
とうとうこの日になってしまいました。最後にある「完」という文字がものすごく心を打ちます。
的矢六兵衛はすがりつく隼人の手を取り、まるで笹舟を水面に浮かべるほどやさしい力で、そっと押しやった。
目を細め唇を引いて、実に莞爾として笑うた。それから鷹揚と身を翻し、御書院門を潜り、雨後の干ぬ石段を下って行った。
私の兄が名前が「莞爾」といいます。このことを言うと必ず誰もが石原莞爾のことをいいます。私は激しく、「違う」といいます。彼はむしろ2・26の否定者でした。私の父は2・26革命で死刑になりました中島莞爾からつけた名前なのです。私はいつもこの中島莞爾を忘れたことはありません。
でもこの江戸城を去る六兵衛を迎える人々がいます。
御濠端の夕風にそよぐ柳の根方に、奥方と御隠居夫妻と二人の男子が佇み、そのうしろに若党と中間奴が控えていた。栗毛馬の面懸と鞦(しりがい)には、御書院番八番組に徴たる紅白の緒が飾られていた。
こうしてこの江戸城を去る六兵衛を迎えてくれる家族、人たちがいます。電話もインターネットもない時代なのに、どうやって連絡
を取ったのだろうと思いますが、「門番の官兵はみな蹲踞して送った」というのが、その中に私も加わりたい思いです。いや私も心の中で加わっています。
供連は翳りの中をしずしずと去ってゆく、漆黒と純白のみを彩と信ずる江戸の夕景は、そのうしろかげにこそふさわしい。
そしてこのあとに「完」という字があるのです。もはや大きな時代が終わったのです。これから本当の「明治」という時代なのです。