都をいつも夢みている。

 思えば、私の宗家の荒國政先生は、過激派たる私にこの詩で何かを伝えたかったのでしょうね。
 以下は、吉村寅太郎の辞世です。

   吉野山風にみだるるもみぢ葉は
      我が打つ太刀の血煙と見よ

7a0e3848.jpg 私が「周の漢詩入門」で、いつも困り果てていることが、その詩句の中の漢字が表示されないことです。これはいつも実に困り果てています。
 パソコンやインターネット上では表示できない漢字には、もうほとほと困っています。それに似た字を入れて、「註」でそのことを書くようにしているのですが、この「似た字」を探すのも大変なのです。
 それと、間違いなくパソコンではあるはずなのですが、どうやったらその漢字が出せるのか、大変に苦労することがあります。
 今回絶海中津の漢詩を書物から写してみようとして、七言絶句なのですが、ある一字の漢字をどうやって出したらいいのか皆目判らないのです。漢和辞典でその字の存在が判っても、それを画面上に出すことができません。もうこれは大変に時間がかかっています。
 私は詩の本文は作者の書いた旧漢字で、書き下し文は今の漢字で書くようにしていて、これは新漢字で書いても、旧漢字に直してくれるソフトがありますから、それで簡単なのですが、上に書いたことは、もう大変な苦労でず。大変に時間がかかっています。
 せっかく、「これはいい詩だなあ」と思っても、それが画面に出せないのは、もう大変に悔しいです。時間ばかりがかかっています。
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 羞かしいことをやってしまいました。
 以下は、私は前にも書いていたのでした。

   周の漢詩入門「陶淵明『雑詩 其一 人生無根帯』」

 前のUPは以下でした。

   周の漢詩入門「陶潜『雑詩其一』」

 なんでこんなミスをしてしまったのかなあ? これは有名な詩ですが、私が「陶潜」と「陶淵明」ということで、検索できなかったのでしょうね。もう駄目ですね。
 それに内容も少しばかり違うことを書いています。最初は、もう取りやめにしようかとも思いましたが、こうしたミスをしないように、ちゃんとこのまま残して置きます。

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08082202 一つ前の「どれだけ豊富であるか」の続きです。

 私の「周の漢詩入門」も大変です。
 昔は、私が詩吟で学んでいた漢詩を思いだし、それを改めて読んで書いてみていましたが、今は、そうした詩ではなく(いや、昔詩吟で習っていた詩はほぼ終わりました)、日本人には、昔から慣れ親しんだろう詩を選んでいます。
 そして詩の本文はいわば原文である旧漢字で書き、書き下し文は新漢字で書いています。でもこれが実に大変なのです。漢字の中には、インターネット上では表示されないものがいくつも出てくるのです。だから、私はそうした漢字の場合は、できるだけそれに近い字を当てるようにしています。でもこれが簡単なことではないのです。この「できるだけそれに近い字を当てる」というのが、もう実に大変なことなのです。
 私は、文天祥の『正気の歌』を紹介したくて、実に長大な詩ですが、全文を書き出していまして、もう5年をすぎているでしょうか。あまりに、パソコン上、インターネット上では表示されない漢字が多すぎて、それを「できるだけそれに近い字を当てる」ということが、実に時間がかかってしまうのです。

 私はあらゆる辞書、例えば国語辞典も英和辞書も、それに百科辞典も電話帳でも、もはやすべてインターネットで置き換えできます。だから、言ってしまえば、なくても少しも困りません。
 でも漢和辞典だけは、どうしても必要です。漢詩で絶対に必要である平仄や韻は、インターネットでは調べようがないのです。漢和辞典で一字一字見ていくしかないのです。
 そして「詩韻含英異動辯」がどうしても必要です。だが、今年の3月に、それを間違えて(いえ、他にもいくつも間違えて売ってしまいました。また苦労して探して購入するのでしょう)古書店に売ってしまったので、私の手元には、江戸時代の和本しかありません。だから、それをいつも繰っています。
 思えば、古書店を歩きながら、欲しい本を見つけたときは嬉しいものです。でも、判っている本を必死に探しているのは、もうとってもくたびれます。

 もう今ではすべて仕方のないことになってしまいました。

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 周の漢詩入門「林逋『山園小梅』」宗由 さんから次のコメントをいただきました。

1. Posted by 宗由    2008年07月25日 08:40
はじめまして
 この度 文化祭の書を何にしましょうかと 禅語の本を調べていたのですが 見つからず 次の日にぱらっと そのページが出てきて一度に好きになってしまいました。
 それが林逋の(梅花無儘蔵)でした。
インターネットの林和靖 を検索してこちらで お勉強させて頂きました。
 有り難うございました。

 わざわざ、ご挨拶いただきありまとうございます。
 林逋という詩人は、どうしても私には、それほどの親しみを覚える方ではありません。ただ何度か彼の詩を読んできまして、なるほどなあ、こんな風に感じた、そして生きた詩人もいたのだなあ、という思いでした。
 宗由さんのサイトを拝見いたしますと、さいたま市にお住みのようですね。私は大学が埼玉大学で昭和42(1967)年入学です。そして6年大学にいたものでした。この当時の友人たちとはいまでも付き合いが続いております。
 浦和市のことを懐かしく思いだしておりました。

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 陶淵明の「飲酒」の八番目の詩です。

   飮酒 其八  陶淵明
  愍昇濺豈 青松(註1) 東園に在り、
  衆草沒其姿 衆草(註2) 其の姿を没す。
  凝霜殄異類 凝霜(註3) 異類を殄(ほろぼ)さば、
  卓然見高枝 卓然(註4)として 高枝を見(あら)はす。
  連林人不覺 林に連(つら)なりては 人覚(さと)らず、
  獨樹衆乃奇 独樹 衆乃(すなわ)ち奇とす。
  提壺撫寒柯 壷を提(かか)げて 寒柯(註5)を撫で、
  遠望時復爲 遠望 時に復為す。
  吾生夢幻間 吾が生は 夢幻の間、
  何事紲塵羈 何事ぞ 塵羈(註6)に紲(つな)がる

  (註1)青松 冬の霜などの厳しい状況にも耐えている青い松。作者の生き様を表している。
  (註2)衆草 多くの草、雑草。陶淵明の周囲の凡愚のこと。
  (註3)凝霜(ぎょうそう) 降りて凝り固まった霜。
  (註4)卓然 ひとり抜きん出ているさま。ひときわ優れているさま
  (註5)寒柯(かんか) 葉が落ちた寒々しい木の枝。
  (註6)塵羈(じんき) 「塵」は世俗の。「羈」はたづな。きずな。つなぎとめる綱。

  青松が東の畑に生えているが、
  普段は雑草に覆われて目立たない。
  霜が降りて草が枯れ果てると、
  高くそびえかつ堂々たる姿を現す。
  林に取り囲まれていては人々は気づかないものだが、
  樹が一本になって珍しいものだと気がつく。
  酒徳利を提げて松の枝を撫で、
  時に遠くから眺めたりする。
  私の人生は夢のようなものだが、
  どうして世間の枠にとらわれるのだ。

 この詩を読みまして、陶淵明の誇りある孤高を思います。役人であったときよりも、今の自分は、こうして独りでも、ちゃんとここに立っているという気持なのでしょう。そしていつもすぐそばには、酒を入れた徳利があるのです。私もまた毎日独りで、ただただ飲んでいるところです。

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2017022709a7e9c569.jpg陶淵明の「飲酒」の七番目の詩です。

飮酒 其七 陶淵明
秋菊有佳色 秋菊 佳色あり、
濡露摘其英 露に濡れて 其の英(はなぶさ)を摘む。(註1)
汎此忘憂物 此の忘憂の物(註2)に汎(う)かべて、
遠我遺世情 我が世を遺るるの情を遠(とおざ)く。
一觴雖獨進 一觴独り進むと雖(いえど)も、
杯盡壺自傾 杯尽きて壺自ら傾く。
日入群動息 日入りて群動息(や)み、
歸鳥趨林鳴 帰鳥 林に趨(おもむ)きて鳴く。
嘯傲東軒下 嘯傲す 東軒の下、
聊復得此生 聊(いささ)か 復(ま)た此の生を得たり。

(註1)濡も摘も本当はまったく違う字ですが、でないのです。
(註2)忘憂物 憂いを消す物で、酒のこと。酒に菊の花を浮かべて飲む。

秋の菊には、綺麗な色がついている
露に濡れた花びらを摘む。
これを酒に浮かべて、
世の中のことなど忘れている。
一人で杯を重ねるうちに、
杯の酒もなくなり、壺は空になってしまった。
日が沈んであたりが静かになり、
ねぐらに帰る鳥は林で鳴いている。
自分も軒端にでくつろいでいれば、
すっかり生き返った気持ちになるのだ。

私も毎日飲んでいますが、愁いなんていうものは全くありません。ただただ、酒が美味いから飲んでいるだけです。毎日記憶がなくなり、そして何故か途中で気が付きまして、またパソコンに向かっています。このブログを書いたり、友人に手紙を書いたりしています。
あ、もっときょうは友人に手紙を書いて出してみようと考えています。

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  陶淵明の「飲酒」の六番目の詩です。

   飮酒 其六  陶淵明
  行止千萬端 行止(註1)は 千万端(せんばんたん)
  誰知非與是 誰か 非と是(ぜ)とを知らん
  是非苟相形 是非苟(いやしく)も 相形(あいけい)す
  雷同共毀誉 雷同して 共に毀誉(きよ)す
  三季多此事 三季(註2) 此の事多し
  達士似不爾 達士(たっし)は 爾(しか)らざるに似たり
  咄咄俗中愚 咄咄(註3) 俗中(ぞくちゅう)愚なり
  且當從黄綺 且(かつ)当(まさ)に 黄綺(註4)に従うべし

  (註1)行止(こうし) 行くと止ると。出所進退。
  (註2)三季(さんき) 夏、殷、周の時代。儒家はこれを中国の黄金時代と考えている。
  (註3)咄咄(とつとつ) 舌打ちの音を表す擬音「チェッチェッ」。
  (註4)黄綺(こうき) 秦の時代の隠士、夏黄公と綺里季。

  人の行動は、出所進退はさまざまなものがあるが、
  誰が、それが是であるか非であるかは知っていない。
  それでも是非の論がひとたび形に表れると、
  人はみな付和雷同して、一緒に貶したり、誉めたりしてしまう。
  三代の時代の後はこうしたことが多いが、
  道理の判った人はそうではないようだ。
  いまいましくも、俗世間というものはばかばかしいものだが、
  そんなものより、商山の夏黄公や綺里李の如き賢人に従うべきである。

f9e01de2.JPG この詩は私には難しくて、最初詩句を書いていて、そのままにして何日も経ちました。やっと今こうして書くことができました。
 この詩は、「飲酒」という題名なのに、酒が一つも出てこないのですね。だから私には難しかったのか、といまさらに判ってきた思いがしました。
 なんだか、自分に対して咄咄という思いですね。

 それから、「陶淵明『飲酒 其五』」の詩は、以下で扱っています。

   http://shomon.net/kansi/kansi5.htm#050920 陶淵明『飲酒』

 この詩は高校1年のときに読んでいたものでした。

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 陶淵明の「飲酒」の四番目の詩です。

   飮酒 其四  陶淵明
  栖栖失群鳥 栖栖(註1)たり 群を失へる鳥
  日暮猶獨飛 日暮れて 猶ほ独り飛ぶ
  徘徊無定止 徘徊して 定止するなく
  夜夜聲轉悲 夜夜(やや) 声は転た悲し
  匐岨彑怯 匐繊蔽陦押法\怯鵑鮖廚辧蔽陦魁
  去來何依依 去来 何ぞ依依(えいえい)たる
  因値孤生松 孤生の松に 値(あ)へるに因り
  歛カク遙來歸 カクを歛(をさ)めて 遙かに来り帰る
  勁風無榮木 勁風(けいふう)に 栄木(えいぼく)無きも
  此蔭獨不衰 此の蔭(かげ) 独り衰へず
  託身已得所 身を託するに 已に所を得たり
  千載不相違 千載 相ひ違はざらん

  (註1)栖栖(せいせい) せわしいさま
  (註2)匐繊覆譴いょう) 激しい叫び
  (註3)思清遠(せいえんを思ひ)

  群れにはぐれた鳥がせわしそうに、
  日が暮れてもなお一人飛んでいる。
  徘徊して一箇所にとどまることなく、
  夜毎に泣く声はいよいよ悲しい。
  激しい叫びは遠くの仲間を求めているのか、
  行きつ戻りつして後ろ髪を引かれているようだ。
  一本ぽつんと立っている松を見つけると、
  翼を収めて身を休めた。
  冷たい風に大方の木は葉を落としたが、
  この松だけは緑の影をたたえている。
  身を託するには心強い、
  千年たりともここからは離れずにいつまでもここにいよう。

 いつもこうして陶淵明の詩を読んでみて、私があまりに、陶淵明のことを知らなかったことに、いらいらしています。
 私はちょうど、この同じ時代に、符堅(ふけん)という英雄が居たことを思い出します。この符堅は中国五胡十六国時代に華北を支配した前秦の帝王です。
 この前秦の符堅が大軍を率いて中国全土を支配しようとして江南の東晋軍とが382年に肥水(ひすい、ひは「肥」にさんずいがついています。現在の安徽省寿県の東南)で激突しました。前秦軍は100万の軍勢だったといいます。
 だが、符堅の軍勢は、ここで東晋の軍勢にやぶれます。なんだか、私は中国の東晋の側に身をおきたいはずなのですが、このとき破れた符堅のほうに思いを寄せてしまうのです。符堅は、おそらく碧眼茶髪の容貌だったと思われます。その符堅が破れたときの哀しみを思います。私は昔府中刑務所にいたときに、この符堅のことを何度も書いております。
 思えば、このときに陶淵明はちょうどまだ18歳でした。東晋の勝利に胸を躍らせただろう陶淵明を思います。

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 陶淵明の「飲酒」の三番目の詩です。

   飮酒 其三  陶淵明
  道喪向千載 道喪(うし)はれて 千載に向ふ
  人人惜其情 人人(じんじん) 其の情を惜む
  有酒不肯飮 酒有るも 肯(あ)へて飲まず
  但顧世間名 但(た)だ顧(かへり)みる 世間の名
  所以貴我身 我が身を 貴ぶ所以(ゆゑん)は
  豈不在一生 豈(あ)に 一生(いっせい)に在(あ)らずや
  一生復能幾 一生 復(ま)た能(よ)く幾(いくば)ぞ
  倏如流電驚 倏(はや)きこと 流電の驚くが如し
  鼎鼎百年内 鼎鼎(註1) 百年の内
  持此欲何成 此(こ)れを持して 何をか成さんと欲する

  (註1)鼎鼎(ていてい) 年月が速やかに過ぎ去る形容

  古代の聖賢の教えが失われてしまってから千年になろうとして、
  だれもが、本当の気持ちを出し惜しみするようになった。
  うまい酒があっても飲もうとせず、
  ただ世間体ばかり気にしている。
  我が身を大事にするわけは、
  人間の一生の内にこそ在るのではないか。
  その一生は、またどれほどの時間があるというのだ、
  その素速さは電光の流れ去るに驚かされるようなものだ。
  速やかに過ぎ去る人生は百年以内のことだ
  世間体ばかり気にしていて一体何をしようというのだ。

 曹操の『短歌行』を思い浮かべます。

   http://shomon.net/kansi/sansou1.htm#tanka 曹操『短歌行』

 私にはこの詩は、実に大好きな詩です。曹操の詩として真っ先に知り、真っ先に覚えたものでした。

  對酒當歌 酒に対しては当に歌うべし
  人生幾何 人生幾何ぞ
  譬如朝露 譬えば朝露の如し
  去日苦多 去日苦だ多し
  慨當以康 慨しては当に以て康すべし
  幽思難忘 幽思忘れ難し
  何以解憂 何を以て憂いを解かん
  唯有杜康 唯だ杜康有るのみ

 曹操は、唯だ杜康(酒)が有るのみだと言っています(ただし、この詩は「酒があるのみだ」と言っているわけではないのです)。おそらくは、陶淵明も、この曹操の『短歌行』のことはよく知っていたことでしょう。「有酒不肯飮」とは、過去・現在・未来の私ともおいに違う存在です。
 思えば、少し前の時代の曹操のこの詩のことを、陶淵明も何度も詠んでいたことでしょうね。ただし、もう陶淵明は、このときには田舎田園で過ごしている人生になっているのです。
 いやどうしても、同じ時代、近い時代に生きた、陶淵明と曹操の思いをどうしても比べてしまいました。

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 陶淵明の「飲酒」の二番目の詩です。

   飮酒 其二  陶淵明
  積善云有報 善を積めば 報(ほう)有りと云ふも
  夷叔在西山 夷叔(註1)は 西山に在り。
  善惡苟不應 善悪 苟(いやしく)も応ぜず
  何事立空言 何事ぞ 空言を立てん
  九十行帶索 九十(註2) 行(ゆくゆ)く索(けん)を帯ぶ
  飢寒况當年 飢寒(きかん) 况(いは)んや当年をや
  不鮓乃臉 固窮(註3)の節に 髻覆燭茵砲蕕兇譴
  百世當誰傳 百世 当(まさ)に誰をか伝へん

  (註1)夷叔(いしゅく) 「史記」の伯夷叔斉伝に、殷を滅ぼした周の粟を食わぬということで、首陽山に隠れ住んでいたが、やがて餓死した。
  (註2)九十(くじふ) 「列子」に昔九十歳まで生きた栄啓期という賢人は歳九十でなお帯をしめていたという。
  (註3)固窮(こきゅう) 「論語」の「君子固より窮す」のこと。

  善行を積めば、良い報いがあるというが、
  義を貫いた伯夷と叔斉は西山に居て餓死することになった。
  善と悪とに相応したむくいがない場合には、
  何でなんでこのような空言「積善云有報」を言ってきたのか。
  栄啓期という賢人は縄を帯にして、楽器を打ち鳴らして歌を唱うという行為をした。
  その栄啓期の貧窮生活は、壮年時代よりも一層のものだ。
  貧窮を固守する節操に依拠しないとすれば、
  百年の後世に誰を語り伝えようか。

 私も毎日飲んでいます。2週間に一度止めるだけです。
 でも、陶淵明も毎日飲みながら、こういう栄啓期という賢人に自分を比していたのでしょうね。私はただただ、日々飲んでいるだけです。

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08022301 中唐の文書家であり詩人であった柳宗元には、こんな自然の中での生活が理想だったのでしょう。ただまだ私には、こんな生活をあこがれる気持には到底なれません。

   漁翁      柳宗元
  漁翁夜傍西巖宿 漁翁夜 西巌に傍(そ)うて宿(やど)り、
  曉汲清湘然楚竹 暁に清湘(註1)を汲(く)んで 楚竹(註2)を然(た)く。
  煙銷日出不見人 煙銷(註3)え日出でて 人を見ず、
  欸乃一聲山水緑 欸乃(註4)一声 山水緑なり。
  廻看天際下中流 天際(てんさい)を回看(かいかん)して 中流を下れば、
  巖上無心雲相遂 巌上(がんじょう) 無心に 雲相遂う。

  (註1)清湘(せいしょう) 清らかな湘江
  (註2)楚竹 楚の地方に多い篠竹
  (註3)煙銷(けむりき)え もやが晴れて
  (註4)欸乃(あいだい) 舟をこぐ掛け声

  年老いた漁師が、夜に西岸の大きな岩に舟を寄せて停泊した
  明け方に彼は清らかな湘江の水をくみ、楚の竹を燃やして朝食を作る
  もやが晴れ太陽が昇ると、もはや漁翁の姿は見当たらない
  舟をこぐかけ声がひと声高くひびいて、山も水もすべて緑一色に染まっている
  空の果てを遠くふり返りつつ、川の中ほどを下っていくと
  雲が大岩の上空に、無心に追いかけあっているように流れていた

 ただ、我が日本人も、そして欧米人にも、こうした生活がいいものだ、あこがれを持つ傾向もあるように思います。
 私には、そんな気持に至るのには、まだまだ時間がかかることでしょう。私には、「無心」と言っても、それがよく判り得ないのです。

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 陶淵明の「飲酒」は、全部で20の詩があります。私はそもそも高校1年のときに、「其五」の飲酒のみを知りました。
 これは私の以下に書いています。

  http://shomon.net/kansi/kansi5.htm#050920  陶淵明「飲酒」

 思えば、私の陶淵明に対する思いも随分変わりました。この「其一」を読んでさらに陶淵明のことを、素直に好きになってきている私がいます。

   飮酒 其一  陶淵明
  衰榮無定在 衰栄 定在(註1)無く
  彼此更共之 彼此(ひし) 更(こもご)も之(これ)を共にす
  邵生瓜田中 邵生(註2) 瓜田(こうでん)の中は
  寧似東陵時 寧(なんぞ)似(に)ん 東陵の時に
  寒暑有代謝 寒暑 代謝(註3)有り
  人道毎如茲 人道 毎(つね)に 茲(かく)の如し
  達人解其會 達人(註4) 其の会(註5)を解して
  逝將不復疑 逝(ここ)に将に 復(ま)た疑はざらん
  忽與一樽酒 忽ち一樽の酒と与(とも)に
  日夕歡相持 日夕に歓びて 相(あ)い持(じ)す

  (註1)定在 きまった存在・運命
  (註2)邵生(せいしょう) 秦の東陵侯であった邵平のこと。秦が滅ぼされた漢の時代には、庶民に戻って、長安の東で瓜を栽培して生活をした人物。
  (註3)代謝(たいしゃ) 入れかわること
  (註4)達人(たつじん) 道理に通達した人
  (註5)会 かなめ。要点。さとるところ。

  衰えることも、栄えることも、固定して存在していない、
  あの人もこの人も、かわるがわるにそれを受けるのだ。
  邵君が瓜畑で生活していたことは、
  東陵君であった時にどうして似ていようか。
  寒さと暑さは移り変りが有るが、
  人の世もいつもそのようなものだ。
  物の判った人は そのことをよく理解しており、
  絶対に疑念を抱かない。
  それで私もたちまち一樽の酒ととともに、
  この夕べも 楽しく過ごしていこう。

 私も毎日お酒を飲みますが(2週間に1度は断酒しています)、それはこの陶淵明がいうように、ただ夕べのときになると、酒を口に含むときに、実に喜ばしく思っている自分を見つめます。
 陶淵明のことが好きになれてきた自分のことがとても嬉しい思いです。

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 玄宗皇帝の時代、杜甫はいい時にあったわけですが、やがて安禄山の乱によって国は大混乱に陥り、かつ杜甫自身の大変なことになって行ってしまいます。
 杜甫が江南を流浪しているときに、昔玄宗皇帝に寵愛されていた歌手の李亀年と偶然逢うのです。

   江南逢李亀年   江南にて李亀年に逢う
                杜甫
  岐王宅裡尋常見 岐王(註1)の宅裡 尋常に見き
  崔九堂前幾度聞 崔九(註2)の堂前 幾度か聞けり
  正是江南好風景 正に是れ江南の 好風景
  落花時節又逢君 落花の時節 又君に逢ふ

  (註1)岐王(きおう) 睿宗の四男・李範のこと。岐王に封ぜられていた。
  (註2)崔九(さいきゅう) 名は滌。玄宗の寵臣。

  岐王のお屋敷ではいつもお目にかかりました
  崔滌(さいでき)さまの客間では、何度も歌声を聞いたものです
  おりしもこうして江南の春のいい季節
  しかもこうして花の舞い散る時節に、あなたとこうしてお会いできるとは

 40年も前には玄宗皇帝のそばで、豪勢に暮らしていたものですが、安禄山の乱によって、今はこうして江南に流浪してこうして逢えたものです。李亀年は声楽家です。どんなに美しい声で、皇帝の前で歌ったことでしょうか。
 古き佳き時代を思い出すことと、そしてでも目前の麗しい江南の春の中、こうして古い友人と出会います。
 きっとたくさんの思い出を語り合ったことでしょう。自分も彼も落魄しているときに、でも江南の春の景色は美しいです。その中で、どんなに語り合えたことでしょうか。
 思えば、こうした風景は、実に私のそばにもあることだなあ、と今しみじみと考えています。

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   夜上受降城聞笛 夜受降城に上(のぼ)りて笛を聞く
               李益
  囘樂峰前沙似雪 回楽峰(註1)前 沙(すな)雪に似たり
  受降城外月如霜 受降城(註2)外 月 霜の如し
  不知何處吹蘆管 知らず何れの処にか 蘆管(註3)を吹く
  一夜征人盡望郷 一夜征人(註4) 尽く郷を望む

  (註1)回楽峰(かいらくほう)
  (註2)受降城(じゅこうじょう) 包頭(パオトウ)の西北にあった砦
  (註3)蘆管(ろかん) 芦笛
  (註4)征人(せいじん) 守備兵

  回楽峰の前のあたりは、砂はまるで雪のように白く、
  受降城の外は、月の光に照らされてまるで霜が降りているようになっている。
  どこで吹いているのだろうか、悲しい芦笛の音は、
  一夜その曲を聞いた兵士たちは皆、故郷の空を眺めている。

74330dc5.jpg この沙と雪、月と霜の対比が、この私にも目前に思い浮かべることができます。受降城の城壁に登ると、砂漠が雪が積もっているように見えて、白の周りは月の光りが輝いて霜が降りているみたいです。
 この静けさの中に、胡人の吹く、芦の笛の音がもの哀しげに聞こえてきます。砦にいる兵士たちはみな望郷の念にとらわれるかと思います。

 実に見事な詩だなあと思います。李益(748〜827)の中唐期の七言絶句の傑作と言えるかと思います。

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07071201 王翰『涼州詞』を私の 周の漢詩入門 かこのブログの 周の漢詩塾 で扱ったことがあると思っていましたが、まだやっていませんでした(メルマガに載せたのちに、ホームページの『周の漢詩塾』の各ページに収納するはずですが、このごろできていません)。
 それで、まずはこの西域に至る地域で詩ったものを、ここで紹介していきます。まずは、この王之渙の詩です。

    出塞     王之渙
  黄河遠上白雲 黄河遠く上る 白雲の間
  一片孤城萬仞山 一片の孤城 万仞(註1)の山
  羌笛何須怨楊柳 羌笛(註2)何ぞ須(もち)いん 楊柳を怨むを
  春光不度玉門關 春光度(わた)らず 玉門関

  (註1)万仭(ばんじん) 一仭は約2・5メートル。高くそびえる山。
  (註2)羌笛(きょうてき) 異民族(胡人)の吹く笛の音

  黄河を遠く上って、はるか遠く白雲のただようところ、
  そのかなたに、一つの城塞が高くそびえる山々のいただきにある。
  ここで警備する兵士らの心にひびいてくるのは、別れを怨む折楊柳の曲だが、
  春の光は玉門関をこえてここまでさしこんでこないのだ。

 この玉門関を守備する兵士たちの思いはいかばかりのものだったでしょうか。折楊柳(せつおうりゅう)の曲とは、この兵士たちが故郷を出るときに、家族が柳を折ったときに、鳴らした曲ですが、それがここでは胡人の羌笛が聞こえてくるのです。
 柳を折るという風習は日本には伝わりませんでした。でも私はいつも銀座を歩いて柳を見るときに、この折楊柳のことを思い浮かべています。

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 周の漢詩入門「白居易『春風』」 のUPでこのブログは、投稿件数3,200件を超えました。
 でもこのところ、私のUPが衰えている感じがしています。いよいよ歳が問題なのかなあ。
 このブログは2005年1月21日開設です。
 総アクセス数は、現在で280,725です。

 本日はたくさんのことをやらないとなりません。

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「将門Web」ではさまざまなことをたくさん発信していますが、文学に関した文書を書いたものが一番多いかなと思います。その中で韻文について扱いましたのが、この「漢詩塾」です。

   http://shomon.net/kansi/kansi.htm  周の漢詩入門

では、日本と中国の漢詩について述べます。また

   http://shomon.net/kansi/siika.htm  周の詩歌の館

では、あまり私は得意ではないのですが、短歌・俳句、現代詩等々について述べてまいります。ここを「周の漢詩塾」という名称にしたのは、なんと言っても、私が韻文を扱うときの象徴が漢詩だからです。そういえば、私がもう30数年やってまいりました詩吟も、その多く扱うものは漢詩だと思いますし、私自身もほとんど漢詩しか詠いません。今後もさらに充実させたいきます。
 そしてそのうちに、「周の漢詩作成講座」と称して、漢詩の作り方のページも作っていきたいと思っています。(2001.09.24)

   http://shomon.net/kansi/  周の漢詩塾

 いつもまだお会いしたことのない方に多くの質問のメールをいただくのは、この漢詩塾の中にある内容に関してです。ただその質問の内容に関しまして答えるのには、私がまたかなりいろいろと展開しなければならないことが多く、簡単にはいきません。
 それに、漢詩にしても、他の詩についても、必ずいくつもの参考書を参照するようにしていますが、今のように自宅ではない、妻の実家にいる期間が長くなりますと、この参考書を見るのも実に大変に面倒なことになっています。
 ただ、読んでくれる方が多いところですので、これからもなんとかやりきってまいります。

 このページのバナーは以下です。
周の漢詩塾

 

周の漢詩塾(中)

 

 

周の漢詩塾(小)

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 私は長年詩吟をやってまいりました。詩吟というのは漢詩を吟(うた)うわけです。実は漢詩だけではなく、短歌や俳句も詠うことがありますし、ちかごろは新体詩のみならず、現代詩を吟われる方もいます。でもなんといっても漢詩を吟ずるのが基本といえるでしょう。
 漢詩というのは、日本の私たちにとっては、日本の詩人のみならず、李白や杜甫の詩にしても、私たち日本の古典と言えるのではないかと思っています。
 私はその漢詩を読むのが昔から好きでした。パソコン通信をやりはじめたときに、この漢詩についてもっといろいろと話をしてました。その続きをこのインターネットでもやり続けたいと考えるのです。
 実は日本の一番古い詩集というのは、和歌の「万葉集」ではなく、漢詩集であった「懐風藻」なのです。実に20年の差があるのです。私は字を持っていなかったとされる私たちの祖先たちが、漢字だらけの書籍を目の前にしたときの、そのとまどいを思います。だが、私たちの祖先は、その漢字だらけの白文に、「漢文」として日本語で読み下してしまいました。そして「万葉集」よりもはるか前に、その困難な漢文を使って漢詩集を作ってしまったのです。
 このことは、今インターネットを目の前にして、私は深く考えてしまいます。インターネットの世界では、ほとんど英語という言葉が使われています。このことは私たちがまずいろいろな情報を仕入れたり、意見を交換する前に、まず困難なこととして立ちはだかってしまいます。だが、おそらくそれは私たちの祖先が昔に漢字だらけの白文の書籍に接したときよりもはるかに楽なはずなのです。

 こんなことを考えたときに、私はこのインターネットの世界で漢文の世界をもう一度確認してみたいのです。そして、私自身が長年詩吟をやってきました関係で、「漢詩」を解説していきたいのです。

   http://shomon.net/kansi/kansi.htm  周の漢詩入門

 私の好きな三曹(曹操、曹丕、曹植)をはじめとする中国の詩人たちの詩も、日本の多くの漢詩人たちの詩も扱っています。(ただし、この「三曹の詩」はもう独立したページになりました)。

   http://shomon.net/kansi/sansou.htm  周の三曹の詩

 そうですね、例えば、どこでお話しても乃木希典のことを「無能だった」と決めつける人ばかりなのですが(これは日本陸軍と司馬遼太郎がしつこく言っているので、その影響なんでしょうが)、私のこのページで彼の詩を読んでみてください。郭沫若が乃木の「金州城」を「日本人の作った漢詩中の最高傑作である」と激賞しているのがよくお判りになるかと思います。
 現在UPしてある以外にも、いくつもの詩のことを書いたものがあります。校閲してUPしていかなくちゃと思っております。
 作者の名前のあいうえお順に並べております。    (2003.12.31)

 私のこの 周の漢詩塾 のためなのでしょうが、かなりな方から、漢詩および詩吟に関してメールをいただいています。ほぼ私よりも年上の方々ばかりです。内容は、ほぼなんらかのご質問が多いのです。やはり、どこかで聞いてみたいとしても、このインターネットの世界のどこで質問したらいいのか、判らないというところなのでしょう。
 それと、「長年この詩について詳しく知りたいと思ってきたが、それがかなわず残念だったが、インターネットで検索してみて、ここにあるのを知って大変に嬉しい」というメールもいただいています。これまた実に嬉しいお便りであるわけです。
 こうしたお便りを読みますと、「あ、やってきて良かったな」と思うと同時に、「もっとやり続けなくちゃいけけないな」と思うばかりです。ただ思うばかりでUPが進んでいません。どうしても、資料を確実に2点以上は確認してから書くようにしていますので、たった今は、長く自宅からは離れていますので、そうした資料が参照できないのです。

 なんとか、そうした資料も手にしてまたUPを続けていきます。

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