私はときどき聖書を読みます。私のは日本聖書協会の「舊新訳聖書」で、文語訳のものです。とくに読むのは新訳聖書の「マタイ伝」です。これは吉本（吉本隆明）さんの「マチウ書試論」を何度も読んだことにより、深く読み込めるようになってきた感じがしています。
原始キリスト教の一番身近な存在であるユダヤ教との激しい近親憎悪とも思える愛憎の言葉がマタイ伝のすべてに見えてきます。私には、ユダヤ教を徹底して憎んだ原始キリスト教がやがてはローマ国教となったときに、ユダヤを完全に弾圧できる力を確立できたかと思っています。おそらく、そんなことのためにイエス・キリストが生まれたのでしょうか。そういうことで、マタイ伝の作者はイエスを生み出したのでしょうか。そんな風に私には読めてしまうのです。
以下は、
破茶の掲示板（これは現在はありません。ただ私は彼女の歌に関しては、周の『独楽吟のススメ』という部屋で書き続けています）
に書き込んだものです。破茶さんが聖書を読んでいるという書き込みを見まして書き込むことになりました。それから、毎日私のすぐそばにおいて、このマタイ伝を何度も読み返しています。またこれからもこのマタイ伝への思いを書き続けていきたいなと考えています。
「新約聖書」の最初が「マタイ伝」です。私はこの「マタイ伝」をよく読みます。そして、その「マタイ伝」から私に伝わってくるのは、「愛」ではなく、「憎しみ」なのですね。
例えば、イエスは十字架にかけられるわけですが、それを望んだのは、ユダヤの民衆です。祭りごとに、ローマ総督は、民衆の要求する一人の囚人を釈放する習わしがあり、ローマのユダヤ総督のピラトは、民衆にバラバという囚人とイエスのどちらを赦そうかと問いかけますと、ユダヤの群衆は、バラバを赦せ、イエスを十字架にかけろというのです。
さてイエス、総督の前に立ち給ひしに、総督問ひて言ふ『なん
じはユダヤ人の王なるか』イエス言ひ給ふ『なんじの言ふが如し』
………（中略）総督こたへて彼らにいふ『二人の中いづれを我が
赦さん事を願ふか』彼らいふ『バラバなり』ピラト言ふ『さらば
キリストと称ふるイエスを我いかにすべきか』皆いふ『十字架に
つくべし』ピラト言ふ。『かれ何の悪事をなしたるか』彼ら烈し
く叫びていふ『十字架につくべし』ピラトは何の効（かひ）なく
反（かへ）って乱にならんとするを見て、水をとり群衆のまへに
手を洗ひて言ふ『この人の血につきて我は罪なし、汝等みづから
当れ』民みな答へていふ『その血は、我らと我らの子孫とに帰す
べし』ここにピラト、バラバを彼らに赦し、イエスを鞭うちて、
十字架につくる為に付（わた）せり。
イエスを十字架にかけたのは、ローマではなく、イエスと同じユダヤの民衆なのです。そして、このことの責任をユダヤ人は、子孫にまで負うと宣言してしまいました。
そのあと、イエスは十字架を背負て、ゴルゴタの地を歩きます。そして十字架の上にかけられたときも、ユダヤの群衆は、お前が神の子なら、どうして己を救えないのだと責めます。イエスの十字架の左右に同じく十字架にかけられていた二人の強盗もまた、同じ言葉でイエスを責めます。イエスは神に叫びます。
三時ごろイエス大声に叫びて『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』
と言ひ給ふ。わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひしとの意（こ
ころ）なり。
イエスが救おうとした大衆は、彼自身をこそ十字架にかけろと叫び続けました。イエスは「どうして神は、私を見棄てるのだ」と大声で叫びました。だが、神は何もしません。
この光景を私は想像するのですが、実に民衆の心にはイエスに対する憎しみしか感じられません。そしてイエスもまたこの民衆たちを愛していたのでしょうか。
イエスの弟子たちはどうだったのでしょうか。一番の弟子ともいえるペテロはどうだったのでしょうか。私にはこの「マタイ伝」の中で一番迫ってくる内容です。
ペテロ外にて中庭に座しゐたるに、一人の婢女（はしため）き
たりて言ふ『なんぢもガリラヤ人イエスと偕（とも）にゐたり』
かれ凡ての人の前に肯（うけが）わずして言ふ『我は汝の言ふこ
とを知らず』かくて門（かど）まで出て往（ゆ）きたるとき、他
の婢女かれを見て、其処にをる者どもに向ひて『この人はナザレ
人イエスと偕にゐたり』と言へるに、重ねて肯（うけが）わず、
契（ちか）ひて『我はその人を知らず』といふ。暫くして其処に
立つ者ども近づきてペテロに言ふ『なんぢもたしかに党与（とも
がら）なり、汝の国訛なんどを表（あらわ）せり』ここにペテロ
盟（うけ）ひかつ契（ちか）ひて『我その人を知らず』と言ひ出
るをりしも、鶏鳴きぬ。ペテロ『にはとり鳴く前に、なんぢ三度
（さんたび）われを否（いな）まん』と、イエスの言ひ給ひし御
言（みことば）を思ひ出し、外に出でて甚（いた）く泣けり。
イエスはペテロに対して、「お前は、捕まった私のことを、『俺はあの男と関係ない』と鶏の鳴く前に三度言うだろう」と言った。ペテロは、あなたのことを見棄てはしない、そんなひどい自分にはならないとイエスに言い放ちます。でもそのあとの事実はイエスの言う通りでした。ペテロはわが身可愛さに、イエスのことは知らないと言い続けたのです。三度目に「知らない」と言ったときにイエスの言う通りに、鶏が鳴くのです。
このときの光景も実に激しく私に迫ってきます。そのときのペテロの心は、実は私たちも誰もが持ってしまってきた経験の一つではないでしょうか。そして私には、こうして弟子に「お前は、私を見棄てるのさ」というイエスの心も、決して明るくは思えません。愛の気持を感じることができません。
いや、だからこそ、私にはこの「マタイ伝」こそが、何度読んでも、その内容にひきつけられるのです。
私はこの「マタイ伝」の中で、イエスの言葉の中で好きになれるのが次です。
百匹の羊を有（も）てる人あらんに、若しその一匹まよわば、
九十九匹を山に遺しおき、往きて迷へるものを尋ねぬか。もし之
を見出さば、まことに汝らに告ぐ、迷はぬ九十九匹に勝りて此
（こ）の一匹を喜ばん。
この言葉があるときに、私はこのマタイ伝を読むときの気持が少しは明るくなるのです。
イエスは愛の神（正確には神の子）ではなく、烈しい憎しみを私たちにぶつけてくる神にも思えます。だが、その中で上の一匹の羊をこそさがすイエスの言葉は、やはり私は愛を感じることができるものです。(2001.11.26)
