私は昨年１１月５日に
http://shomon.livedoor.biz/archives/50811469.html 佐藤春夫の「李白『子夜呉歌』」の訳詩
で次のように書いていました。
あとは、またどこかの図書館で、吉川幸次郎全集を読めば判ってくることです。
そうすれば、私が朝霞留置場の中で、高橋和巳の涙について、「いつか吉川幸次郎をやっつけないとなあ」と決意していたことが、私の中で貫徹し、終わることができるのです。
高橋和巳は、私の中ではもうずっと前に終わってしまった作家ですが、このことをちゃんと私の中で書いてみて、それで終りにしたいのです。
それで実は、このあと王子図書館の豊島分室に行きまして、「吉川幸次郎全集」をすべて見てみました。すべて見た（読んだのではなく、眺めただけです）というのは、私の求める李白のこの詩(『子夜呉歌』其三）の吉川幸次郎の訳を見つけることができないのです(実は前々からずっと吉川幸次郎の本を立ち読みしてこの詩の訳を探していました）。
そして李白の詩では、どうしても該当の詩の訳は見つからず、杜甫の詩の訳もたくさん読んでいました。
そこでやっと私は気がついたのです。馬鹿で不勉強なのは私なのです。私が高校２年のときに、この『子夜呉歌其三』の吉川幸次郎の訳詩を知って、私は吉川幸次郎を貶してばかりいましたが（比較として、佐藤春夫の訳は実に良かったのです）、それは私こそが阿呆だったのです。
弟子の高橋和巳が、この吉川幸次郎の前で涙を流していたのが今始めて私には判りました。自分の師の偉大さと自分の情けなさに涙が出ていたのでしょう。
私は筑摩書房の「世界古典文学全集」で、「杜甫」（全２巻）を持っています。これは吉川幸次郎が杜甫の全詩を訳しています。でも、吉川幸次郎は、この自分の訳はまだ不満だったのですね。だから、また杜甫の全部の詩を訳しだします。
その杜甫の全訳詩は、全部で２０冊の予定でした。だが、昭和５４年夏、この「杜甫詩注」の第三册を刊行した次の年昭和５５年春、吉川幸次郎は７６歳にて他界します。
この本が刊行されたときに書いたのが次の詩です。これが最後の作でした。
杜甫詩注第三册刊成
刊成杜注第三篇 刊は成る 杜注の第三篇
雲日蒼茫大暑天 雲日蒼茫たり 大暑の天
歎息良朋多鬼籍 歎息す 良朋多くは鬼籍
夜臺無計問爲箋 夜台（註１） 計の箋を為すを問う無し
（註１）夜台 冥土のこと。
『杜甫詩注』第三冊の刊行がなった。
暑中の空を見れば、夕日に映じた雲が遠く広がり暮れていく。
良き友人の多くはもうこの世にいないのが悲しい。
こうして注釈が出来ても、冥土に向かって意見をきくこともできない。
この『杜甫詩注』第三冊のあとがきに、清水茂（京大教授）が次のように言っているそうです。
日ごろ不吉の語を口にするのを喜ばれなかった先生が、『鬼籍の良朋』に言及されたのは、讖（予言）を成したような気がしてならない。
うーん、そうなのでしょうね。「雲日蒼茫」という言葉にもそれを感じますね。夏の暑い日なのに、吉川幸次郎は不気味な夕焼けを見ているのです。
私は吉川幸次郎が、杜甫をいつも「先生」と呼んでいるのが嫌いでした。「なんであなただけが、杜甫をそう呼べるんだよ」なんていう思いでしたが、今はすべて解消しました。今の私には吉川幸次郎先生をただただ尊敬する気持だけになっています。