将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:目森一喜

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 いつもこうしてパソコンでポメラにつないで将門WebにUPしています。

2013/10/13 05:29昨日午後目森一喜さんと会いましてけっこう長く話しました。
2013/10/13 11:16今王子警察署からの「振り込め詐欺に注意しましょう」というA4判のチラシを見ています。なんか、前も同じですが、本当に頭に来ます。そこのカットの絵に腹が立つのです。こんな誰が見ても、「みるからに悪い男」がやるわけじゃないし、こんな「いかにも人のいいおばあさん」がだまされるわけじゃないですよ。
 いまの詐欺師は、いかにもふつうの人で、こうしたおばあさんがだまされるわけではありません。もう普通の人がころっとだまされてしまうのが今の詐欺なのです。
 なんかひどくてあきれ果てています。警察がこうでは、ひどいばかりですね。
2013/10/13 17:30ちょうど笑点が始まります。

 前のも同じだから、リンクしました。そこのA4チラシの挿絵を見てください。

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 昨日は午後目森一喜さんと会いました。王子に来てくれたのです。

2013/10/11 11:04もうやらなくちゃいけないなあ、と焦って思っています。でもそんなに焦らないようにしようとも思いました。

2013/10/12 06:29私は台所の洗い物をしていたりして今になってしまいました。
2013/10/12 07:50あるケータイメールも出さないとといけないなと思っています。
 妻が言ったことで、私がいかにかたくなに考えているかということを感じました。改めていかないとなあ。もっと柔軟にならないとなあ。
2013/10/12 18:01もっと私も変わっていかないといけないなあ。そのことをいっぱい考えます。
2013/10/12 18:29今日はブルータス夫妻にプレゼントしたもののお礼がケータイメールで来ました。私が封書で送ったものが今日届いたようです。私はそのメールを見てものすごく嬉しかったです。13093008
2013/10/12 18:49今このポメラの電池を替えました。パナソニックの充電式電池ですから、こうしてときどき替えるのです。そして最初に充電器に入れます。そしてやがて終わったら私の右のデューロカーゴの外のポケットに入れます。これの中には単四電池だけでなく、単三電池もあるのですが、単三はEX-wordXD-N6500で使うのですが、あまり消耗しないのですね。単四はVoice-TrekVN-702PCでも、TM20でも使っています。まだ他にもあるかなあ。

 いや電池というのは珍しいほうなのです。充電もあるし、その機器自体の充電機器もあります。

130227102013年02月22日「初めて絵文字使いました」への以下のコメントがありましたに目森一喜さんから以下のコメントがありました

1. Posted by 目森一喜   2013年02月27日 21:38
何となく、頭のおかしな人か、あるいは、そのような偽装をした人で、リンクをたどらせたいのではないかと思います。悪質なコメントだと思います。
意味がわかるわけないのに平気で書き込んでくる外国語のコメントは悪意に決まってますから削除なさった方がいいですよ。

 ありがとう。削除しました。ただ私がレスをUPしたものはそのまま置いておきます。それと相手のUP内で、URLが書いてあるものは、その部分を削除しました。
 ときどきあるんですね。私は英文でも全然わからないし、それに今は中国語の文章も多いですね。まして今回はロシア語だったので、ただ私は困りました。
 これからも続くのでしょうね。

13011203 私のマタイ傳福音書第11章へ目森一喜さんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2013年01月11日 17:33
 キリスト教はユダヤ教の異端ですから、ユダヤ人の方が敵視するのは当然かもしれませんね。イスラムもユダヤ教の異端ですが、これはどうだったのでしょう。マルクス主義もユダヤ教の異端と言えばいえますが、マルクスが「ジューイッシュ・ニグロ」(うんと悪い言葉に訳せば「ユダ公の黒ん坊」ですか)なんて言葉をエンゲルスとの書簡で使うほどユダヤ人を憎悪してましたね。
 一神教の憎悪というのは恐ろしくもわかりにくいものですね。

「一神教の憎悪」って、よく感じますね。そこへ行くと、我が日本の神道は当然八百万(やおよろず)の神という多神教ですから、私には親しい思いがいつもしています。
 仏教は、私が『歎異抄』をそのまま写して書いているように、親鸞はいいのですが、禅宗とくの曹洞宗なんかは難しい哲学みたいで親しめないのですね。
 マルクス自身はユダヤ人でしたから、こうした憎悪は何なのかな。そういえば、トロツキーもユダヤ系でしたね。今トロツキーの甥っ子がイスラエルのキブツを守るための最前前でアラブ人を攻撃していたようです(今は知りませんが)。これは前にテレビで取材されていました。みなソ連から来た連中のようでした。
 ソ連は、国ではアラブを支持していうようで、でも最前線ではこんなのが実態でした。ひどいものですね。あんな国が無くなって本当に良かったです。
 ただ、私は吉本隆明さんの『マチウ書試論』を読んで、どうしてもマタイ伝を繰り返し読んでいるものですから、ここでも書きたかったのです。そのまま書いたら、少しは理解できるかなあ、なんていう安易な考えです。
 でも書いても、読んでも私には到底駄目なのかもしれません。13011204

 それと目森一喜さんのインターネット上のサイトですが、いくつもあってどれを私のここのブログのサイドバーでリンクしたらいいのか分からないので、困っています。どこか教えてください。

12112902 こう以下のように書いていましたが、

お正月には、元旦は我孫子の両親の家で、姪たち5人(私は三人兄弟で妻含めると6人)で会ったもので、

 これはお正月だけでなく、年に三度くらい会っていました。これが今度は私たち兄弟3人、その妻3人、子どもたち5人でその旦那5人含めて、さらに孫が兄は2人、私が4人、弟が2人(みんな今のところです)で、全部で22名になります。
 みんな全員で会いたいな。
 会ったら、また周ちゃんが意見されるかなあ。いや周ちゃんも評判よくなっているよ。
  今日は三匹のところへ行きたかったのですが、無理になってしまいました。明日こそ行きましょう。ミツ君パパが風邪を引いたらしいので、三匹のそばにじいじが行くのです。

12112903 王子シネマが閉館ですに目森一喜さんから以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年11月29日 11:08
子供の頃、庚申通りにあった庚申映画と王子の映画館で映画を見ました。東映時代劇も怪獣も加山雄三も西部劇もクレージーキャッツも王子で見ました。この間王子に行った時に映画館はどうなっているかと思って、ちょっと見に行ってみました。
私の知っている王子はほとんどなくなってしまいます。まあ、王子に限った話ではありませんが・・・

 庚申通りにもあったんだ。王子に映画館がいくつもあったのは知っていました。でも私が映画を見たのは、この王子シネマばかりです。私は千葉県の我孫子市に長年住んでいたのですが(私が生涯で一番長く住んだところです)、この王子には妻の両親が住んでいたので、娘二人を連れてよく来たものなのです。
 お正月には、元旦は我孫子の両親の家で、姪たち5人(私は三人兄弟で妻含めると6人)で会ったもので、翌日午後から王子に来まして、4日(3日のときもありました)に「男はつらいよ」の映画を見ました。
 一緒に放映されていた「釣りバカ日誌」で、船にハマちゃんが乗っているシーンで、船が揺れるので、それで小さいブルータスが酔ってしまったこともありました。

私の知っている王子はほとんどなくなってしまいます。まあ、王子に限った話ではありませんが」というのは本当にその通りですよ。王子野戦病院あたりを歩いても、私が匿われた家なんか(1968.03.28の闘争のときに)、いくら探しても分からないのです。でもこれは王子に限ったことではないのです。
12112904 私がその我孫子の前に住んでいた横浜白楽(東横線白楽駅)でも歩いても(10年くらい前)、自分の家のあたりもあまりな変貌によく分かりませんでした。これじゃ他のところを歩いても、何もかもが違っているのでしょうね。

12110806 私もアップルのパソコンは使ったことがありませんに目森一喜さんからの以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年11月08日 13:04
確かにアップルのコンピュータは私にも使いにくいです。DOSのコマンドはコンパクトで好きでした。パイプをつないだり、楽しめました。
タブレットはメールとインターネットのブラウジング程度なら十分便利に使えますね。パソコンの用途のかなりの部分がそれなので、そこではパソコンはタブレットに取って代わられるでしょうね。
小さくて持ち運びに便利だし、すぐに起動するし、電子ブックを読むにもこっちのがいいしという事ですね。
市場が小さな間はアップルが大きなシェアを持つでしょうけれど、市場大きくなると相対的にシェアが落ちるでしょうね。市場の拡大は他が伸びる事に他ならないはずですから。12110807

 私もたしか10年くらい前のことを思い出しました(もっと前かなあ)。たしか代々木上原あたりのあるパソコンソフトの関係の会社が事務所を新規に開設したので、私も行きました。そこはすべてMacを使う会社でした。そこの専務さんをよく覚えています。たしか私より一歳年下の方でした。
 そこにあるPC関係の雑誌を出している人が(私とは昔の左翼の関係の友人でした)が来て、Macで盛んに打ち込んでいました。私がそばに行くと「親の意見を  承知ですねて 曲がりくねった  六区の風を つもり重ねた  不孝のかずを〜」なんてのを打っています。そして「おそいな・・・」とつぶやいています。私が話しましたが「PC98に比べると遅くてだめだ」ということでした。私はMacなんてまったく知らないし、PC98なんか嫌いでした(なのに98互換機のエプソンは使っていたのです)。
 その彼が「遅い」というMacがなんだかそこにはいっぱいあったものですね。ほかでもそういう会社を見たことがありますが、結局はやがて、「市場が小さな12110808間はアップルが大きなシェアを持つでしょうけれど、市場大きくなると相対的にシェアが落ちるでしょうね」ということを如実に感じたものでした。
 すぐにDOS/V機が世界を圧しましたね。それで今も上のことを強く感じます。でも仕方ないかあな。

12110306 昨日ゴトさん(目森一喜さん)と会って、この赤プルのことを話しました。私は彼女の大ファンなのです。

 赤プルの「調子んのってんじゃねぇかんな!!」
  http://ameblo.jp/akai-plutonium/

 私のこのブログのサイドバーに彼女のブログをリンクしてあります。最新の彼女のブログが以下の通りです。

2012年11月04日 01時22分54秒 akai-plutoniumの投稿
楽しい一日でした明日は茨城!
朝からバタバタの文化の日だったかんね!
もっと余裕をもって行動したいもんです
明日はなんと、
石岡と、茨城町、両方にお邪魔すっかんね

 この女性は「文化の日」なんて関係あるのかな。私は茨城というと、河童と茨城弁と納豆しか思い出せません。それにザリガニも思い出します。
 普通ザリガニは食べません。でも私はザリガニを食べるのが好きです。前にテレビで茨城の人が(もう茨城弁まるだしのおっさんでしたが)、このザリガニを平気でうまそうに食べていました。なんとなく私は怖くなるのです。
 昨日ゴトさんにも話しましたが、前に常磐線で茨城へ行くことがあったときに、電車にアベックがいました。素敵なジーンズ姿で、私は「ああ、素敵な人たちで、茨城人じゃないんだ」と思いましたが、電車が利根川を越えると、二人とも言葉が茨城弁になり、「駅降りだら、お茶っこでも飲むっぺ」と言ったのを聞いて、「え、茨城人なんだ」と死ぬほど驚いたものなのです。
 前に、

  マタイ伝第28章を茨城弁にする

で、私はまた他の文章を変換していました。しかし、もうここには載せません。心から嫌になりました。私は赤プルのように平気ではいられません。
 イエス・キリストは決して茨城弁では喋りませんでした。そのことを強く思います。長塚節の「土」を思い出します。12110307私の母の実家の裏に吹き付ける寒い風を思い出します。「藤沢周平『白き瓶』」を思い出します。私はせっかく文庫本で2巻買ったのに、とうとう本を開けなかったことを思い出します。
 また赤プルのブログを見ていきましょう。

12102709 私の尖閣と米軍目森一喜さんから、以下のコメントがありました。

 アメリカ軍が駐留しはじめた時点でアジア諸国はほとんど存在しませんでした。ですから、本当は、強い日本に対して恐怖心を抱いていた英仏中露などの、対日敗者連合の意向で日本を押さえつけるためにアメリカが駐留をしたのだと考えられます。
 日本に勝った国はアメリカしかいなかったのです。その敗者連合は連合軍から国連常任理事国になりました。日本が国連の常任理事国になるのは、絶望的に難しいはずです。また、国連中心主義などというのは無知な戯言です。12102710

 このコメントは16:32にされていました。
 それでまず私が謝ります。この目森一喜さんのコメントを私が自宅へ帰ってきて、おはぎの子どもたち、私の孫3人とご近所の子どもたちの、ハロウィンパーティをやっていて、そこから帰って、このコメントを見て、私は何故か削除してしまいました。ただ、こうしてメールりして私のところには残っていたので、こうしてUPできます。
 だから正確には私の「尖閣と米軍」に16:32に目森一喜さんがコメントをくれたものです。申し訳ありません。このごろますます、私はパソコンの操作に関してお馬鹿になっています。

  それで今は私がこのコメントにレスいたします。12102711

 うーん、ただ英仏は、日本に敗北したことがあるという認識はないでしょう。中露は悔しい思い(日清戦争と日露戦争の)があるでしょうね。そうねえ、でも英国はシンガポール陥落(その前のマレー半島での敗走)やビルマでの敗戦があるかもしれない、仏国はインドシナでの敗走があるかもしれないです。
 米国はいっぱい嫌な思い出があるでしょうね。日米戦争は一方的に米軍が勝利したように見えますが、例えば沖縄戦でも米軍も大きな損失を受けています。
 いやもちろん、日本もフィリピンでもどこでも大変な被害を与え、日本も大きく敗北したことも忘れてはならないです。またインドネシアで、オランダに対してかなりなことをやって来ています。
12102712 でもさ、英国にしろ、仏国にしろ、蘭国にしろ、やっぱりろくでもない国でしたね。米国もひどいです。中国も露国(あのときはソ連か)もひどいです。
 でもこの日本が日本の平和、世界地球の平和をのみ願っていることはいいことだと私は思います。

12090906あるサイトへコメントしたのですが」へのコメントへさらに目森一喜さんから以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年09月06日 20:02
ieでも、
Ctrl+h
キーで履歴が開けるようです。

 ありがとう。でも私はこのサイトがどこだったか分からなくなりました。
 もう仕方ないです。さほど悩みません。私の一年先輩のサイトは、私のここのサイドバーの「将門のブックマーク」に置きましたからいくつでもいけます。もう実は最初に書いたものでしたが、その後は分からないのです。
 なんとなく、私ももう随分な年齢なのですね。それをつくづく感じます。
 いや、こうしていても、もうこのブログを書く以外でもいっぱいのことがあるものです。

12090612あるサイトへコメントしたのですが」へ目森一喜さんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年09月06日 08:33
ブラウザの履歴を見ればお立ち寄りになったサイトが記録されていますよ。
ショートカットキーはブラウザによって異なりますが、
ファイヤーフォックスなら
 Ctrl+Atl+h
クロームなら
 Ctrl+h
です。ieは知りません。

 今私はインターネットエクスプローラーになりました。
 それで、でも「ブラウザの履歴を見ればお立ち寄りになったサイトが記録されています」というのですが、私にはそれが分からないのです。「ブラウザの履歴」って、どこでどう見るの? もう多分私は見ているのですが、よく分からないのですね。あまりに履歴が多すぎるのかもしれません。
 まあ、それほど重要だと思っていなかったので、ちゃんと記録していなかったのですね。このごろこういうミスが多くなっているのですね。
 とにかく、またそのうちに見つけられると思いますよ。
 でも昔の学生運動の仲間がブログをやっているのを先ほど見かけて(また記録するのを忘れました)、でもそのうち出会えるでしょう。

12082109「周の掲示板」にnelu(かわふくG)さんの「犬(上)」がありました』に、目森一喜さんからの以下のコメントがありました。

2. Posted by 目森一喜   2012年08月20日 22:18
 読み言葉というと、例えば周さんだったら「土」の文章を読んでいて茨城弁が聞こえて来てしまうというような事も入って来るのでしょうか?
 それだと折り返して自分に帰って来るような表出になってしまいますね。

 いや、この私のいう「読み言葉」というのは、まだ正確に把握できていないのです。吉本(吉本隆明)さんの言われる『「書き言葉」と「話し言葉」』ということから、思いついただけなのです。
 でも「長塚節『土』」のことは、吉本隆明全著作(単行本)「吉本隆明歳時記」に私は次のように書いています。(以下は長塚節の関する吉本さんの文を抜書きし、私の思いも書いています)。

  たとえてみれば米粒のうえにどんな微細な文や図柄を巧みに描
 いても所詮は巧みな<芸>以上のものではない。なぜならば対象の
 選択力に内的な衝迫と必然がなく、ただ珍しいための限定しかな
 いからだ。それと同じことであった。この方法を極限まで追いつ
 めていったのが長塚節であった。そして極限まで追いつめられて
 いってはじめて、子規派の『万葉』の歌の把握に重要な欠陥があ
 ることが露呈されたといってよい。  (「冬の章−長塚節」)

 これを読んで、私には退屈で暗い「土」の作者でしかなかった長塚節が生き返ってきた思いがします。また私にとって苦手だった短歌を読み取ることも少しはできるようになった気もします。忠実な正岡子規の学徒だった節が死の直前にたどりついたものを感じとることができました。

 この吉本さんの文を読むのと、でも私には母の実家の裏で吹いている茨城の冷たい風を思うのです。
それだと折り返して自分に帰って来るような表出になってしまいます」。そうなのですね。私は「長塚節『土』」を読んでも、どうしても上を見てはいないのですね。ただただ、私の本当の故郷の冷たい風を思うばかりです。
12082110 長塚節の短い生涯を思うと、どうしても分からないのです。この小説を読んで面白いと感じられる人がいるのでしょうか。おそらく私は皆無だと思います。いつも私は「漱石がほめちゃったからな」と思っています。
 私は藤沢周平は、実に好きな作家です。でも彼が長塚節を書いた『白い瓶』は、手に入れて手で持ちながらも、結局読まず、古書店に売ってしまいました。
 私の「吉本隆明鈔集」での「読み言葉」はもっともう少し考えていきます。

12081813 私の「エンゲルスの強い意思」に目森一喜さんから、次のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年08月15日 22:59
 マルクス主義が革命運動の主流になったのはロシア革命以降ですね。それまではフランスを中心としたアナーキズムです。これはフランス革命の流れをくんでいます。
 ロシアでもアナーキズム系の運動が主流でした。ケレンスキーはこっちですね。それがロシア革命を成功させると、レーニンはすぐに反対を表明し、ドイツと話をつけてロシアに乗り込みます。有名な封印列車です。
 この時、ドイツはレーニンに莫大な資金を与えます。第一次世界大戦で二面作戦を強いられていたドイツは、ロシアに手を引かせるようレーニンに工作をさせたわけです。
 レーニンはドイツの金を使って与太者を集め、ケレンスキーら革命派を襲撃させ、ロシア革命を乗っ取ります。そして、ドイツとの戦争をやめます。これは仕事ですね。
 そういう「政治」がボルシェビキの革命の政治でした。トロツキーはこれに手を貸し、レーニン派を政権につけます。一時期は暗殺部隊を率い、沢山の人を殺したようです。とりわけ自身がユダヤ人でありながら、ユダヤ人が嫌いで(マルクスもそうでした)、ユダヤ人を処刑し、恐れられたといいます。(文学と革命に文学者たちを脅しつけている場面が出て来ます)
 スターリンは優秀な神学生でしたが革命運動に身を投じ、強盗をして資金稼ぎをしていました。その間に、ロシアの公安組織に情報提供をして他の革命家を売っていたという話もありますが、これを否定する人もいます。
 スターリンはそんな事をしてもしなくても、最低であるのに変わりはありませんね。もっとも、レーニンもトロツキーも同じですが。
 マルクス・レーニン主義の中身はこんなものです。
 マルクスにも、レーニンにもいい所などひとつもないです。もちろん、エンゲルスにもです。あるのは、ただ、ひたすら強い意志だけです。憎悪と言っていいかもしれません。謎といえば、その意志が謎ですね。

12081814 私はマルクス主義は少しも好きでありません。マルクス自身も好きにはなれません。吉本(吉本隆明)さんは、マルクス主義は好きではないのですが、マルクス自身は好きなようです。私には、これはどうしても納得できないところです。でも今はもうそのことも問えないことになってしまいました。
 私は吉本隆明さんにも問いたい思いです。「マルクスなんて、どこもよくないじゃないの?」。でも今はただただ、そのこともかないことなのです。
 私はトロツキーも好きになれません。もちろんレーニンも嫌いです。そしてスターリンなんか絶対に許せません。そうですね。エンゲルスも嫌です。エンゲルスがマルクスの著作をいっぱいまとめ上げたのだろうな。
 でもアナーキストもどれも良くないよな。バクーニンなんて、読んでもみっともないという思いばかりです。
 そうですね。シモーヌ・ヴエイユだけはいいかなあ。好きになれます。吉本隆明さんに『甦るヴエイユ』という本があります。私も懸命に読んでものすごく、ヴエイユのこともまた吉本隆明さんのことも好きになったものでした。
 でも目森一喜さんへのコメントにレスをするのに、量的に目森さん以上書かないといけないですが、私には書くことがそれほどないのだよな。
 まあ、私は激しく学生運動はやり、その関係では今も長く私の上5年くらいから、私の下の20年くらいの世代まで付き合いがありますね。ただ、見ていると、パソコンもインターネットも苦手としか思えない世代なんですね。せめて、ホームページかブログくらいやってほしいのですが、困ったものです。
12081812 ただ、私の埼玉大学およびむつめ祭関係の人、そして三派・全共闘の関係でもほぼ私の知っている人はいいのですが、ときどき私が知らない人だと、私のことを、「なんだ、右翼じゃないか」といきなり殴ってくる方もいて、実に大変なことです。
 思えば、いつまでも面倒ですね。

12081515「周の掲示板」にneluさんが書いてくれました』に目森一喜さんが次のコメントをくれました。

1. Posted by 目森一喜   2012年08月14日 20:34
 廣松渉は小坂修平の事が気にかかってしかたがなかったんだと思います。
 小坂も廣松渉の事ばかり考えてたはずです。
 ブントなんてどうしようもないですが、はみ出る所というとそこになるように思います。
 そして、いいところもダメなところもそこにあるような気がします。

 小阪さんは、駿台予備校で働いていたので、偶然私の昔の事務所の前を歩いていたときに、「あ、小阪じゃないか、少し寄っていかない」(思えば彼は私より一年年上だから、ちゃんと「小阪さん」と呼ぶべきだったな)と言いまして、私の事務所へ連れて行きました。たしか亡くなる年(彼は2007年8月10日に亡くなりました)の6月くらいのときじゃないかなあ。
12081516 私の事務所で、パソコンでインターネットを見せた思いがあります。でも彼はパソコンもインターネットも簡単に肯定はしていなかったな。私のように単純な人間ではなかったのだと思います。
 彼はパソコンだと、「言葉が広がるから駄目だ」というようなことをいい、私は当然「それはどういう意味だ」としつこく迫ったものです。
 もう少し付き合うべきでしたね。今になってそんなことを思います。

12053111 2012年5月28日のポメラへのコメントへ目森一喜さんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年05月31日 19:25
談志の師匠の小さんは上方の人だったんですよね。(談志はあの世で小さんに会ってるでしょうね)

 あ、そうなのですか。いえ、私はまったく知りませんでした。談志というのは、少し面倒な人だったけれど、師匠の小さんには、ちゃんと礼を尽くしていた感じはします。
 それに私は小さんの落語は好きでしたよ。いつも何故か怒っているような感じがしていました。あの調子であの世でもやっているのかなあ。

 2012年5月28日のポメラ目森一喜さんから、次のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年05月28日 23:51
桂三枝はいい噺家になりました。精進している芸です。新作ですが、畳の下から出てきた古新聞の社説を読んでいる気の抜けた感じがなくて、いい感じです。
上方落語の中興の祖、米朝は関東の人ですが、あの人を見ていると、あまりそういう事は関係がないのですね。

12053102 これは私もものすごく感じています。昔「桂三枝は落語ができない」なんて言われていたことがあって、私もそう思っていたものでした。私の不明が恥ずかしいです。でも「古新聞の社説を読んでいる気の抜けた感じ」というのはいいですね。すぐに、いくつかの芸人を思い浮かべました。
 それと「米朝は関東の人」というのは、驚いたものですが、そうなんだ。
 私は上方落語なんて、まったく理解ができなかったものですが、桂三枝を見ていると、聞いていると、まったく違います。なんか、テレビを見ていて、そしてこの日経の連載を読んで、今始めて上方の落語を知った思いです。

12052905 吉本隆明鈔集470「自己への配慮」目森一喜さんから、次のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年05月24日 16:39
 フーコーに限った話ではありませんが翻訳が怪しいですね。そのためにわかりにくくなっている・・・いえ、わかるわけのないシロモノに成り果てている場合が多いです。
 フーコーの主著というと「言葉と物」でしょうが、アレもどうかなと思う所があります。
 フランス語は出来ないのでどうしようもありませんけれども。

 私なんか、フランス語もなにもまったく分かりません。フーコーも読んでも、彼の著作はよく分からないです。ただ、吉本(吉本隆明)さんとの対談は良かったですね。ただし、そばで翻訳している人が、どうにも私には気に入りませんが。ただ私にはフーコーさんがけっこう遠慮がちに思えたものです。
 あの対談で言われたように、『言語にとって美とはなにか』なんか、フランス語に翻訳されたのかなあ。

1205130212051303 これを一旦は書いたのでしたが、私のおはぎ家族5人が車で来ていて、私はあわてて、あれだけ書いてUPしてしまいました。それで、私は車の中で、この「言語にとって美とは何か」のことを考えようと思っていたのですが、もう3人の孫が来ると、もうそんなわけにはいきません。
 ミツ君の車で、島忠家具センターまで行きまして、そのあとみんなが来て、私の家で食事です。それが終わると、もう三匹は私の部屋に入ります。もう三人は私の椅子に乗りまして、私がパソコンを「順番よ、順番でやるの」といっても、聞くわけがありません。
 ポコ汰は真っ先のパソコンを終えて、ガラパゴスでゲームをやりだします。ポポは一番小さいから、何がやりたいのか分かりません。ただ暴力でおねえちゃん、おにいちゃんを押しのけようとします。ポニョは一番優しく見えますが、実は一番したたかです。一番おろおろしているのは、私じいじです。
 そのうち三人はベランダに出ます。ばあばが一緒に出てくれて少し安心です。そのうちに、ポニョは私のいくつもあるシールの用紙(これがいくつも何枚もあります)を手に取りまして、いくつもそこらへんに落として、でも最後は家に持って帰りました。
 だから、この『「言語にとって美とは何か」を考えよう』としたことは、少しもやれませんでした。

 私は次のように書きました。

私は「言語にとって美とは何か」は、丁寧にすべてを二度読みましたが、今もあれをまたなんらかの方法で誰かがやってほしいものです。なんらかというのは、明治以降の文学でたどるのではなく、それ以前、清少納言・紫式部・更級日記の少女でもいいし、または平成文学のことでもいいと思うのです。

 私はこの本で、例えば、「文学体と話体」「自己表出と指示表出」ということを少しは知ることができました。私自身でもう少しこれらのことを頭の中で説明整理できたらと考えています。
 まだまだ私はやり切れていないのですね。今後もっとやっていきます。

1205122712051228 吉本隆明鈔集456「近代の詩が西欧近代を受け入れるときの異和」目森一喜さんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年05月10日 17:57
現在私たちの使っている言葉である近代日本語は、明治時代に政府が「標準語」として作ったものが最初ですが、その後、政府(官僚)と文学者が営々と作り続けて来たものです。
「電算機」用語の「初期化」などは官製ですし、「微苦笑」などは文学から出た言葉です。そうそう「暴力団」というのも、大正時代に役人が作った官製用語です。
文学者が微細な機微を表現しようと、言い回しに苦労したり、造語をしたりして来た悪戦、苦戦、苦労を、時々思います。
近代文学者のそうした苦闘がなければ、今、私達の言葉は相当に味気ない、つまらないものとなっているでしょう。
明治の文学者は「西欧的」な精神と「標準語」を相手にしていたわけです。ほぼ何もないと言っていいかもしれない状態です。そこから現在の日本語に至る言葉の近代の過程は、「言語にとって美とは何か」で文学の側から吉本さんが丹念にたどったぐらいで、手をつける人がいませんね。

 うーん、その通りです。

現在の日本語に至る言葉の近代の過程は、「言語にとって美とは何か」で文学の側から吉本さんが丹念にたどったぐらいで、手をつける人がいませんね。

 これは実は大変なことだと思うのですね。私は「言語にとって美とは何か」は、丁寧にすべてを二度読みましたが、今もあれをまたなんらかの方法で誰かがやってほしいものです。なんらかというのは、明治以降の文学でたどるのではなく、それ以前、清少納言・紫式部・更級日記の少女でもいいし、または平成文学のことでもいいと思うのです。
 でも吉本さんのようにはいかないのかなあ。
 私はこれは大学を出て、最初の就職先で、歯医者の治療に行ったときに、読んだのですね。それがものすごく込む医院で(いい先生でした。もう随分前に亡くなられました)、そこで実に丁寧に読んだものでした。
 今はパソコンがあるから、こうして楽に書けるし、実にいいのですが(私が府中刑務所にいるときは、手紙を書くのも大変でしたよ。でもこのときは、ある女性に私のひどい字で200通手紙を書いたのだなあ)、手書きでああして書くのは大変だろうな。あ、私は一昨日も手紙を書きましたが、パソコンでやるのは実に簡単でいいです。だから2008年には私の手紙は600通を超えました(ただし、これは何人もに書きました)。
 私の孫がもう少し大きくなったら、私はケータイメールも書きますが、手紙も書きますよ(上の二人には、もう何通も書いていますが。あ、じゅにも何十通も書いていますが)。いつかじいじの手紙をちゃんと読んでほしいです。
 なんとなく、吉本さんはいいのですが、読むのは大変なのですね。

12042003 吉本隆明鈔集427「散歩も目標が必要」へ目森一喜さんからのコメントへさらに目森一喜さんから、次のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年04月17日 21:52
 東京は迷路として作られた都市です。徳川が江戸の防衛のために侵入して来た敵が迷ってしまうようにしたんですね。だから羽田闘争の時、抜け駆けしたはずのブントだったのに、成島さんが道に迷ってしまったなんて事も起きるのです。静岡の人ではわからないですね。
 維新の時、上野寛永寺に立てこもった彰義隊の下働きをし、そのために明治政府に追われ零落した松本門右衛門の祖先が家康について三河から来た後、三河島に住み着き、江戸の土木工事に従事します。門右衛門はお台場の砲台工事もやっています。
 駿河台の削って、八重洲を埋め立てて・・・そうやって作られた事、八重洲と言えばブックセンター近くに坂本龍馬が通った、お玉ヶ池(秋葉原)ではない方の千葉道場があったんだとか、知っている事なども引っ張り出しながら、無意味に歩くのが昔から好きです。
 今はプラハを歩きたいのです。錬金術師通り、川をはさんだユダヤ人ゲットー、そんなあたりを歩いてみたいです。マルタ騎士団に奴隷として売られたユダヤ人や、硝石と引換にキリシタンに売られた日本人奴隷の運命を悲しんだりしながら歩きたいです。

 静岡大学の活動家は、我が埼玉大学にも来ていて、その大きな勘違いに嫌になったものでした。でもこのときのミスは大きいですよね。
「硝石と引換にキリシタンに売られた日本人奴隷」って、本当に頭にきます。だから私は武士ってまったく嫌なのです。この今でも現在でも、自分が「昔武士階級だった」とかいうことを得意に語る人がいます(けっこう若くてもいるんだよ)。「お前の先祖は、お前の褒める尊敬する武士っていうのは、こんなひどいやつらだった」と散々言ってやりたいです。
 この上に書いた人は、ずっと「武田」を称え、私は「なるほど」というと(この私の「なるほど」を勘違いしているのだ。私は褒めているんじゃないんだよ)、「でも私のいう武田とは、武田信玄ではなく、広島の武田氏ですよ」というので、でも私はみな知っているのです。「武田氏というと、越前にもいて、それが後に北海道に渡るのだが・・・、この3つの武田は実はけっこう手紙で連絡をとっているんだ」なんて話をしたものです。あのねえ、私は何しろ「東京スポーツ」は読んでいたし(これに「日本大戦争」という長期の大連載がありました)、そんなことは昔から、中学生のときからみな知っているよ。とにかく、この彼は高校も大学も大学院も秀才で(大学・大学院は東大でした)、でも実に阿呆な方でしたね。東大はああいう人が多いね。
 千葉道場は、私は数年前に、そのそばを通りました。そのときに、龍馬に惚れていたあの女の子(明治後年に亡くなるまで、「私は龍馬の婚約者(いいなずけ)だ」といいはっていました)を思い出したものです。
 思い出せば、「マルタ騎士団」も嫌いだな。あんな存在が一番阿呆でよくないのです。 とにかく、私はこの騎士だの武士というのが大嫌いです。それだけです。

12041605 吉本隆明鈔集427「散歩も目標が必要」目森一喜さんからの以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年04月11日 07:10
私は道に迷うのが好きで、どこに向かうかわからないけれどあっちに行ってみようという感じで気ままに歩きます。奇妙なもの、奇妙になってしまったものに遭遇すると楽しいものです。目的があって歩いている時は、時間も決まっているので、面白いものを見ても楽しんでいられません。迷ったあげく、知っている所に着くと、もうわかっている道になってしまうので面白くありません。また、迷いそうな道に向かって歩きます。迷子になって帰って来られなくなるのが夢かもしれません。

 うーん、自分を考えてみました。私は今まで「目的があって歩いている」ということしかありません。これを読んでみて、自分にそんなことの経験が皆無なことに気がつきました。
 過去を思い出しても、高校1年のとき鹿児島で下宿に帰るときに、間違えて知らないバスに乗って知らない街に行ったこと(でも鹿児島市は狭いから、どんなになっても大丈夫でしょう)と、つい20年くらい前、川崎か横浜の知らない街をさまよってしまったことです。思い出せば、沖縄の小さな部落で迷っても少しも不安ではなかったものでした。
 でももっと思い出してみようかなあ。
「迷子」というのが一番不安なのかもしれません。たぶん、これからも永遠にありそうもないですが。

12033105 私の2012年3月27日のポメラの2目森一喜さんが以下のコメントをくれていました。

1. Posted by 目森一喜   2012年03月27日 17:52
 朝の通勤電車の中で日経新聞を読んでいる男性がいました。後頭部にペラペラあたって迷惑でした。朝のラッシュの中で新聞を広げる非常識さはさすがに紙の新聞を読む人らしいと感心しました。この人が日経読んでも何にもならないのは明々白々だとも思いました。
 いくらダメな日経でも、ちゃんと理解できれば、タブレットなり何なりで情報を取得して行くのが当然なのだとわかるはずなのに、ダメさをさらしている人を見るのは嫌なものです。

 私は電車の中で新聞を広げたのは、25年以上前に東京スポーツを毎日広げていました。でも私はあの頃は、国際プロレスの熱烈なファンで、ラッシャー木村のファンでしたから、どうにもどこの飲み屋でも話が合わなかったものです。
 今はガラパゴスを広げて、日経新聞は読むのですが(家には日経の紙の新聞が配送されます)、でもサ、日経って、馬鹿が読む新聞(あ、だから私は当然その馬鹿です)としかおもえないのだよなあ。キリンビールとサントリーが合併という一面TOPの見出しで、私は双方の株主を真剣に考えたものでした。でもあれはどうなったの?
 それと、住友金属と三菱重工の合併のニュースも、一面に載っていましたが、もうそのときには、前のキリンとサントリーのことがあったから、もはや信用しませんでした。

 大昔NIFTYの本社に私の親友の掘雅弘さんと行ったことがあります。記者会見と懇親会があったのです。私も「取材」と称していました。読売、朝日新聞等が一番前にいます。でもなんといいましても、日経新聞グループはたくさんの新聞が来ていまして、朝日新聞の記者の質問には、失笑が漏れます(だって、たしかに朝日新聞は産経新聞と同様に、阿呆なのです)。
 そのあと懇親会になって、そのときには、みなビール飲んで、ただ飲み食いしている中、堀雅裕さんがビールを飲みながら、カメラも構えて、NIFTYの社長にいっぱい質問していました。それがまたちゃんと彼の新聞には載るのです。このときでないと四流、五流紙は質問なんかできないのですよ。
 思い出せば、私もどうでもいい質問をしていたものですね。社長はパソコンをどう使っているのか、という質問ですね。それで、実はNIFTYの社長は、そのときは少し頭を書きながら、ワープロを使っていることでした(これはパソコン通信時代だから、ワープロだっていいのですが、私は実に驚いたものでした)。

 でもそんな時代も遠くに行きましたね。まあ、今でも日経新聞はくだらなく面白いですよ。

12031503 私のブログは、パソコンの前でなく、リビングで書いているものを「周のポメラ」といい、IS01で書いているのは、「周のIS01ブログ」としています。

2012/03/15 18:19今私のブログで、目森一喜さんのコメントにレスをしたのですが、その中で上田敏の「信天翁」(「海潮音」という詩集の中のボードレールの詩です)が私には大変な問題になりました。「信天翁」をどう読むかということです。私は高校2年のときから「おきのたいふ」と読んできていたのですが、私がさきほど見ました青空文庫では、「おきのたゆう」と書いてあるのです。実はもちろん、私はこの読みも知っていました。でも正しくは、「おきのたいふ」だと思っていたのです。
 私は常にこの詩をすべて暗記暗誦していましたが、でもこれでは何もなりません。
 もっとちゃんとしていきましょう。
 それと、このポメラでも上に書いていくのも大変でした。とにかく私は今では、もう何でも単語登録しています。そうしないとこのポメラでは書けないのですね。
2012/03/15 19:12今妻と話していました。今日の3月15日の日経新聞夕刊の7面の「謎解き5番勝負」で、「臥薪嘗胆」という回答なのですが、このことに関するいくつものことを思い出しました。「天莫空勾践 時非無范蠡」。これは児島高徳が後醍醐天皇に差し出した歌です。

 このポメラでは、実に書くのが大変です。もう上に書いたことでも、どれくらい単語登録したことでしょうか。もう大変な量の数の単語登録をしています。勾践も范蠡もでないのだものな。私は妻に、さらに呉王闔閭、夫差のことも言いました。西施のこともいいました、さらには伍子胥のことも、そして孫子(孫武)のことも、東施のことも(ただし、この女性は海音寺潮五郎の創作です)思い出していました。

12031409 私の吉本隆明鈔集399「現在の俳句と短歌の違い」目森一喜さんからの次のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年03月14日 21:52
 短歌はいいですね。岡井隆を見ていると切なくなりますが、古代のものから現在の作品まで、良いものには奥底にまで響く調べがあります。
 短歌は、日本語の特性そのものですから、世界的な広がりや普遍性はありません。外国語の十四行詩とはまったく違います。
 歌の中の屈託や含み、さわり、調べは幾重にも抽象して行きますし普遍的ですが、言葉そのものは実体的ですから、外国人に説明はできても隔靴掻痒でしょう。
 俳句は理解できないので、何も言えません。

 まったく目森一喜さんと同じ思いです。「短歌はいいですね。岡井隆を見ていると切なくなります」。本当に私もそうです。短歌は、ものすごくいいと思います。そして岡井隆さんにも、同じ思いです。私はこの人をまったく誤解していました。これほどの人がいることに、ものすごく驚くと同時に、自分の不勉強を反省します。この人の本を手に入れて、読んでみて、私はただただ反省ばかりです。昔は、この人を馬鹿にしていたのですね。 でも私にはもうそんな資格なんかありません。今はただただ岡井隆さんを尊敬するばかりです(もちろん、そう私がなれたのは吉本隆明さんのおかげです)。

短歌は、日本語の特性そのものですから、世界的な広がりや普遍性はありません。」まったくその通りです。ソネット(十四行詩)とは違います。でも上田敏の「海潮音」なんか実にいいです(でも私は岩波文庫のを売っちゃったな)。
 でも今知りました。青空文庫で読めるのですね。以下です。

 http://www.aozora.gr.jp/cards/000235/card2259.html

 おそらく、中国の詩は、漢詩(日本の漢詩も)は西洋語にも訳して、それで十分伝わるのではないかな。でも、短歌は無理です。
 その点俳句は大きく違うように思えます。ただインターネットやテレビで見ていると、俳句の形式のほうが、若者にも外人にも受けがいいように思えるのですね。でも短歌だけは、孤立しているように思えます。
 まあ、なんにしても私はやはり、日本でも漢詩はよく分かる(分かろうという気持になれる)のですが、短歌他も苦手なばかりです。

12030307 私の2012年3月3日のポメラの2へ、目森一喜さんから、次のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年03月03日 20:38
 アイルランドも反イングランドですね。宗教的にもカトリックだし、映画などでもアイルランド独立派がナチスドイツと結んで活動するという話はいくつもあります。IRAはその系譜でもありますね。
 スコットランドの方は『ブレイブハート』という映画がありました。
 ヨーロッパや英国の王権は、日本だと徳川家とか島津家とか毛利家の権力と比べるべきものですね。世俗のものですから。天皇は宗教性を大きくはらみますから、法王の権力との比較の方が成り立ちやすいと思います。

 アイルランドというと、「ジョン・フォード『静かなる男』」を思い出します。この映画のジョン・ウェインが好きなのですね。いやいわゆる西部劇のジョン・ウェインは好きではないのですが、この映画は好きになれます。いやいくつもの映画のシーンが思い出されます。
 アメリカという国は、どうしても反英国なのかなあ。ジョン・F・ケネディもアイルランド系の人でしたね。
 どうしてもいわゆる英国というのは、好きになれないのでしょうね。アメリカという国は、むしろフランスのほうと仲がいい気がします。国語が、英語と米語で似ているということだけでしょうね。

 この『ブレイブハート』はまだ見ていないので、今度DVDで見てみます。
 昔名古屋に住んでいた小学5年の頃見ていたテレビで、「ロビンフット」がありました。その中で、絶えず支配するノルマン人と支配されているサクソン人の争いが描かれていました。でもいつの間にかノルマン人なんて、いなくなった感じですね。あ、王朝がノルマン王朝か。だが思い出せば、そのテレビのロビンフットは、弟のジョン王は大嫌いで、敵ですが、兄の王にはシンパシーがあるのですね。一緒に十字軍でイスラムと闘ったという気持があったようです。
 ロビンフットの弟分でリトル・ジョン(全然「リトル」ではないですが)という男がいて、彼はロブンフットが亡くなったあとも活躍したらしいのですが、もう今の私では、知らないことばかりになってしまいました。

 日本の天皇家は、どうにも理解しにくいです。後水尾上皇の活躍が、でもでも分かりにくくさせたように思いますね。昔修学院離宮を歩いたときにも、絶えずこの天皇上皇のことが思い出されていたものでした。

12022503 前にも、htmlをちゃんと思い出せない に書きましたが、本当に私はあやういです。
 ここのサイドバーの一番上の「3・11東日本大震災慰霊」を入れたのですが、その下に前にあった「じゅに!じいじと遊ぼうよ」をそのまま置いておくのに、目森一喜さんが前に言われた

<span style="font-size:3;"></span>

を二つの間に、そのまま入れました。
 いやその他、私はエディタの秀丸を使っているのですが、秀丸を支払ってその際教えてもらったライセンスが分からなくなってしまっています。それは私のどこかに記してあるはずなのですが、今は分からないのですね。
 なんとなく、どんどんとあやうくなっています。

11122827 私の12月9日の「htmlをちゃんと思い出せない」に、お二人の方に、次の二つのコメントをいただきました。

1. Posted by 藤田 典   2011年12月09日 13:43
size=""
ではありませんか?うろ覚えですが。

2. Posted by 目森一喜   2011年12月09日 21:56
タグについてわからなくなったら、これらのサイトを見てください。
http://www.htmq.com/
http://heo.jp/tag/
http://html.eweb-design.com/

書き方は
<font size="値"></font>
<span style="font-size:値;"></span>
などありますが、出来るだけ後者をお使いください。値のところに、例えば2倍なら2と入れるか、200%と入れるかしてください。
タグなんて忘れますし、使えなくなるタグも出ます。その都度確認した方がいいです。

 ありがとうございます。「タグを忘れるなんて、俺はダメだなあ。あ、もともと俺はパソコンなんかまともに使える人間じゃないんだ」なんて落ち込んでいたものでした。

タグなんて忘れますし、使えなくなるタグも出ます。その都度確認した方がいいです

って、この通りです。
 今後その都度確認するようにします。

11122807 2011年10月18日に、私の「藤田東湖『正気歌』を載せなくては」へ目森一喜さんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2011年10月18日 13:41
暑かったり涼しかったり、食べられなかったり、乾いたり、満ち足りたりと、そうした様々なことが無意識という内面を作って行くのだと思います。聴覚や嗅覚、視覚、味覚といった感覚は脳に近い位置にあり、伝達も早く、また、聴覚は寝ることのない感覚です。10ヶ月、胎内の音を聞いていた耳は、外に出ても聞こえる音をすべて聞いています。守られ、情愛を注がれることは命を育むのだと、私は信じています。

「情愛を注がれることは命を育む」とは、私も固く信じています。

 じゅにも、母親のブルータスの胎内で音を聞いていました。もう今では、じゅには満一歳をすぎましたから、今はまた大きく違うのでしょうが、私はずっとそばにいました。もう7カ月を越すわけですが、できるだけ多くじゅにとブルータスに接してきました。
 でも実は、私はふとどきで、じゅにとブルータスのそばにいましても、居眠りをしてしまうようなじいじなのです。「このじいじはだめだなあ」とじゅにに思われているだろうと思います。
 でもそれでも、こうしてできるだけ毎日(に近いくらいに、一週間に5、6度)行っています。
 じいじは居眠りするように情けないのですが、いつもそばにいるよ、と言っています。

11122815  2011年10月17日に、私の「続不況についての考察−特に消費税のこと」 (1993.10.20)目森一喜さんからの以下のコメントがありました。今頃になって書くなんて申し訳ないです。

1. Posted by 目森一喜   2011年10月17日 11:07
山川菊栄は東京の人ですが、母親は水戸の人で青山延寿の娘ですね。幕末の殺し合いさえなければ、水戸からはもっと優秀な人が出ていたんでしょうに・・・私の大好きな文学者樋口一葉の短歌の師匠も水戸藩士の妻女で、あの殺戮合戦で夫を亡くされた方だったと記憶しています。

 私は山川菊栄はけっこう著作を読んできました。山川均の奥様になられた方ですね。私は戦前では、講座派よりは、労農派のほうが、ずっと理論的には上だと思っています。
 そしてそうしたこととは関係ないのでしょうが、この山川菊栄は実に大好きです。
 ただ、それでも幕末ー維新の、茨城の水戸天狗党と、水戸諸生党との争いには、どうしても嫌になってしまいます。どちらも尊王攘夷だよね。嫌で嫌でたまりません。
 でもそうは言っても、私にも天狗党の血が流れているのですね。だから、今も諸生党は許せない気持です。思えば、だから今も茨城県はさえないのだよなあ。
 そうです。「飯嶋和一『神無き月十番目の夜』」も、茨城県が舞台です。そしてこれは江戸時代の最初の事件です。これまた読んでいて、つらい事件が描かれています。私はこの飯嶋和一のファンですから、作品は出版されているものは、すべて読んでいますが(「始祖鳥記」「雷電本紀」「汝ふたたび故郷へ帰れず」「黄金旅風」「出星前夜」)、この『神無き月十番目の夜』は、読んでいてつらいばかりです。
 そういえば、私の大好きな平将門も、この地区での活躍だったのですね。

 樋口一葉はまだ読み込めていません。もちろん、文庫になったものは、みな二度読んでいますが、またちゃんと読み返そうと思っています。

  私の 「続不況についての考察−特に消費税のこと」 (1993.10.20)目森一喜さんからのコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2011年10月17日 11:07
山川菊栄は東京の人ですが、母親は水戸の人で青山延寿の娘ですね。幕末の殺し合いさえなければ、水戸からはもっと優秀な人が出ていたんでしょうに・・・私の大好きな文学者樋口一葉の短歌の師匠も水戸藩士の妻女で、あの殺戮合戦で夫を亡くされた方だったと記憶しています。

11102508 まずこんなにレスするのが遅くなり申し訳ありません。いや私はどうしても孫のじゅにのことで、なにやかやと忙しいことです。じゅにの見舞いに行くことで、往復で5時間近い時間を費やしています。その意味では今はパソコンではなく、IS01というスマートフォンがあって実にいいです。これでどこでも、とくに電車の中でもインターネット上にUPできますからね。
 ブログにでも、メールにでも実に簡単です。昔は電車の中で、ノートとPHS(あるいは携帯電話)で実に面倒なものでした。このことが、今でも電車の中でノートをいじっている40代の男性(ほぼ私が見る限り、この年代が多いです)に、「まだあんなことをやっているのか」と思ってしまうところです。

 ところで、やはり水戸の(いや茨城県全体でしたが)、幕末明治始めの殺戮合戦はどうにも嫌になります。薩長もとめないのだよね。
 水戸諸生党は、一旦会津へ行くのですが、土方歳三らは、そのあと函館へいくのですが、何故か諸生党だけは水戸へ帰ってきて、そこで水戸天狗党と最後の血戦が行われます。日本の歴史の中でも誰もまともに見ていません。両方ともに、尊王攘夷であり、同じ茨城弁で喋る同じ茨城人です。おそらく、薩長も幕府側も、もうこの殺戮戦には、「我関せず」というところだったでしょうね。
 といいましても、私にも天狗党の血が流れています。私も、同じ茨城の人でも、心の中で「その苗字だと、諸生党じゃないか」なんて思っているところがあります。
 でもでもその私でも、この明治になっての血戦だけは嫌になってきます。
 水戸天狗党の首領とされた武田耕雲斎の孫の金次郎が、彼は若かったから(まだ未成年だった)遠島処分だけで、それも実行されないまま、明治になり、彼は官軍となりますが、彼が求めたのは、故郷の水戸へ帰って、諸生党退治だけでした。そして殺戮戦がまた始まるのです。
 彼のかぶるシャグマ(幕末明治最初に官軍のかぶるもの)は、殺した諸生党の血で真っ赤に染まっていたといいます。

 私には、山川菊栄は、戦前の社会主義活動家というよりは、「幕末の水戸藩」を書いた著作者です。そして岩波文庫の表紙にある顔写真とともに、けっして忘れられない人なのです。
 樋口一葉も小説は大好きなのですが、目森さんのおかげか、いつもこの水戸天狗党と関連して思い出してしまう作家なのです。

2017081403 私の「周の書評(文学哲学篇)」で誤りをメールにて指摘してくれた方がいます。

兵頭正俊「死了魁

なのですが、私はこの兵頭氏をずっと「兵藤」と表記していました。Nさんの指摘でそれが判り、耻かしい思いと、「でもよかったな」という思いが交錯しています。早速訂正しました。またこの書評の文中で、兵頭氏の「三月の乾き」が、11101801「今も刊行されていない」と書いたのですが、これまたNさんの指摘で、現在は三一書房から出版されているとのことです。これは私自身が急いで手に入れねばなりません。そしてなんらかのことをコメントとして、あの書評のあとに書き入れます。
でもこうして、お会いしたこともない方に、丁寧に教えていただけるのは、非常に嬉しく感激します。ありがとうございました。(99/06/08 2:06:27)

同じく、またメールをいただきました。この小説の「死間山」の「間」は「痢廚任△襪箸い指摘です。まったくその通りなのですが、こうした漢字がJISであると思わなかったのです。嬉しいです。兵頭正俊のこの「全共闘記」の中で一番迫力があると私が思っている小説は、この

死了

です。何度か読み直してきました。
思い出せば、次の小説も、この「死了魁廚箸楼磴辰董∪鐐阿力辰覆里任垢、かなりな迫力のある小説です。「死了魁廚汎韻限蟶爐魄靴辰討い襪と思います。

目森一喜「『魚服記』殺人事件」

この小説には「太宰治殺人事件」という副題がついています。この書評も私は書いてあるのですが、UPするのは、再度読み返して、再度校閲してからと思っています。ところが、この本を借りたままで、今も返してくれない友人がいます。この本は発売元が倒産して(大陸書房だ)、もう手に入らないのですね。こまったものなのです。(99/06/08 22:14:27)

続きを読む

11093007 私の ヨドバシカメラへ寄りました目森一喜さんからのコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2011年09月30日 23:16
携帯電話にメモを書いておくか、自分宛にメールをしておくといいですよ。
私もプリンターの型番などいちいち覚えてなどいません。
忘れるのは、忘れていいことだからだと考えて、ショックを受けたりヘコんだりしてるより、対処しておけばいいだけです。
グーグルドキュメントや、MSのスカイドライブに、自分の持っている機器のデータを書いた文書を置いておくのも手ですね。
スマホなら、そういうデータを読むのにもいいですね。

 自分宛にメールをするのは、随分前からやってきました。でもたしか1,000くらいしか保存できないので、駄目なんです。「携帯電話にメモを書いておく」というのは、どこに書くのかなあ? あ、そういえば私はIS01の中に書いておけばいいのだ。「周のIS01ブログ」で書いているほかに、いくつか書いているのです。そこに書いておけばいいのだ。
 でもなんだか、昨日は疲れすぎていたのですね。
 もう63歳だから、じいじになったのかな。
 これから、おはぎの家へ行きます。

11091011 浦安で山本周五郎と鎌倉孝夫のくだらない論争を思い出したに目森一喜さんからの次のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2011年09月04日 22:28
 マルクス主義は脱亜入欧の一環です。あの人たちは、海外の動向の風向きばかりをうかがって右往左往することに血道をあげて来ました。今も同じです。
 よほど鈍感でないと、マルクス主義者や進歩派、環境派はつとまりません。

 その通りなのですが、鎌倉孝夫という人は、私こそがマルクス主義者だと強烈に思い込んでいたのですね。共産党ではなく、日本社会党こそがマルクス主義の正統な後継者だという思いだったのでしょう。どうでもいいし、くだらないのですが、でもこの人は今もそう思っているのでしょう。いろいろと、この人をけなしたい思いはありますが、なんか無駄な気もしますね。
 でもそういう馬鹿阿呆はいいのですが、問題は山本周五郎です。私は「たしかちかじか、このことを少し書いた私の過去の文章をUPします」と書いたのですが、実に嫌ですね。
 私の追悼私記15「藤沢周平のこと」に私は次のように書いています。

そして山本周五郎ですが、藤沢周平は同じような資質の作家、周五郎の影響下にあった作家だと思われがちですが、私にいわせれば、これまた冗談じゃありません。
 周五郎の「青べか物語」って、本当のお話なのかな。なんだか「浦安は本来こうあるべきだったのだ、きっとこうだったのだ」とデッチあげられている気がしてしまいます。「さぶ」で寄場送りになる「武松」(ほんとうは違う名前だけど今は思い出せない、寄場でこう呼ばれるんだよね)が、その原因になる犯罪を犯したとされるのは、最後の最後に、彼の妻になる女のせいだったと分かるのだけれど、あんなことあるのかい。ひどすぎやしないかな。
 山本周五郎は、あまりに「人間はこうあるべきだ、人間はこんなに素晴らしいのだ」という思いが強すぎるように思えます。そうではなく、人間は生きているなかで、嫌な存在にもなり、素晴らしい存在にもなります。塵芥のような人間もいれば、珠玉のような人間もいるのです。ただその中でその珠玉のような存在やできごとに会えたことを、そのまま淡々と描けているのが藤沢周平なのです。

 私はこの山本周五郎の「さぶ」を思い出していて、さぶ、栄二(「さぶ」の主人公)、おのぶ、おすえを思い出し、私は心の底から、この作品が嫌いです。この作品で、私は山本周五郎がまったく評価できなくなったのです。それはこの作品で、栄二が寄場送りになる(栄二が罪を犯した、犯人だという点)が、その真実がまったく嫌なののです。
 そのことをかなり考え込んでいまして、全部書いて、「いやおかしいよ」と言い出そうとも思いましたが、もういいでしょう。この作品で私はもはや、それ以降山本周五郎の作品を一切読まなくなりました。さぶをどうしてもかばってしまう栄二や、その二人を見つめるおのぶの姿は好きになれるのですが、栄二を寄場送りにする人物や、そして一番は、私はそういう真相にした作者が許せないのです。
 私は山本周五郎は最後の「おごそかな渇き」まで、大量に読んできた作家です。でももうどうでもいいなあ。
 そんなことばかり思いました。

 サミットストアで洗剤を買ってきました目森一喜さんからのコメントがありました。

110820041. Posted by 目森一喜   2011年08月20日 14:44
サーバー側、つまりブログの方に下書きとして保存しておいて、書き足すなどして準備が整ったら公開すれば問題ないと思います。
クライアント側、つまり、パソコンやスマホ側にデータを置いておく必要は、もはやなくなっています。クラウドです。

 ええと、これを読んで、でも私は分からず、リビングで必死に考えたのですが、分からないので、目森さんに電話しようと自分の部屋に戻りました(私のところは、リビングと自分の部屋にも電話機があるのです)。
 それで自分のパソコンを見て、一瞬で理解できました。私のパソコンはノートパソコンより小さくて(ディスプレイは17インチですが)、それでHDDは250GBで、外付けです(私のパソコンは中にも250GBのHDDが入っていますが)。
 だから私はパソコンそのものにはデータを置いていないのです。それでIS01でこのHDDに繋げれば、別に当たり前にできるのです。
 ただし、IS01でこのHDDにつなぐのが少し面倒です。でもやれますから、そうすれば、簡単なことなのです。「なーんだ、そんなことなんだ」。ただし、私はIS01にHDDをつなぐことはないでしょうね。電車の中でも、飲み屋でも簡単に繋げられますが、またHDDは小さくなったと言っても、これを持って歩く気にはなれません。USBの16GBのHDDも持っていますが、これが200GBくらいでものですごく安価になれば、やるかもしれません。
 この頃電車の中でノートを広げているおじさん(ほとんど40代ですが)が私には分かりません。でも私も15年くらい前から2年前までは同じ姿だったのですね。なんか、格好悪かったのね。
 とにかく今のまま、IS01でもブログに書いて行きます。インターネット上の情報を見てまいります。

 吉本隆明鈔集187「いったん獲得された人間の精神の範囲は逆に戻ることはありえない」目森一喜さんからのコメントがありました。

110820031. Posted by 目森一喜   2011年08月15日 11:10
 ヴェイユは最後のアナーキストと言うべき人です。アナーキズムは、ヴェイユの死で終焉しました。それ以後のアナーキズムは影でしかありません。スペインでみんな死んでしまいましたが、フランコが勝利した事が、結局は良かったのです。なぜかといえば、フランコが勝利しなければ、勝利するのはスターリンだったからです。カトリック教会のお膝元であるスペインで、そこまでは無理だろうと考え、スターリンはアナーキストの掃討だけで満足したのかもしれません。
 リバータリアニズと、名称を変えても、アナーキズムはすでに終わった運動です。
 悲惨な、血まみれの終焉を背負ったヴェイユの輝きと狂気は美しく哀しいです。

 私は羞かしいことに、ヴェイユは、吉本(吉本隆明)さんを通してしかしりません。スペイン革命は、大勢の人がいますし、いくつもの書物があって、いくつかは学んできた気がします。でもでも、なんというか、日本のアナーキストという人が一番好きになれない思いがします。
 ただなんと言いましてもヴェイユがいいですね。いつもいつもヴェイユを思うと、涙が溢れてしまいます。

 そうですね。思い出せば、いつもゴルーデン街のある店でスタッフをしている人が、いつも私にはあまりいい目をしない人でしたが、あるときに彼がアナーキストだと分かりまして(そういう本も出していました)、その後は互いにちゃんと話すようになったものでした。彼は今どうしているのかなあ。でも彼以外のアナーキスト(みなほとんどおじいちゃん、おばあちゃんでした。戦前のアナーキズムの話されたって、私は知らないよ)は、あまり好きになれなかったな。
 私はマルクス主義もアナーキズムも嫌いです。それから私が好きなはずの戦前の皇国社会主義に近いのかなあ、と思える人も、私にはマルクス主義者と変わりない、ただの偏狭な人たちばかりでした。

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  日経新聞の吉本隆明の記事目森一喜さんから以下のコメントをいただきました。

1. Posted by 目森一喜   2011年08月05日 13:11
記事を紹介してくだすって、ありがとうございます。
我が意を得た思いです。

不器用で折り鶴ひとつ折れませんが、じゅにちゃんの快癒、おはぎ家の健やかさを陰ながら祈っております。

 ありがとう。明日7日はじゅにの顔を見に妻と行きます。ブルータスにも会えます。
 目森さんの新しいサイトは、蜘蛛業なのですね。できたら、もうこのサイト一つで更新を続けてください。
 私も過去の私のホームページ、将門Webを廃止しまして、今ここのブログの将門Web一つにしました。livedoorには、お世話になっているなあという思いで、もう過去のように自分のサイト名ではなく、livedoor名が入ったほうがいいと思い、この

  http://shomon.livedoor.biz/

にしています。
 いえ、私も堀江貴文さんがけっこう好きだったのですが、実はlivedoorには、随分昔から親しくなっていたのです。PHSでインターネット継続をしていたものです。もちろん、自宅や事務所ではそれぞれにインターネット接続はできましたが、外では何かでつながないとなりません。だからノートパソコンでもlivedoorでつないでいたものでした。昔たしか2000年頃、京都へ行ったときに、新幹線でも京都でもPHSでlivedoor経由でインターネットでホームページを更新していたものでした。
 思えば、今は実に便利になりましたね。そのことを実に感じています。その当時2000年頃は、インターネットの常時接続というだけで、実に莫大な経費を平気で言っていたものでしたね。私はいくつかの会社で、そういう連中と会いまして、文字通り、「結局あなたは何も分かっていないのじゃないの」(私はけっしてこういう言葉は相手にはいいませんでしたが)ということを相手にわからせたものでした。

10090111  ちょっと遅くなってしまいましたが、8月19日の デザインマシロさんからのご質問  に その蜘蛛業の目森さんが以下のコメントをくれていました。

1. Posted by 目森一喜   2010年08月20日 07:04
webは蜘蛛の巣ですから、web上でやる事は蜘蛛のわざ、という事で蜘蛛業にしました。
本当はもっと別の名称を考えていたのですが、すでに使われているものばかりで、サイトデザイン用に暫定的に使っていた名称を格上げした次第です。
恥ずかしながら、ダジャレと苦肉の策と発想の貧困が渾然一体となって出来上がったサイト名です。でも、今は愛着があります。

 私は幼稚園の最後の9ケ月(その前は秋田市に住んでいました)と、小学1年生と2年生の1月まで札幌市に住んでいました。この札幌は、実に昆虫の多い街で、そして昆虫ではないですが、実に大きな蜘蛛の巣がどこにもたくさんありました。私は蜘蛛が自分の巣を作るさまを見るのが好きでした。
 でもこれは蜘蛛の巣のことではありませんね。
 この蜘蛛業に、私は毎日書いているわけです。

10080823 わが家のおかあさん2010.08.16建築パース工房 デザインマシロ さんから、以下のコメントを頂きました。

1. Posted by 建築パース工房 デザインマシロ   2010年08月16日 15:19
こんにちは、まだまだ暑いですねぇ。デザインマシロです。

コメントをさせて頂いてから、いくつか、文面を読ましていただいているんですが、気になっていることがあります。
蜘蛛業って、なんでしょうか?「くもわざ」って読むのでしょうか?

モノを知らないで恥ずかしいですが、若輩者なので勘弁ください。
奥さんにも、聞いたんですが、蜘蛛の仕事だから、糸を張ることでしょう!といわれました。(笑)

 ありがとうございます。蜘蛛業(くもわざ)は、このブログのサイドバーの一番上にバナーを置いてあるのですが、そこをクリックするといけます。

 http://kumowaza.net/ Spider job  蜘蛛業

 ここは、私の親しい友人であります目森一喜さんのサイトです。それで彼がこのサイトを始めてから、私が以下の4つの書き込みをここにしているのです。

 ニュースさとう
 読書さとう
 歴史さとう
 コラムさとう

 それでここには、私は萩原周ニという本名ではなく、佐藤隆家というペンネームでやっています。隆家というのは、私の尊敬する平安時代の藤原隆家の名前からとったものです。前には、その名前でいくつもの書き込みをしていたことがあるのです(そのときには建築設計に関することを毎日UPしていました)。でも今回は、最初に「藤原」を「佐藤」と間違えたのです。それで、「まあ、これでいいかな」ということで、書いてきました。
 この蜘蛛業は、目森一喜さんが私以上に優れた文章、私以上の量をUPしてきています。ぜひ毎日読んでみてください。
 ただし、今は21日まで夏休みでお休みです。

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  鈴ひとみさんからのきょうのコメント目森一喜さんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2010年06月17日 00:04
武士が奴隷売買をするようになったのは硝石を手に入れるためです。火薬の原料です。ポルトガルのイエズス会が硝石の輸入と奴隷貿易を仕切っていました。戦国時代から始まっていた事です。織田信長や豊臣秀吉も関係していたと思います。イエズス会は異教徒は人間ではないから、奴隷でいいと考えたのでしょう。キリシタンは火薬が欲しい大名と、奴隷にされたくない領民だったかもしれません。家康がキリシタンを禁じたのは、奴隷売買と火薬輸入を止めるためでした。

 電話でも言いましたが、秀吉は九州の大村藩が長崎県の一部をポルトガルのイエズス会に差し出したときに(それは日本の土地をポルトガルに差し出したのです)、最初にキリシタン禁令をやりだしました。その最初が26聖人(聖人とキリシタンは言っています)の処刑です。最初は信長と同じでキリスト教を保護もしていたのですが、このときに、このキリスト教の本質に触れたのかもしれません。
 その後、その流れが家康に続き、やがては鎖国になったように思います。
 ただ、信長がどうだったのかというのは判りません。ただ私には、信長にも日本人を海外に売ってしまっていいという考えはなかったように思います。
 ただ、あの頃のじゃがたらお春さんたちの残された文を見ていますと、あの当時も東南アジアに出かけていた日本人の最後は哀しい思いになってしまいます。鎖国をした日本がいけないのでなく、ヨーロッパがいけないのです。

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1. Posted by 目森一喜   2010年05月03日 17:47
認証は大文字と小文字を区別するようですが、全部大文字とか、小文字とか、あるいは、IMEを切らないで文字入力しているとか、そういうことはありませんか?

 いやちゃんとやっているつもりですが、どうやって確かめようかなあ。トラックバックはうまくできました。でもそのときに気がついたことがあって、そのことで、また試してみます。
 でもなんとなく、私はいつも駄目ですね。なんとなく、もう俺はこういうパソコンとかインターネットって駄目な世界なのかと思い込んでしまいます。

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 わが家のおかあさん2010.04.22ゴトさんから以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2010年04月22日 05:59
ポメラのIMEはATOKですよ。それに、おそらく、携帯電話のIMEもATOKです。

 ポメラにはATOKとMS-IMEが入っているのです。私はMS-IMEを使っています。私はどうしてもATOKって嫌なのですね。
 そしてええと実は少々ずるいのですが、「携帯電話のIMEもATOKです」は知っています。でもそれでもしらんぷりしているのです。だって、ずうっとATOKは使ってこなかったですからね。なんとなく、私はずるいのです。ATOKも一太郎もずっと使ってこなかったですからね。
 でもこういうこだわり、偏見、ずるいのは止めるべきだなあ。

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 周の雑読備忘録「コグレマサト+いしたにまさあき『ツイッター 140文字が世界を変える』」に、目森一喜さんからのコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2010年03月31日 03:39
 ツイッターは周辺で色々な人たちが色々なサービスを作り出しています。それはネットの力と方向のひとつを感じさせるものですね。
 URLを短縮化したり、場を作ったり、すっかり関心して見ています。
 中国は、天安門記念日など、何かの時にはツイッターの接続を切ります。そういう出来事があるたびに、たくましくなっています。見習いたいものです。

 ツイッターは、けっこう親しい人でも、「何が面白いのか判らない」という声(声と言ってもメールでですが)を聞きます。でもそれよりも、「やってみるよ」という返事をケータイメールでくれて、でもできない人がいるようです。みんな私の年代ですがね。
 ツイッターのいくつもの周辺ソフトサービスに感心しています。でも私も、「これどうやって使うのかなあ?」というのもありますね。

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 私が蜘蛛業でUPしました「歴史さとう」で、私が『「三国志」のことで(その3)』で次のように書いたことで、目森さんが教えてくれました。

「それは張合邦(合におおざとへんの一字で、ちょうこう)のことです」

 この「こう」の字の出し方を教えてくれました。映像として出すのですね。

 張  cyu0176110
というわけです。

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 私の好きな作品であります、これが目森さんの spider job  蜘蛛業 にUPされました。

   http://kumowaza.net/node/220
       目森一喜短編集『大相撲土俵際白星黒星』

 私はUPされたのを知った一昨日の朝早く、これを読みまして、実に笑いました。そして昨日もまた全文を読んでいました。そして声をあげてまた笑っていたのでした。
 私は、15日の昼に、お風呂に入っていて、そこでトイレに行きたくなりました。そのときに、この琴菜枯(ことなかれ)を思い出したのです。
71e56f56.jpg これには、次のようにあります。

 尿意をもよおした。体を拭いてトイレに行くのを面倒臭がった琴菜枯は、風呂場にしゃがみこんで小便をした。

 私はそのときに、トイレに行きまして、でもそのときに、このシーンを思い出したのです。そしてあの小説をまた読んでみたいと強烈に思いましたものでした。

 この小説に出てくる富士の山は、私は勝手に千代の富士を思い浮かべてしまいます。千代の富士って、こんな人だったのかなあ、と思ってしまうのですね。
 この千代の富士ではない、富士の山が、

 富士の山は呟いた。
「俺ってクリスタル」

というところはいいです。そのシーンが目に浮かびます。
 そして何故か一度も勝てなかった琴菜枯に、富士の山は、全勝同士でぶつかり勝利します。あの、相撲ファンの方がおられたら怒らないでください。相撲の関係者も、もし読んだら、怒らないでください。これは単なるどうでもいいフクションのお話です。
 でも富士の山がせっかく全勝優勝したのに、それと優勝争いをした琴菜枯は引退をしてしまいます。普通なら許されないことでしょう。でも琴菜枯のことは、もう誰もどうでもいいのです。早く自分の脳裏から忘れ去りたいのです。
 ただ、富士の山だけには、不満が残ります。負けようとしている琴菜枯に、その通り勝利しても何になるのでしょうか。もうただただ、面白くないだけです。
 でも、自分の部屋で次のようなことがあります。

 そんな時、ふと、稽古場の隅でだらだらしている若い者を見た。来いと呼んで稽古をつけた。せっかく横綱が稽古をつけてくれるのだから、勇み立って当然の所を、その若い者は、自分からやんわりと転んで、もういいと言う。富士の山には、その転び方を見るだけでわかる。まったく資質がない。しかも、やる気もないらしく、その上、聞くと痛いことが嫌いだと言う。
 嬉しくなった。富士の山は次の目標を自分の部屋で発見したのだ。

 私は今もこの小説を読んで笑いました。どうしても笑ってしまうのです。
 そしてまた同じことをいいます。

 相撲の関係者も、相撲のファンも、もしも読んだのなら、怒らないでください。笑って読みましょう。

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09120801 spider job 蜘蛛業 に、このUP『メディア戦争』があります。
 実は私は昨日キンドルを購入しようと思ってアマゾンのサイトへ行きました。キンドルは英文ばかりですが、私は「それなら俺も英語の本を読もう」なんて思っていたのです。私は高校2年か3年のときに、ヘミングウェイの『武器よさらば』をペンギンブックで読み、さらにジョージ・オーウェルの『1984年』も英文で読もうとしました。この本はそのときには、翻訳本がなかったのです。でもでも、ご存知のように『1984』は大変に暗い本なので、読みながら嫌になり挫折したものでした。その後、『世界SF全集』(早川書房)でこの本は読みました。
 英語以外では、私は東大闘争で逮捕起訴され府中刑務所に拘留されていたときに、サン=テグジュペリのLe Petit Princeを読んだものでした。あの本もずっと持っていたのに、我孫子を引越しするときに、古書店に売ってしまったなあ。(あ、余計なことを書いていました)。
 それで、キンドルを購入しようと決意したのでしたが、それはここに目森さんが書いている中の以下を見て、

キンドル本 $8.80、
書籍 $11.00
日本のアマゾン ¥ 1,791
となる。

で決意したものでした。
 ところが、

   http://www.j-cast.com/ J-CASTニュース

で、米で人気電子ブック「キンドル」 日本語版登場は間近? というのを、見て途端に英語で読もうなんていう気持は醒めてしまいました。いやスタインベックやヘミングウェイを読むつもりだったのですがね。でも、実は私はあんまりこのニュースも信用できません。だって、日本語版ができても、著作権がクリアにならないと、ソフトの書籍を私たちが読むのは無理で流通しないでしょう。
 でも何とかならないかな。私はとりあえず、新規の書籍は無理でも、漱石や太宰治の作品でもいいつもりですが、それじゃ駄目だよね。私一人くらいしかいないよ。
 吉本(吉本隆明)さんの作品なら、私はキンドル用も買うし、紙の書籍も今までどおり買うのだけどなあ。

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 spider job 蜘蛛業 に、このUP『ドバイの危機とアフガニスタンの出口』がありました。
 最初に次のようにあります。

ドバイの債務危機によって、アルカイダやタリバンに向かっていた資金的の流れが止まったと思われる。

 このことが、この出来事で一番の点ですね。タリバンやアルカイダが旧ソ連と戦ってきたときは、むしろ米国はそれを応援していました。だが、ソ連が崩壊してしまうと、今度は9・11のよいに、自分に向かって戦ってきましたから、それでは今度は退治しようということでしょうね。でももっと早くやるべきじゃなかったのかな。いや間違いなく米国は彼らを使ってきて、今やっとそのまずさに気がついたのでしょう。
 それにしても、

 この戦費を手当するために、どういう仕掛けが用いられるのか、この点も注目しておきたい。

 これはまたこの日本に出させようとするのでしょうね。ただ、この日本もただ従うばかりではありませんから、どういうふうに決めていくのでしょうか。日本も何か違うものを求めるはずです。

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 周の雑読備忘録「『図書新聞第2943号』」に 目森一喜さんが以下のコメントをくれました。

1. Posted by 目森一喜   2009年12月02日 00:07
レヴィ・ストロースへの言葉に驚き、呆れました。デリダやガタリが批判したのは、ここで今福龍太が言っているのとは正反対の内容だったはずです。山口昌男あたりがストロースを持ち上げた言葉を、今もそのまま使う腐った性根は、ちょっと度し難い。まあ、ストロース自身が、俺はそんなんじゃないぜと言うでしょうけども。

 ええと申し訳ありません。私がぜんぜん判っていないのです。私は山口昌男も読んでいませんもの。まあね、いまさら読む気持ちにはなれないのですね。いえ、もちろんレヴィ・ストロースは読む気は充分です。
 でも、読んでも翻訳が大丈夫なのかなあ、と気になります。

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 私のこのブログのサイドバーで、このサイトをリンクしています。

   http://kumowaza.net/ Spider job 蜘蛛業

 それで、上の画像がそこのバナーです。ここのサイドバーにも、これを貼っています。
 ちょうど先週の3日くらいから開始されたと思います。主宰の目森一喜さんがここで記事を毎日いつくもUPしています。
 彼の書く記事と海外のマスコミのたくさんの記事が書かれていくわけですが、同時に私が大きく興味の持つものもUPされていきます。
 彼は作家でもあるのですが、その彼の作品である 魚服記殺人事件 がUPされています。私はこの作品がハードカバーの本になったときに、購入して読みました。大変にいろいろな方からも好評だったのですが、これを出版している出版社が突然倒産しました。そして、この本も世の中では読めない本になってしまいました。思えば、私もこの本を我孫子から引越しするときに(昨年3月末のことです)、古書店に売ってしまいました。売らなきゃ良かったな。でもそんなに考えている暇もなかったのです。
 でもこうしてインターネット上で読めるというのは、実にいいことです。
 戦前(昭和7年)の太宰治の動きの中である大きな事件が起きます。太宰治に関連した殺人事件です。今また、その小説をこうしてインターネット上で読めることが嬉しいです。
 また私萩原周二が、佐藤隆家というペンネームで、ニュースさとう というものを毎日UPしています。この「ニュースさとう」については、このあとまた書いていきます。

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 周の雑読備忘録「『週刊アスキー通巻759号』」へのコメントへ、目森一喜 さんがさらに以下のコメントをくれました。

1. Posted by 目森一喜   2009年11月05日 13:11
よく考えると、本は再販価格商品だから、日本ではキンドルだから安くなるという事はないんですね。そうすると、ちょっとがっかりです。場所をとらないというだけでも電子ブックは魅力的なんですが・・・

 あ、そうか。「本は再販価格商品」なんだ。日本というところは大変なことをやってしまっているのですね。でもでも、この事態をなんとしても突破してほしいな。
 それにまず第一に、もう漱石や太宰治の作品なら問題ないはずです。でもそれだけじゃ商売にならないか。
 キンドルで日本語で見られる機器が出てきたら、私は大変に評価しますが、でもでも私が誉めたとて何もならないなあ。
 なんとかやってほしいものです。

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 周の雑読備忘録「『週刊アスキー通巻759号』」目森一喜 さんが以下のコメントをくれました。

1. Posted by 目森一喜   2009年11月04日 18:37
キンドルは、日本でも買えるのですが、アメリカのものがそのままですね。ソフトが洋書しかないから、それでいいという事なんでしょうね。
アメリカのアマゾンで見たら、キンドルのソフトは少し安いし、持ち歩くのもかさばらないので、欲しいですね。
日本で対応ソフトが出て、売れれば日本語対応もして来るんでしょうし、大日本印刷が電子ブックに取り組んでますね。
これから面白くなってくれるといいところですね。

 キンドルの日本語版が早く見たいものです。でも「大日本印刷が電子ブックに取り組んでますね」ということなら、それでもいいなあ。要するに早くやってほしいです。漱石でも太宰治でも私はそれで読み直します。いや、森鴎外もこれで読み直しますよ。
 例えばサ、島崎藤村は、また読みたいという思いはないですが、漱石と太宰治はまた読み直したいです。『虞美人草』なんて、ちゃんともう一度読みたいものです。『明暗』もそうです。それで、また私は修善寺を歩くつもりです。

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