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周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:良寛

110428071992(平成4年)

良寛
  1992.2.1 春秋社 2,000円(本体1,942円)
  序
  機[百
     思想詩
     僧侶
     隠者
      1 自然のなかの自然
      2 自然のなかの生活
      3 自然のなかの倫理
      4 自然のなかの宗教
      5 書の自然性としての良寛
      註記
  供 嵶百押廾文
     仏教者良寛をめぐって 野づらゆく行乞の思想
       対談者 水上勉
     漱石のなかの良寛
     良寛書字 無意識のアンフォルメル
     エロスに融ける良寛
  あとがき
  初出メモ

2017010902

10102607  私が小さいときに、よく父や母が良寛のことを話してくれました。子ども好きな良寛さまのお話ですね。そしてだんだん私は良寛のことをいろいろと知るようになってきました。最初の最初はいくつかの和歌ですが、学生のときには詩吟の世界でいくつもの漢詩を知りました。

  良寛の詩を紹介しようとして、良寛の詩を調べてみました。詩吟の世界ではけっこう吟われる詩人なのですが、その詩吟の教本と良寛の詩は少しずつ語句が違っています。できるだけ良寛の原文だろうという詩句で見てみます。
  私は以下の詩を國誠流吟道会宗家の荒國誠先生に習いました。國誠先生はとても良寛が好きなようでした。私は何度も先生に詠い方を注意されました。私の吟い方はいつも喧嘩をしているような感じで、とても良寛の心を表わせないのです。

        餘生      良 寛
    雨晴雲晴氣復晴  雨晴れ雲晴れて気も復(また)晴る
    心清遍界物皆清  心清ければ遍界(註1)物皆清し
    捐身棄世爲間者  身を捐て世を棄てて間者(註2)となる
    初月與花送餘生  初めて月と花とに余生を送る

    (註1)遍界(へんがい)いたる処、全世界。
    (註2)間者  ひま人、間は閑とも作る、詩吟では閑人(かんじん)と吟
          う。

    雨が晴れて雲も晴れ、気分がすっかり晴れる
    こうして心が清くなると、いたるところのものがみな清く見える
    自分の身をすて、世間から離れることにより、こうしてひま人となった
    それで月や花を歌って余生を送っていこう


        半夜         良 寛
    囘首五十有餘年  首を回らせば五十有余年
    是非得失一夢中  是非得失(註3)は一夢の中
    山房五月黄梅雨  山房五月黄梅(註4)の雨
    半夜蕭々灑虚窗  半夜蕭々虚窓(註5)に灑ぐ

    (註3)是非得失(ぜひとくしつ)良い悪い得と失うこと、「人間是非」
       とも良寛は作っている
    (註4)黄梅雨  梅雨、さみだれ
    (註5)虚窗(きょそう) がらんとしてなにもない家、あばら家

    ちょっと考えてみると私はもう五十歳を何年も過ぎている
    良いこと悪いこと、得なこと失うことなどは、またたくうちの夢の中のこ
    とだ
    山にあるわが家に五月雨が降っている
    雨は夜中にも蕭々とわがあばら家に降りそそいでいる


      時息      良 寛
    擔薪下翠岑  薪を担いて翠岑(註6)を下る
    翠岑路不平  翠岑の路は平かならず
    時息長松下  時に息う長松の下
    靜聞春禽聲  静かに聞く春禽の声

    (註6)翠岑(すいしん) みどりの山八合目

    薪を担いで緑の山を下ってくる
    山の路は平かではない
    大きな松のもとで休んでいく
    静かな中にたくさんの春の鳥たちの声が聞こえる

  当時の私は革命運動に邁進しているころですから、とても良寛の心意気なんか分かるわけがなかったのです。でも私はこれら良寛の詩は大好きでした。
  それから十余年もたった三〇代後半に、私はなんとか良寛の詩がうまく詠えるようにと考えてやってみました。まだまだどうしても私には無理なようでした。
  今五〇歳を過ぎてしまった私ですから、この良寛の詩をなんとか自らのものとして吟いたいなと思っています。
  また次の詩も國誠先生から習いました。

      無心          良  寛
    花無心招蝶  花は無心にして蝶を招く
    蝶無心尋花  蝶は無心にして花を尋ぬ
    花開時蝶來  花開く時蝶来たり
    蝶來時花開  蝶来たる時花開く
    吾亦不知人  吾亦人を知らず
    人亦不知吾  人亦吾を知らず
    不知從帝則  知らず帝の則に従う(註7)

    (註7)「識らず知らず帝の則に従う」と「詩経」等にある。中国の政治
       の理想であるが、ここでは自然の道に依るというような意味。

    花は無心に蝶を招いている
    蝶も無心に花を尋ねている
    花が開くときに蝶がやってきて
    蝶が来るときに花が開く
    私もまた誰のことも知らない
    誰もまた私のことを知らない
    どうしてかそのまま自然に生きているだけなのだ

  この詩は詩吟では最後の三行は詠いません。荒先生の美しい吟じ方をありありと思い出せる詩です。先生はこうした境地に達してしたのでしょう。
  思えば、良寛も若いときにはきっと曹洞宗の教えに燃えて、なんとしても悟を開こうと努力したことでしょう。それがいつからか、こうした詩歌や書を書く世界に入って行きました。本来なら道元の教えとは相容れないものなのでしたが、こうした世界に到ったとき、良寛はまさしく自然の中に生きている自分を見つけ出したことでしょう。自然の中に自然のまま生きていこうというのは、実は大変に苦労することなのでしょうけれども、良寛にはそれが自らが到ってきた姿だったのでしょう。
  次の詩はそんな良寛の姿が目の前に見えるようです。

    柳娘二八歳  柳娘二八の歳
    春山折花歸  春山花を折って帰る
    歸來日已夕  帰り来って日已に夕れ
    疎雨濕燕支  疎雨燕支(註8)を湿す
    囘頭如有待  頭を回らして待つ有る如く
    搴裳歩遲々  裳を搴(註9)げて歩遅々たり
    行人皆佇立  行人皆佇立(ちょりゅう)し
    道是誰氏兒  道う是れ誰が氏の児ぞ

    (註8)燕支  紅をとる草
    (註9)搴(かか)は下の手が本当は衣

    十六歳ぐらいの若いきれいな娘さんが
    春の山辺で花を折って帰ってくる
    既に夕暮れになってきた
    まばらな雨が降ってきて採ってきた花びらを濡らしている
    そして娘さんは振り返って誰かを待っている様子をして
    着物の裳をからげてゆっくりと歩んでいく
    じぶんも含めて通りがかりの人は皆立ちどまって
    口々にあれはどこの娘さんなんだろうかとささやきあっている
    (この訳は「吉本隆明『良寛』」にのっている吉本さんの訳です)

  この若い綺麗な娘さんを見ている良寛の姿がそのまま鮮やかに浮んできます。良寛の詩は実は平仄や押韻の法則など、まったく気にしていません。ただこうして綺麗な娘さんとのちょっとした出会いをそのまま詩にしているだけなのです。私もいつかこうした良寛のような存在になれたらなと思っています。(以上は、私の52歳のある日に書きました)

  良寛(1758〜1831)は、江戸時代後期の禅僧で、漢詩人、歌人です。越後の出身で、性は山本、名は栄蔵です。
 諸国を行脚し、漂泊しましたが、この詩は故郷に身を落ち着けたときです。

           良寛
  二十年來里歸 二十年来 郷里に帰る、
  舊友零落事多非 旧友零落して 多くは非なり。
  夢破上方金鐘曉 夢は破る 上方(註1)金鐘の曉、
  空床無影燈火微 空床(註2)影無く 燈火微かなり。

  (註1)上方(しょうほう) 上の方
  (註2)空床(くうしょう) 誰もないない寝床 がらんとした床

  二十年ぶりに故郷へ帰ってきたが、
  旧友は亡くなってしまい、多くは不利な状況になっている。
  上の方の寺院の鐘で眠りは覚めたが、
  誰もいない床には、ともし火がかすかである。

0fa1415f.jpg いつも思うのですが、良寛はたくさんの逸話は、無邪気に思えるほどの良寛を感じますが、たくさん残っている漢詩は、私にはどうにも暗いものとしか思えません。それがどうしても私には不可解なところです。
 私が20代始めから詩吟を習っていた宗家荒國誠先生も、実にこの良寛が好きでした。いつも私に良寛の詩を教えてくれていました。
 だが、いつも良寛の心境には遥かに至れない私をばかり感じていたものでした。

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2017012401

 この羅隠(832〜909)は、晩唐の詩人です。浙江省新城の出身。進士の試験に10度続けて落ちたので、名前を変えたといいます。

    人日立春(じんじつりっしゅん) 羅隠
  一二三四五六七 一二三四五六七
  萬木生芽是今日 万木芽を生ずるは 是れ今日
  遠天帰雁拂雲飛 遠天の帰雁 雲を拂って飛び
  近水遊魚迸氷出 近水の遊魚 氷を迸(ほとばし)らせて出づ

  一二三四五六七、
  すべての木が芽を出すのは、この今日である。
  遠い空の帰っていく雁の列は、雲をはらうように飛んで行き、
  近くの池や川の魚は、氷からほとばしるように飛びはねる。

2d71925c.jpg 正月の一日は鶏、二日は犬、三日は羊、四日は豚、五日は牛、六日は馬、七日は人、八日は穀物と定め、その日の気象によって、それぞれの運勢を占う習慣がありました。
 人日立春とは、七日が立春に当たったことを言います。

 この詩を読んで、私はすぐに、次の詩を思い出していました。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/50873329.html 良寛「毬子」

 たぶん、良寛は、この羅隠の七言絶句の起句を、自分の詩の結句にしたものなのでしょうね。ただし、これは私が勝手に推測するだけのことです。

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ひさしぶりに良寛の詩を見てみました。雲水姿の良寛が目に浮かんできます。

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暮投閑閑舍 暮れて閑閑舍(註1)に投ず
良寛
自從一破家散宅 一たび破家散宅(註2)自従(よ)り
南去北來且過年 南去北来(なんきょほくらい)且(しばら)く年を過ぐ
一衣一鉢訪君家 一衣一鉢((註3)君が家を訪う
復是凄風疎雨天 復是れ凄風(せいふう)疎雨(そう)の天

(註1)閑閑舍(かんかんしゃ) 友人の医師原田鵲斎(じゃくさい)が住んでいた家の名。
(註2)破家散宅(はけさんたく) 家を取り散らすことから、仏門に入ること。
(註3)一衣一鉢(いちいいっぱつ) 一枚の袈裟と一個の食器のことから、僧侶の境遇。

ひとたび家を出て僧侶となってから、
南に北にと行脚して、どうにかしばらく年月を過ごしてきた。
一枚の衣と一個の器を持つだけの私が、あなたの家を尋ねたのだが、
私の身と同じで、外はまた冷たい風でまばらな雨が降っている天候だ。

この雲水姿の良寛が、寒い季節、路を歩いている姿は、みすぼらしいものだったかもしれません。良寛と原田鵲斎とは昔一緒に学んだ友でした。その友の家にひさしぶりに訪れている良寛です。
良寛は、いくつもの詩があり、私も多く吟ってきました。いつもいつも詩吟の宗家に私の吟う詩吟に関しては注意されてきました。とくに私には良寛は詠えないものだったようです。
でもなんとかもう60に手が届く私です。私も変わったものなのだといいたい思いです。

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 この詩には題がありません。それで「困ったな」という思いで、承句を題名としました。
 それにしても、実に良寛らしい詩ですね。読んでいまして、実に嬉しい思いで頬が微笑みます。

  敦謂我詩詩 敦(たれ)(註1)か我が詩を詩と謂(い)う
  我詩非之詩 我が詩は之れ詩に非(あら)ず
  知我詩非詩 我が詩を詩に非(あら)ざるを知らば
  始可與言詩 始めて与(とも)に詩と言う可し

  (註1) 敦は本当は右が丸。この字がないのです。困りました。

  誰がわたしの詩を詩と言ってくれるだろうか
  わたしの詩は詩ではないのだ
  わたしの詩が詩でないことを知ってくれる人がいれば
  その人とはじめてわたしは詩を語ることができるのだ

 良寛の詩はいくつもありますが、みな平仄も韻も踏まえていません。だから、この承句にある「我詩非之詩」は、本当にその通りなのです。
 でもそのことを本当に知ってくれれば、その人となら、詩のことを語ってもいいだろうと言っているのです。
 私は昔から、この良寛さんが好きです。でも彼の詩を私が詠うのはとても難しい思いがしていました。私はやたらに、戦闘的に大声で吟うだけの男なのです。
 でももう孫のいる私です。今後もっと良寛の詩を読んでいこう。そして詠える自分になっていこうと思っています。

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201704240907011001 良寛で始めて知りましたのは、次の歌なのです。

この里に手まりつきつつ子どもらと
遊ぶ春日は暮れずともよし

この歌については、私の父も母もよく教えてくれました。父にも母にも良寛は実に親しく感じます存在のようでした。
そして私が、荒國誠先生に詩吟を習い始めたときに、最初に習いました短歌もこの歌でした。荒先生も良寛さんのことが大好きなようでした。先生のくちぶりからそのことは強く感じられました。
この短歌と対応した七言絶句がこの詩です。

毬子(きゅうし)   良寛

袖裏繍毬直千金 袖裏(しゅうり)の繍毬(しゅうきゅう) 直千金
謂言好手無等匹 謂(おも)えらく好手(こうしゅ) 等匹(註1)無しと
箇中意旨若相問 箇中(註2)の意旨(いし) 若し相(あ)い問わば
一二三四五六七 一二三四五六七

(註1)等匹(とうしつ) 匹敵する
(註2)箇中(こちゅう) その中に。ここでは手まりをつく中に

袖の中の綺麗な刺繍をした手まりは千金の値がする
思うのには、手まりの名人で私に匹敵するものはいないだろう
手まりをつく意味を私に問われるならば
私はただ「一二三四五六七」と答えよう

いや実に良寛さんらしいですね。村の子どもたちと、無心無邪気に一日中手まりついていたという姿が見えるような思いになります。
ただ、こうした良寛さんの至った心境に私が到着できるのはまだまだ先のことだろうと思っています。

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