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Tag:陶淵明

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 私の 周の漢詩入門「陶淵明『雑詩 其五』」に 則幸さんという方から、次のコメントがありました。

1. Posted by 則幸   2010年03月14日 11:12
お邪魔致します。コメントをお許し下さい。
 今朝物思いに耽っていましたら、不意に「何ぞ図らん人後の憂い」が浮かび、これは陶淵明の詩にあったものじゃなかったかなと、ネットで調べるうち、こちらに到った者です。真偽の程はどうなのでしょう。因みに、上の詩は、もう30年ほど前に出会ったもので、非常に懐かしく当時を思い起こしております。猛り狂う志などとは程遠く、思い浮かばない回路図と悪戦苦闘しておりました。息抜きに漢詩を読むことが、バランスと取ってくれていたのかもしれません。戯言を申しました。御容赦を。
 杜牧もいいですよ。唐詩選には載っておりませんが。
では、失礼します。

 うーん、私では判らないですね。陶淵明にはいくつもの詩があり、そして現在も残されていますが、その中にあるのかどうかも判りません。ちなみに漢文ではどう書くのでしょうか。陶淵明は、詩はほぼ一行は五言のみです。
 私では、こうして片言を書かれてもまず判らないです。
 杜牧は好きですよ。ついこの間は、杜牧の『烏江廟』*という詩を詠いました。そうすると、私よりもお年寄りの女性が、私にあわせて吟ってくれましたが、そのあと、私がまた詩たいました「黒澤忠三郎『絶命詩』」は知らないようでした。詩吟をやっていても、幕末の志士の詩は知らないようです。私は70年安保闘争において、大学のバリケードの前で詠ったものでした。

*ええと、この「杜牧『烏江廟』」はどうしてか、私のサイトで見られません。早急に見られるようにします。

2018061401   なんだか、この詩も読んでいて、どうにも哀しい思いだけです。昨日も孫と愉しくすごしましたし、きょうもまたもうすぐ孫が来てくれます。でもなんだか、今の自分の存在にも寂しさを感じていますのです。
陶淵明もまた同じだったのかなあ、と思いました。

雑詩 其五 陶淵明
憶我少壯時 憶う 我少壮の時、
無樂自欣豫 楽み無きも 自ら欣豫(註1)す。
猛志逸四海 猛志 四海に逸(いっ)し、
騫翼思遠跳 翼(註2)を騫(あ)げて 遠跳(註3)を思う。
荏苒歳月頽 荏苒(註4) 歳月頽(くず)れ、
此心稍已去 此の心 稍(ようや)く已(すで)に去る。
値歡無復娯 歓びに値(あ)へど 復た娯(たのし)むこと無く、
毎毎多憂慮 毎毎(ことごと)に 憂慮多し。
氣力漸衰損 気力 漸(ようや)く衰損(すいそん)し、
轉覺日不如 転(うた)た覚(おぼ)ゆ 日びに如(し)かずと。
壑舟無須臾 壑舟(註5) 須臾(しゅゆ)無く、
引我不得住 我れを引(ひき)て 住(とど)まるを得ざらしむ。
前塗當幾許 前塗(ぜんと) 当(まさ)に幾許(いくばく)ぞ、
未知止泊處 未だ知らず 止泊(しはく)する処を。
古人惜寸陰 古人 寸陰(すんいん)を惜(おし)めると、
念此使人懼 此れを念(おも)へば 人を使(し)て懼(おそ)れしむ。

(註1)欣豫(きんよ) 豫は易の卦で、喜ぶという意味。
(註2)翼(かく) 本当は違う字。
(註3)遠跳(えんしょ) 跳も違う字です。遠く飛ぶ。
(註4)荏苒(じんぜん) 歳月が次第に過ぎ去るさま。
(註5)壑舟(がくしゅう) 「荘子」のある言葉。月日がぐんぐん過ぎ去るさま。
(註5)須臾(しゅゆ) しばし。ほんの短い時間。

思えば私が若いときには、
楽しいことはなくても、自分から喜び楽しかった。
激しい志は四海の外に抜け出していて、
いつの日かつばさをひろげて、遠く飛ぼうとしていた。
だがそのうち歳月はすぎさり、
そのような気持もだんだん去ってしまった。
歓ばしいことに会っても何の楽しむこともなく、
いつも心配ごとばかりが多くなった。
気力はだんだん衰える、
日毎に前日に及ばないようになっている。
時の流れはぐんぐんと過ぎ去りて、
私をどんどんと老衰に駆りたててゆく。
これから先はどのくらいの日々が残っているだろう、
わが身を休めるところはどこなのだろうか。
古人は一寸の光陰も惜しんだという、
それを思うと、恐ろしい気持になってしまうのだ。

実はこの詩を昨日書いていて、なんだか内容に入り込むことができず、「陶淵明か……」なんてボソっと言っただけで、孫の家に向かったものでした。
きょうは、他の詩人の詩を読んでいましたが、でもこの『雑詩 其五』だけは、私のブログにUPしようと思いました。
少し別の詩を読んでいくべきなのかなあ。

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 どうしてもこの陶淵明の「雑詩」を読みこなすのに、実に時間がかかっています。私にはどんなに好きになってきても、今も大変に難しい詩人です。

   雑詩 其四  陶淵明
  丈夫志四海 丈夫は 四海に志すも、
  我願不知老 我は願う 老(ろう)を知らず。
  親戚共一處 親戚 共に一処し、
  子孫還相保 子孫 還(ま)た相い保つ。
  觴弦肆朝日 觴弦(註1) 朝日に肆(註2)にし、
  樽中酒不燥 樽中の 酒不燥(註3)。
  緩帶盡歡娯 帯を緩(ゆる)くして 歓娯(かんご)を尽くし、
  起晩眠常早 起(き)は晩(おそ)くして 眠(みん)は常に早くせんと。
  孰若當世士 孰若(註4)か 当世の士、
  冰炭滿懷抱 冰炭(註5) 懐抱(かいほう)に満たす。
  百年歸丘壟 百年 丘壟(註6)に帰るに、
  用此空名道 此れを用いて 空名(註7)を道(つた)へんか。

68e18f45.jpg  (註1)觴弦(しょうげん) 酒杯と琴。
  (註2)肆(ほしいまま) つらねる。ならべる。ほしいままにする。
  (註3)酒不燥(さけかわかず) 乾かない。いつも酒に満たされていること。
  (註4)孰若(いずれ) どちらか。
  (註5)冰炭(ひょうたん) (白く冷たい)氷と(黒く熱い)炭。相容れないこと。
  (註6)丘壟(きゅうろう) 墳墓。土の盛り上がったもの。
  (註7)空名(くうめい) 空しい名声。虚名。

  男は四海に雄飛せんと志すが、
  私の願いは老いを知らないことだ。
  親戚一門が同じところで生活して、
  子孫がまた続いていくことだ。
  朝日のさす中で酒杯や琴の音をほしいままにして、
  酒樽の中には、酒がいつも満たされている。
  帯をゆるめて、歓楽を尽くそう、
  朝はゆっくり起きて、寝床に入るのは早くするのだ。
  どちらにするのだ、今の方よ、
  矛盾した気持をお持ちのようだ。
  百年で人生は終わり、墓場に入るのだが、
  これでもって、虚名で引きずられて終わるのだが。

 私はきょうもさきほどまで、長女夫妻が子どもを連れてきてくれていました。次の詩句にとても感じ入ってしまいます。

  我願不知老
  親戚共一處
  子孫還相保

 私はポコ汰に、「きょう泊まっていくか。きょう一緒にお風呂へ入ろうよ」と言いましたが、やはり断られてしまい、もう帰ってしまいました。
 その孫を見ながら飲んでいるお酒はとてもいいものでした。

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 思い出せば、私はいわゆる「漢文」の授業というのは、ほとんどないに等しかったと思います。鶴丸高校の1年のときに、出会った先生の漢文は好きでしたが、4月この先生はすぐに入院されてしまいました。退院された6月終わりには、私は転校してしまいました。
 横浜東高校というところでは、大学受験に漢文の科目があるのが私だけだというので、古文に振り替えられていたものでした。
 埼玉大学の一般教養での漢文の授業の先生は、偶然にも鶴丸高校の卒業生で私とはけっこう親しくお話できたのですが(先生の研究室で二人でお話したことがあります)、でもすぐに私は烈しい学生運動の中で、それどころではありませんでした。いやそのうちに私はムショに勾留される身になっていました。
 だから、いつも自分で学ぶしかなかったものなのです。
 今こうして、なんとか私のブログにUPするのに、必死にやっているところで、そしてそれは私には嬉しいことなのです。
 そして私は高校1年で知ったこの陶淵明を、こうして今なんとか知っているつもりです。彼の詩を知るたびに、私がだんだんこの陶淵明のことが好きになっていくことが不思儀なほど私には判っていくのです。

   雑詩 其三  陶淵明
  榮華難久居 栄華(註1)は 久しく居(お)り難く、
  盛衰不可量 盛衰は 量る可(べ)からず。
  昔爲三春渠 昔は 三春の渠(註2)為(た)りし、
  今作秋蓮房 今は 秋の蓮房(註3)と作(な)る。
  嚴霜結野草 厳霜(げんそう) 野草に結ぶも、
  枯悴未遽央 枯悴(註4) 未だ 遽(にはか)には央(つ)きず。
  日月還復周 日月 還(な)ほ 復(また)周(しゅう)すれど、
  我去不再陽 我去れば 再(ふた)たび陽(よう)ならず。
  眷眷往昔時 眷眷(註5)たり 往昔(おうせき)の時、
  憶此斷人腸 此を 憶いて 人の腸を断(註6)たしむ。

  (註1)栄華(えいが) 草木が栄え茂ること。
  (註2)渠(きょ) 蓮の花。この渠という字ではありません。
  (註3)蓮房(れんぼう) 蓮の実の入っている花托(ふさ)。
  (註4)枯悴(こすい) 枯れ衰える。
  (註5)眷眷(けんけん) 深く顧みるさま。
  (註6)断人腸(ひとのはらわたをたつ) 人に辛い思いをさせる。

  草木が栄えようなことはいつまでも続かず、
  盛んになったり衰えたりすることは推し量ることはできない。
  昔は春の三か月間咲いた蓮の花だったが、
  今は秋の蓮の実の入っている花托(ふさ)となっている。
  厳しい冬の霜が野草の上に降りてくるが、
  枯れ衰えても今もまだ尽き果てるようにはなっていない。
  歳月の流れはなおもまた周りめぐるけれど、
  私が死んでしまったら、二度と甦えることはないのだ。
  そのことを思えば、過ぎ去った日々を思い出す、
  こうして思えば、私は腸(はらわた)を絶つような思いになってしまうのだ。

 こうして陶淵明の詩を読み続けて、もうそのたくさんの詩に私はもういささか驚くばかりです。私はこうしてパソコンで打つことができます。でも陶淵明の時代には、何で書いていたのでしょうか。おそらくは、最初は詩句を泥の上で書くようなことがあったものなのでしょう。そして出来上がったなと思えるときに、木片等に書いたものなのでしょうか。
 だから、こうしてパソコンで、楽にやれることが私には嬉しいし、そして未熟な私、不勉強な私が羞しいものです。

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20170807024 陶淵明のことは、ずっと知っていたはずでしたが、この詩を読んでいると、やはりどうしても悲しい気持になってしまいます。

雑詩 其二 陶淵明
白日淪西阿 白日(註1) 西阿(せいあ)に淪(しづ)み、
素月出東嶺 素月(註2) 東嶺(とうれい)に出(い)づ。
遙遙萬里暉 遙遙(ようよう)として 万里に暉(かがや)き、
蕩蕩空中景 蕩蕩(註3)たり 空中の景(ひかり)。
風來入房戸 風来り 房戸(註4)に入(い)り、
夜中枕席冷 夜中 枕席(註5)冷(ひ)ゆ。
氣變悟時易 気変じて 時の易(か)はるを悟り、
不眠知夕永 眠らずして 夕(ゆうべ)の永きを知る。
欲言無予和 言わんと欲して 予(われ)に和(わ)するもの無く、
揮杯勸孤影 杯(はい)を揮(ふる)って 孤影(註6)に勧(すす)む。
日月擲人去 日月は 人を擲(なげうち)て去り、
有志不獲騁 志有りて 騁(は)するを獲ず。
念此懷悲悽 此れを念(おも)いて 悲悽(註7)を懐(いだ)き、
終曉不能靜 曉(あかつき)に終(いた)るまで 靜かなること能(あた)はず。

09082815 (註1)白日(はくじつ) 昼間の太陽。
(註2)素月(そげつ) 白い月。8月の月。
(註3)蕩蕩(とうとう) 宏大なさま。
(註4)房戸(ぼうと) 家。部屋。
(註5)枕席(ちんせき) まくらとしとね。
(註6)孤影(こえい) 独りぼっちの自分の影。
(註7)悲悽(ひせい) かなしみいたむ。

太陽は西の山に沈んで、
白い月が東のみねから出た。
はるか遠く万里に輝き、
夜空いっぱいにひかりを広げている。
風が部屋の中に入ってきて、
夜中には、枕もしとねも冷たさを感じる。
空気が変わって、時節の移ったことを感じて、
私は眠れないまま夜の長くなったこと感じている。
胸のうちを言おうと思っても、話相手になるものはいないし、
酒をもちあげては我と我が影に勧めている。
月日は人をほっておいて先に行く、
志があっても、それを思いのままのばすこともできなかった。
これを思うと、悲しみでいっぱいになって、
夜明けになるまで、心が落ち着くことはなかった。

05396eab.jpg 以下のように吟うことは、まるで、今の私でも同じ姿です。

欲言無予和
揮杯勸孤影

杯を手にして、いつも同じような思いになっています。いやいや、でも違うかな、という気持にもなってきます。思えば、陶淵明とはもう長い長い付き合いなのですね。
私もまた今夜もまた酒を飲んで、同じようなことになるのでしょう。
やっぱり、少し寂しい思いですね。やっぱりこの陶淵明とはこれからもたくさん付き合ってまいります。

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c620512d.jpg 私のブログで漢詩のこともいくつも書いています。そして実に今になって、また自分が思い込んでいたことと違う真実を知っていける気がしています。陶淵明もそうですし、昨日は明治維新後明治9年に「萩の乱」を起こしてしまった前原一誠の詩を改めて読みまして、自分の思い込みがいかに判っていなかったかを知りました。
 そうでした。しゃべり言葉と書き言葉が大きく違うことを、昨日改めて知りました。知って見ると改めて大きな事実だったことに気がつきます。
 写真は昨日の夕方孫たち長女家族が来るので、迎えに行きまして近所で撮りました。もう孫がものすごく可愛いです。でもきょうは少し意見をいいましょう。聞いてくれるかなあ。

 この陶淵明(陶潜)の「飲酒」の詩も最後になりました。私が高校1年のときに、「飲酒 其五」を知ってから、こうしてやっと最後にたどり着きました。思えば、この詩をすべて読むのに、46年の月日が流れているのでしたね。

   飲酒 其二十  陶淵明
  羲農去我久 羲農(註1) 我を去ること久しく、
  挙世少復真 世を挙(あ)げて真に復(かえ)ること少なし。
  汲汲魯中叟 汲汲(註2)たり 魯中の叟(註3)、
  弥縫使其淳 弥縫(註4)して 其を淳(じゅん)ならしむ。
  鳳鳥雖不至 鳳鳥 至らずと雖(いえ)ども、
  礼楽暫得新 礼楽 暫(しばら)く新しきを得たり。
  洙泗輟微響 洙泗(註5) 微響(びきょう)を輟(や)み、
  漂流逮狂秦 漂流して 狂秦に逮(およ)ぶ。
  詩書復何罪 詩書 復た何の罪かあらん、
  一朝成灰塵 一朝にして灰塵(かいじん)と成れり。
  区区諸老翁 区区(註6)たる 諸老翁、
  爲事誠殷勤 事を為して 誠に殷勤なり。
  如何絶世下 如何せん 絶世(註7)の下、
  六籍無一親 六籍 一の親しむ無きを。
  終日馳車走 終日 車を馳せて走るも、
  不見所問津 問う所の津(註8)を見ず。
  若復不快飲 若し復たすみやかに飲まずんば、
  空負頭上巾 空しく頭上の巾(きん)に負(そむ)かん。
  但恨多謬誤 但だ恨むらくは謬誤(びゅうご)多からん
  君當怒醉人 君よ当に酔人を怒(ゆる)すべし 

7e6ce0df.jpg  (註1)羲農(ぎのう) 伏羲、神農のこと。
  (註2)汲汲(きゅうきゅう) せっせと励み勉める。
  (註3)魯中叟(ろちゅうのそう) 魯国の老人。孔子をいう。
  (註4)弥縫(びほう) 衣の破れめをぬいつくろう。
  (註5)洙泗(しゅし) 魯国を流れる二つの川、洙水と泗水のこと。
  (註6)区区(くく) 勤直なさま。またつまらぬ、細かい、こせこせしたさま。
  (註7)絶世(ぜっせい) かけはなれた世。
  (註8)所問津(とうところのしんを) 孔子の一行が渡し場を尋ねた故事。

  伏羲氏、神農氏の時代ははるか昔のことであり、
  世の中が純朴な姿に帰ることはなくなった。
  かって魯の国に孔子があらわれて、
  せっせとほころびをぬいつくろい純朴の世に戻そうとした。
  鳳凰はやってくるまでにはならなかったが、
  しばらく礼や学は面目を一新した。
  ところが洙水と泗水の流れのかすかなひびきがやんで(孔子の教えも途絶えてしまい)、
  時代は漂い、狂のような秦の時代になった。
  詩経や書経にはどんな罪があるのか、
  一朝にして灰燼となってしまった。
  それでもこせこせした漢代の学者たちが、
  誠に丁寧に学問上の仕事をした。
  だが、もはやこうしたかけはなれた世では、
  六経のどの一つにも親しまなくなった。
  終日車をとばして走るものがいるが、
  孔子の一行が渡し場をたずねたような光景はたえてみられない。
  こんなでは、さっさと酒でも飲まないことには、
  頭の頭巾に対して申し訳がたたないではないか。
  さてこうしてさんざんに世迷いごとばかり述べてきた、
  酔っぱらいの言うことだゆるしてほしいものだ。

 伏羲、神農のことなどというのは、私が高校1年のときに、「史記」の五帝本紀の最初の黄帝のところで、その前の神農氏と炎帝のことが書かれているくらいでした。まして、伏羲氏のことは、この後漢が滅んだあとになってようやく整ってきたものなのでしょうか。
 ただ、孔子のことはたくさんの事実として、書物とともに、みなが知っていたことでしょう。

 こうして、やっと「飲酒」をすべて読み終わったことに、大変に感激しております。今後も何度もこの「飲酒」のいくつもの詩を読んでいくことでしょう。

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「人生根帯無し」で始まり、「盛年は重ねて来たらず 一日再び晨なり難し 時に及んで当に勉励すべし 歳月人を待たず」で終わる詩は、その句こそ知っていまして、「この詩は、要するに、もっと酒を飲んでいればいいのだ」という詩だとばかり思ってきたものです。実際に陶淵明のいうことはその通りだとしても、やはり私はちゃんと知っているべき詩であり、ちゃんと解説ができないとなりません。

   雑詩 其一  陶淵明
  人生無根帶 人生 根帯(註1)無し
  飄如陌上塵 飄(ひょう)たること陌上(はくじょう)の塵のごとし
  分散随風転 分散して 風に随いて転ず
  此已非常身 此れ已に常身(註2)に非(あら)ず
  落地爲兄弟 地に落ちて 兄弟(けいてい)と為る
  何必骨肉親 何ぞ必ずしも 骨肉の親(しん)のみならんや
  得勸当作楽 歓を得ては 当(に)楽(たのしみ)を作(な)すべし
  斗酒聚比鄰 斗酒(としゅ) 比鄰(註3)を聚(あつ)む
  盛年不重来 盛年は 重ねて来たらず
  一日難再晨 一日(いちじつ) 再び晨(あした)なり難し
  及時当勉励 時に及んで当に勉励すべし
  歳月不待人 歳月 人を待たず

  (註1)根帯(こんてい) ネ、ヘタ。
  (註2)常身(じょうしん) 常住にして変化なきからだ。
  (註2)比鄰(ひりん) 隣近所の人。

313d2bab.jpg  人生は根もなくへたもない、
  しっかりしてとめておいてくれるようなものはない。
  飛んでしまって、
  いつも変化なきものだ。
  そんなこの世に生まれたからは、みな兄弟で、
  肉親だけが親しいものではないのだ。
  嬉しいときには、楽しみをなすべきだ、
  一斗の酒をで、近所を集めて飲もうじゃないか。
  若いときは二度とはやってこないし、
  一日に二度目の朝はない。
  せいぜい遊ぶべきだ、
  時というものは人を待ってはくれないのだ。

 思えば、私はこんなことをいう陶淵明が昔は好きになれなかったのでしたね。酒を飲むべしというのなら、黙って飲めばいいのだという思いでしたが、今の私になりますと、この陶淵明のいうことを素直に聞いていたい私になっています。
 もうすべてが変わってきた思いがあります。

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 この「飲酒」全体も、私にはかなり難しい詩ばかりな思いがあります。酒を飲むことなら、別に私だって日々やっていることサと思うわけですが、でもこうして読み進んできまして、何故かとても難しいなという思いになります。

   飲酒 其十九  陶淵明
  疇昔苦長飢 疇昔(註1) 長(つね)なる飢に苦しみ、
  投耒去学仕 耒(すき)を投じて 去(ゆ)きて学仕(註2)するも、
  将養不得節 将養(しゅよう) 節を得ず、
  凍飢固纏己 凍えと飢えとはもとより己に纏(まつわ)る。
  是時向立年 是の時 立年(註3)になんなんとするも、
  志意多所恥 志意(しい) 恥ずる所多し。
  遂尽介然分 遂に介然たる分(註4)をつくして、
  払衣帰田里 衣を払って田里(でんり)に帰る。
  冉冉星気流 冉冉(註5)として 星気流れ、
  亭亭復一紀 亭亭(註6)として 復た一紀(註7)なり。
  世路廓悠悠 世路は 廓(註8)として悠悠たり、
  楊朱所以止 楊朱(註9)の 止まりし所以(ゆえん)なり。
  雖無揮金事 金をふるまうの事なしといえども、
  濁酒聊可恃 濁酒 いささか恃むぺし。

  (註1)疇昔(ちょうせき) 比較的近い過去。
  (註2)学仕(がくし) 学問をしてから使える。
  (註3)立年(りつねん) 『論語』為政篇に「三十而立」とある。
  (註4)介然分(かいぜんたるぶん) けじめのはっきりしていること
  (註5)冉冉(ぜんぜん) 次第にすすむさま。
  (註6)亭亭(ていてい) 遠いさま。
  (註7)一紀(いっき) 十二年。
  (註8)廓(かく) ひろいこと。
  (註9)楊朱 戦国時代の快楽主義を唱えた人物。

3b37dd46.jpg  昔私はいつも飢えて困っていて、
  すきを投げ捨てて役人になった。
  しかし親を養うのに十分ではなく、
  飢えと凍えにつきまとわれていた。
  この時は、私は三十歳になろうという時で、
  自分の志にはづかしいと思うところが多い。
  ついに一人の路を歩こうとして、
  衣のちりを払って故郷へ帰ってきた。
  そのうちに星霜は移りて、
  はや十二年が経った。
  世間の路はひろく遠い、
  楊朱が別れ路でないたわけだ。
  自分は漢の疏広のように黄金をばらまくわけにはいかないが、
  このどぶろくだけは頼りになるものだ。

 いつも、「飲酒」ということでは、私はいつも簡単にやっていることだと思うわけですが、でもでも、この詩を解釈するのにも、時間がかかってしまっています。
 思えば、これだけ時間がかかってしまったことが、私には陶淵明が、かなり別なところから見られるようになった思いがあります。
 ただただ私も毎日酒を飲むことだけが続いているだけです。

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 後漢の揚雄(ようゆう)のことを語っています。これを読んでいると、なんだか現在の自分の存在も何か羞しい思いになります。
 私はただ毎日酒を飲むだけなのです。

   飲酒 其十八  陶淵明
  子雲性嗜酒 子雲(註1)性 酒を嗜(たしな)むも、
  家貧無由得 家貧にして 得るに由(よし)無し。
  時頼好事人 時にさいわいに好事(こうず)の人、
  載醪払所惑 醪(註2)を載せきて 惑う所を払(はら)う。
  觴来為之尽 觴(註3)来たらば 之れが為に尽くし
  是諮無不塞 是れ諮(はか)りて 塞(み)たざる無し。
  有時不肯言 時有りて 肯(あえ)て言わざるは、
  豈不在伐国 豈(あ)に国を伐つことに 在(あ)らずや。
  仁者用其心 仁者 其の心を用いなば、
  何嘗失顕黙 何ぞ嘗て顕黙(註4)を失せん。
 

06d9c367.jpg  (註1)子雲 後漢の揚雄。字が子雲。『漢書』揚雄伝に「家素(もと)より貧しく、酒を嗜む、人稀にその門に至る。時に好事の者ありて、酒肴を載せ、従いて遊学す」とある。
  (註2)醪(ろう)醸造してまだ漉していない、どろどろした酒。
  (註3)觴(しょう) さかずき、酒杯。
  (註4)顕黙(けんもく) 発言することと、沈黙すること。

  子雲は生来酒が好きだが、
  家が貧しいために酒を手に入れることができなかった。
  時としてもの好きの人が、
  どぶろくを持参して質問をしに来る。
  その時には、酒杯が来ればそれを飲み尽くしながら、
  どんな質問にも納得するまで答えていた。
  だがともすれば何も言わぬときもある、
  それは他国を征伐するというような事柄である。
  仁者は、このような心がけを持っていれば、
  発言することと沈黙することを誤ることはないのだ。

 この揚雄の存在した姿を見ますと、この詩で陶淵明が最後の四つの句で自分の思いを述べているわけです。たぶん、陶淵明の時代にも、目の前には、同じような事態がたくさん見られていたのでしょう。だから陶淵明は、こうして田園に伏しているのです。
 今も同じ事態がいくつもあるのですね。ただ、その事態に何もできない自分がいますし、何もやらない自分がいるわけです。

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 陶淵明の飲酒の其の十七です。陶淵明の詩はいくつも読んできました。思えば、もう私は彼の詩は46年のつきあいになるのですね。

   飮酒 其十七  陶淵明
  幽蘭生前庭 幽蘭(註1) 前庭に生じ
  含薫待清風 薫を含んで清風を待つ
  清風脱然至 清風 脱然(註2)として至らば
  見別蕭艾中 蕭艾(註3)の中より 別(わか)たれん
  行行失故路 行き行きて 故路(ころ)を失するも
  任道或能通 道に任せば  或ひは能く通ぜん
  覺悟當念還 覚悟して  当に還るを念(おも)ふべし
  鳥盡廢良弓 鳥尽くれば  良弓廃てらる

  (註1)幽蘭(ゆうらん) 奥深い谷に生える蘭。奥ゆかしく気品のある蘭。
  (註2)脱然(だつぜん) ゆるやかに行くさま。
  (註3)蕭艾(しょうがい) よもぎ。雑草。

  奥ゆかしい蘭が前庭に咲いて、
  香を含んで爽やかな風の吹くのを待っている。
  清々しい風がゆるやかに吹けば、
  雑草の中から区別されるのだ。
  歩き続けているうちに、元の路がわからなくなったが、
  道に任せていれば、またもとの道に通じることもあるだろう。
  覚悟して元の道に帰ることを考えよう、
  鳥がとりつくされれば、良弓も棄てられてしまうものとなるのだ。

 最後の句は、『史記』の准陰侯列伝に「狡兎死して 良狗烹られ 高鳥盡きて 良弓藏さる」とあるのに基づいています。この陶淵明の時代に、晋から宋へ政権が交代する中、血なまぐさい闘争の演じられたことを暗示しているのではないか、と言われています。
 思えば、だからこそ陶淵明がこうして田園に隠ったことにもなったのですね。

 でもこうして陶淵明の『飲酒』を読んできましたが、もう陶淵明の印象は私には随分違ってきました。思えば、私が16歳のときから読んできていた陶淵明です。そしてこの『飲酒』は其の五の作品を読んできたものでしたが、もうかなり最初からの私の思い込みはもはや姿を消してしまいました。
 もう今はただただ親しく思い浮かべる陶淵明ばかりです。

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  陶淵明の『飲酒』の其十六です。どうしても、この詩を読んでいてただただ暗い気持になります。

   飮酒 其十六  陶淵明
  少年罕人事 少年 人事罕(まれ)にして、
  游好在六經 游好(註1) 六経(註2)に在り。
  行行向不惑 行き行きて 不惑(註3)に向んとし、
  淹留遂無成 淹留(註4)して 遂に成る無し。
  竟抱固窮節 竟(つい)に 固窮の節を抱き、
  飢寒飽所更 飢寒は 飽くまで更(へ)し所。
  敝廬交悲風 敝廬(註6) 悲風交(まじわ)り、
  荒草沒前庭 荒草(註7) 前庭を沒す。
  披褐守長夜 褐(かつ)を披(き)て 長夜を守るに、
  晨鶏不肯鳴 晨鶏(註8) 肯へて鳴かず。
  孟公不在茲 孟公 茲(ここ)に在らず、
  終以翳吾情 終に以て 吾が情を翳(かげ)らしむ

955fa0bf.jpg  (註1)游好(ゆうこう) 好み続けること
  (註2)六經(ろっけい) 六種の経書で、『詩經』『書經』『易經』『春秋』『禮記』+『樂經』になる。この中、『樂經』は秦の焚書で亡びて伝わっていない。
  (註3)不惑 四十歳のこと
  (註4)淹留(えんりゅう) ひさしく止まること
  (註5)固窮節(こきゅうのせつ) 貧窮を固守する節操
  (註6)弊廬(へいろ) ボロ家
  (註7)荒草(こうそう) 雑草
  (註8)晨鷄(けいめい) 朝になく鶏

  少年の頃は、ほかの人との付き合いもまれで、
  経書の学問が好きで、続けていた。
  もうすぐ四十歳になろうとしているが、
  ひさしく止まっていて、ついに成功しなかった。
  ついに、貧窮を固守する節操を抱いただけで、
  飢えや寒さが通りすぎたところは充分であった。
  ボロ家には寒い風が吹き込んできて、
  雑草は、家の前庭を隠すまでに生い茂っている。
  粗末な衣服を着て、長い夜を寝ないで過ごせば、
  朝になく鶏はあえて時を告げていない。
  孟公のような人物眼があるものは、ここにはいない、
  そのようなことが私の心を暗くしている。

 もう陶淵明は、40歳になろうとしているわけですが、私はもう61歳をすぎてしましました。田舎の田園に引っこもっている陶淵明ですが、どうしても世の中のことにも関心を持っているわけです。
 なんと暗く辛い人生なのでしょうか。
 陶淵明を始めて知ったころは、どうにも好きになれないでいました。でもでも、私もこの歳になると、淵明のいうことに、いちいち頷いています。
 思えば、歳を取ることは、無駄なことばかりではないようです。

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 私たちも判っていることですが、宇宙が広大であり、私たちの一生が短い小さなものです。

   飮酒 其十五  陶淵明
  貧居乏人工 貧居 人工(註1)に乏しく
  灌木荒余宅 潅木(かんぼく) 余(わ)が宅を荒らす
  班班有翔鳥 班班(註2)として 翔鳥(しょうちょう)有るも
  寂寂無行迹 寂寂(せきせき)として 行迹(註3)無し
  宇宙一何悠 宇宙 一(いつ)に何ぞ悠(はる)かなる
  人生少至百 人生 百に至ること少し
  歳月相催逼 歳月 相催(うなが)し逼(せま)り
  鬢邊早已白 鬢辺(びんへん) 早や已に白し
  若不委窮達 若し窮達(きゅうたつ)を 委(す)てずんば
  素抱深可惜 素抱(註4) 深く惜しむべし

f8ad73f4.jpg  (註1)人工(じんこう) 人手の力
  (註2)班班(はんはん) 明らかなるさま
  (註3)行迹(こうせき) 人のゆくあしあと
  (註4)素抱(そほう) 本心

  貧乏くらしで、人手がないので、
  宅地には潅木が繁っている。
  空を飛ぶ鳥ははっきり見えるが、
  人の往来することは滅多にない。
  宇宙は何と遥かなことか、
  人は百歳まで生きるものは少ない。
  歳月が瞬く間に去り
  自分はもう白髪だらけになってしまった。
  貧乏だの栄達などという観念をすてないと、
  自分は深く後悔することになろだろう。

 宇宙は広大で、そのことはいつでも想像できます。それに比べて、私たちの一生とは、短く小さなものです。でもその短い一生を判るように生きていかないとなりません。
 珍しく酒ということがでてきません。でももちろん、毎日酒を飲んでいくことこそが、この広大な宇宙の中に居る自分の存在を確かにしてくれるものです。
 昨日は私は何故かしらさほど飲むことはありませんでした。きょうは、まともに飲んでいこうとおもうばかりです。

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 私の 周の漢詩入門「陶潜『雑詩其一』」に、空を飛びたい さんから以下のコメントをいただきました。

1. Posted by 空を飛びたい    2009年03月19日 16:47
私も陶淵明が大好きです。これからもいっぱい読もうと思っております。ご感想も大好きです。

 いえ、私には陶淵明という方は、大変な詩人です。私が好きだとも言い切れない詩人です。私は、ここの 周の漢詩塾(ブログ篇) だけでなく、以下にも

   http://shomon.net/kansi/ 周の漢詩塾

いくつも漢詩を載せています。
 私は詩吟をやって、どこでも詠っていますので(昔学生運動の集会でも詩吟をやりました。学生運動って、要するに、火炎瓶なげたり、刑務所に入るようなものなのです)、ただただ、それだけのものです。

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陶淵明―虚構の詩人 (岩波新書)
陶淵明―虚構の詩人 (岩波新書)
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 随分昔のことですが、ゴールデン街で、朝まで飲んでいた店で、「実は陶淵明が好きなんです」という人とお話したことがありました。私は、この詩人については、名前と2つくらいの詩しか知らなかったものでした。そしてその詩を私は諳んじました。でもその彼は残念なことに一つの詩も憶えてはいませんでした。でもそのときにも、私はこの詩人を好きではないと言ったものでした。

書 名 陶淵明
   ───虚構の詩人───
著 者 一海知義
発行所 岩波新書
定 価 630円+税
発行日 1997年5月20日第1版発行
読了日 2009年3月12日

 この本で、あの「桃花源記」も陶淵明が書いたものなのか、「晩歌詩」もそうなのか、と驚くばかりの私でしかありません。

扉の内容紹介
陶淵明─虚構の詩人
超俗の詩人と呼ばれる陶淵明は、「桃花源記」で身分の差のないユートピアを描き、「晩歌詩」においては自らの死を悼むなど、中国では他に例をみない虚構の世界を通して内面を探求し、苛酷な実社会と関わろうとした反俗の詩人でもあった。千六百年前、現代に通じる鋭さと深さで人生をうたった大詩人に「虚構」という切り口から肉薄する。

著者略歴
一海知義
1929年奈良市に生まれる。1953年京都大学文学部卒業。専攻、中国文学。現在、神戸大学名誉教授。著訳書、「陶淵明」「河上肇詩註」(岩波書店)「河上肇そして中国」

目次
はじめに
 陶淵明と「虚構」
一 桃花源記 ユートピア物語
二 五柳先生伝 架空の自伝
三 形影神 分身の対話
四 山海経を読む・閑情の賦 怪奇とエロティズム
五 挽歌詩・自祭文 「私」の葬式
おわりに なぜか虚構」か
あとがき

 でも、この本を読んでみて、私のほうこそ少しもこの詩人について知らなかったことが羞しい思いなのです。
 もっとこの詩人について知りたいと思います。同時にこの一海知義さんの書かれた本も今後読んでまいります。

2017020605

 この詩を読んで、陶淵明のことがやっぱり好きになってきたものです。こうして日々酒を飲んで酔っている姿は、私と同じです。

   飲酒 其十四  陶淵明
  故人賞我趣 故人 我が趣(おもむ)きを賞(しょう)し
  挈壺相與至 壷を挈(たずさ)えて 相与(あいとも)に至る
  班荊坐松下 荊(いばら)を班(し)いて 松下に坐し
  數斟已復醉 数(かず)斟(しん)にして 已に復た酔う
  父老雜亂言 父老は 雑乱(ざつらん)して言い
  觴酌失行次 觴酌(註1) 行次(註2)を失す
  不覺知有我 我の有るを知るを覚えず
  安知物爲貴 安(いずく)んぞ知らん 物の貴しと為すを
  悠悠迷所留 悠悠たるものは 留まる所に迷うも
  酒中有深味 酒中に 深味(しんみ)あり

  (註1)觴酌(しょうしゃく) 杯とちょうし。転じて酒をくみかわすこと。
  (註2)行次(こうじ) 順番のこと。

a14e81d9.jpg  友人たちは私の酒好きをほめて、
  壷を携えてみなでやってきた。
  むしろを敷いて、松の下に座って、
  何度も酒をくみかわしてたちまちに酔ってくる。
  老人たちは乱雑になり、
  杯は乱れ飛んで順番もなくなってきた。
  私も自分の存在も忘れ、
  世俗の価値観なんか忘れ果てている。
  名利を追う人たちは自分の地位や財産を後生大事にしているが、
  酒にこそ人生の深い味わいがあるのだ。

 最後の「酒中に深味あり」というのが、私も納得しています。ただただ私は毎日飲んでいるだけのことですが。

 思えば、高校1年のときに陶淵明を知って、それから45年が経過して、この歳で始めてその陶淵明の詩の気持が判った思いがしています。思えば、時間がかかりすぎです。
 私はこの詩をこうして書くのにも、実に時間がかかりました。漢和辞典で調べてみても、簡単には判らないものなのですね。

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 陶淵明の「飲酒」は全部で、20の詩があります。このブログですべてを紹介しようと思っていましたが、十二まではなんとかUPできましたが、そのあとが私には難しかったのです。
 いつも漢詩をここに書いて紹介するのに、漢字が出てこないものがあります。パソコンで出せないものは、インターネット上でも表示できません。
 そして、その解釈も、懸命に漢和辞典を調べても、出てこない熟語がたくさんあるのです。
 実は、この詩は詩句だけは書いていまして、ずっとそのままになっていました。
 今また、それを眺め、なんとかやってみました。いや、これでは出来ていることにはなりません。でも私では仕方ないのです

 私は酒を飲むのが好きです。そして毎日必ず飲んでいます。陶淵明もお酒が好きでした。そしてこの詩は、私のようにいつも飲む人間とまったく飲まない人間がいまして、でもでも当然に陶淵明は、酒を飲むほうがずっといいんだと言っている詩なのです。

   飲酒 其十三  陶淵明
  有客常同止 客有り 常に止(し)を同じく(註1)す
  取舍獏異境 取舍(註2)獏(ばく)として 境を異にす
  一士常獨醉 一士は 常に独り酔ひ
  一夫終年醒 一夫は 終年醒む
  醒醉還相笑 醒酔(せいすい) 還た相い笑う
  發言各不領 発言 各おの領せず
  規規一何愚 規規(きき)たるは 一(いつ)に何ぞ愚なる
  兀傲差若穎 兀傲(ごつきょう)たるは 差(や)や穎(えい)なるが若し
  寄言酣中客 言を寄す 酣中(かんちゅう)の客に
  日沒燭當秉 日沒すれば 燭(しょく)当(まさ)に秉るべし

  (註1)同止 止宿するところを同じくする
  (註2)取舍(すうしゃ) おもむく所と捨する所。往かんとする方向をいう。

  ある人たちがいていつも一緒に住んでいたが
  振る舞いはまるで異なっている、
  一人は常に酔い、
  一人はいつも醒めている、
  互いに互いを笑っては、理解しあおうとしない
  二人の言うことは少しもかみ合わない
  小心なのは、何と愚かなことか
  酔っ払って騒いでいるほうがましだ
  そこの酔っぱらいへ言う
  日が暮れたら火を灯して飲み続けるがいい

 この二人の男は、まるで違う人間です。一人は常に酔い、一人はいつも醒めています。そして、互いに相手のことを理解しおうとはしません。
 でもこの二人を対比しても、陶淵明は当然に酒を飲む男のほうを評価しています。

 だがだが、今の私はというと、毎日飲み続けていますが、飲まないで生きている人のほうが偉いのかもしれないなあ、なんて思っているところもあるのです。

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 私は陶淵明が好きだとはいえないところがずっとありました。でもこのごろは、この詩人のいうことが大変に好きになってきました。もう私も随分の年齢を重ねてきたのだとつくづく思います。

   雑詩 其一  陶潜
  人生無根帶 人生 根帯(註1)無く、
  飄如陌上塵 飄として 陌上(註2)の塵の如し。
  分散逐風轉 分散して 風に逐ひて転ずる、
  此已非常身 此れ已(すで)に 常の身に非ず。
  落地爲兄弟 地に落ちて 兄弟(けいてい)と為(な)る、
  何必骨肉親 何ぞ必ずしも 骨肉の親(しん)のみならん。
  得歡當作樂 歓を得(え)ては 当(まさ)に楽を作(な)すべし、
  斗酒聚比鄰 斗酒(註3) 比鄰を聚(あつ)む。
  盛年不重來 盛年 重ねて来らず、
  一日難再晨 一日(いちじつ) 再び 晨(あした)なり難し。
  及時當勉勵 時に及んで 当(まさ)に勉励(註4)すべし、
  歳月不待人 歳月 人を待たず。

  (註1)根蔕(こんてい) 根元と(果実の)ヘタ。物事の土台。よりどころ。。
  (註2)陌上(はくじょう) 路の上、陌とはあぜ路のこと。
  (註3)斗酒(としゅ) 桝の酒でわずかばかりの酒。
  (註4)勉勵(べんれい) 努め励む。がんばる。

010c8658.jpg  人の生というものには、繋ぎとめておくものが無く、
  風に吹かれて漂う、路の上のチリのようなものだ。
  風とともに転がって行く、
  これはもはや永遠不変の肉体ではなくなっている。
  この地に生まれ落ちれば、皆兄弟であり、
  必ずしも血のつながる親族でなくてもよい。
  喜ばしいことがあれば、当然楽しみごとをして、
  ますの酒でもって、近所の人をあつめる。
  若い時は二度と来ない、
  一日に二度朝が来ることはない。
  ちょうどふさわしいときに、務め励むべきである、
  歳月は人を待ってはくれない。

 まさしく、歳月は人間のことなんか関係なく、勝手に過ぎてしまうのだから、まさしく飲んでいくしかないのと私も陶淵明と同じに思うのです。だから、当然毎日飲み続けています。
 ただ飲み続けても、何か特別なことが出来てくるわけではないのです。でもただただ日々飲み続けている私です。

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 私はここでずっと、陶淵明の「飲酒」の解説をしてきていました。でも私には、どうしても陶淵明は難しいのですね。陶淵明『飲酒 其十二』 に私は次のように書いていました。

 いや、読んでいても陶淵明の言われることはただただ難しいです。

 それで、順番としては、「陶淵明『飲酒 其十三』」が、実はかなり知られている詩で、割と判りやすい詩のはずなのですが、私は書き下し文まで書いて、そのあとができないのです。私はこのブログに書いてからさらに私のメルマガ「マガジン将門」にて清書するようにしているのです。
 でもどうしても、私には簡単にいきません。それで曹操の詩を見ていくなかで、曹操『蒿里行』を書いて行ったものなのです。
 私にはやっぱり陶淵明の心は簡単に判りません。私が役人になったこともないし、それを辞めることも、そもそもなかったからかなあ。酒は私も毎日飲んでいるわけですが、こんな陶淵明の気持を推し量ることができないのですね。
 また「飲酒 其十三」を何度も読んで、少しは陶淵明の気持にせまれればいいのかなあ。

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2018081303 いや、読んでいても陶淵明の言われることはただただ難しいです。思えば、私は役人にしろ、なんにしろ、たいした役に就いたことがないですから、そもそもよく判らないのです。

飲酒 其十二 陶淵明
長公曾一仕 長公(註1) 曽(かつ)て一たび仕ふ
壯節忽失時 壮節 忽ち時を失う
杜門不復出 門を杜(ふさ)ぎて 復出(い)でず
終身與世辭 終身 世と辞す
仲理歸大澤 仲理(註2) 大沢(だいたく)に帰る
高風始在茲 高風 始めて茲(ここ)に在り
一往便當已 一往(註3) 便(すなわ)ち当(まさ)に已むべし
何爲復狐疑 何為(なんす)れぞ 復狐疑(こぎ)せん
去去當奚道 去去(きょきょ) 当(まさ)に奚(いづ)くに道(みち)すべき
世俗久相欺 世俗 久しく相欺く
擺落悠悠談 悠悠たる談(だん)を 擺落(註4)して
請從余所之 請(こ)ふ 余(わ)が之(ゆ)く所に従はん

(註1)長公 漢の張釈之
(註2)仲理(ちゅうり) 後漢の楊倫の字。楊仲理は、郡の文学の役になったが時と合わず去って大沢の中で講義し、弟子は千余人だったという。
(註3)一往(いちおう) 一去のごとし。官を辞め世俗から離れる。
(註4)擺落(はいらく) はらいおとす。

張長公は一度は官職に就いたけれども、
たちまち時世とあわず壮年の時節を失った。
以後、門をとざして出ようとせず、
死ぬまで世間に背を向けて生活した。
楊仲理も職を辞めて大沢の中に帰ってしまった、
そこではじめて、彼の高く厳しい気風はしっかりと確立された。
たとえひとたびは仕えても、結局はすっぱりと辞めるべきだ、
どうして狐のように逡巡などするのか。
かくさっさと辞めて、どうした道をとるべきか、
世間は久しい間、だましあいばかりを事としている。
無責任な連中のお喋りとはすっぱり縁を切って、
自分は自分の思うがままにやって行きたいものだ。

私は、そもそも「もうこんな宮使えは辞めて田園に帰ろう」なんていう思いもなにもありませんでした。思えば、こうしてただただインターネットに向かって何かを書いているだけのことです。
そんなこと、「こんな表の舞台から退いて田園に帰ろう」なんていう思いが、最初からまったくありませんでした。

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08051119 私の 周の漢詩入門「陶淵明『飲酒 其十一』」 に次のブログの方に、

   http://sunadokeisan.blog32.fc2.com/ 砂時計

次のようなコメントを頂きました。

1. Posted by ゆいか    2008年05月12日 20:10
検索から探していたブログに漸く出会えました。

印に足跡を残していきす。ペタッ

 それで、コメントを頂いたのは大変に嬉しいのですが、ええと、これだけだと、何のことなのか、何をお探しだったのか、さっぱり判らないのですね。ゆいかさんのブログももちろん拝見しました。でもごめんなさい。私には内容がよく判らないのです。
 あ、そうだ。私は実際に砂時計を持っていますよ。5分計で、正確なものです。砂時計はかなり大きな思い出があるのです。正確な時間が計測できる砂時計を探していたものでした。

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 この「其十一」になっても、実に言われていることは私には、簡単に判らないのです。

   飲酒 其十一 陶淵明
  顏生稱爲仁 顏生(註1)は 仁を為すと称され、
  榮公言有道 栄公(註2)は 道有りと言はる。
  屡空不獲年 屡(しば)しば空にして 年を獲ず、
  長飢至於老 長(つね)に飢えて 老いに至る。
  雖留身後名 身後の名を留むと雖も、
  一生亦枯槁 一生亦枯槁(ここう)す。
  死去何所知 死去すれば 何の知る所ぞ、
  稱心固爲好 心に称(かな)ふを 固(もと)より好しと為す。
  客養千金躯 千金の躯(み)を客養するも
  臨化消其寶 化に臨んでは其の宝を消す。
  裸葬何必惡 裸葬(註3) 何ぞ必ずしも悪しからん、
  人當解意表 人常(まさ)に 意表を解すべし。

  (註1)顔生 孔子の門人顔回
  (註2)栄公 春秋時代の隠者栄啓期
  (註3)裸葬 漢の揚王孫が遺言で、子どもに裸で葬らせたという

  顏回は仁を実践したと称賛され、
  栄公は有道といわれた。
  顏回はしばしば米びつは空であり長生きできなかった、
  栄公はいつも飢えて年をとった。
  死後に名声を残したといっても、
  その一生はやせ衰えたものだった。
  死んでしまえば、何も分からない、
  心に称うを固より好いことである。
  かけがえのない身体を大切にしてきたが、
  死に臨んではその肉体を消し去ることになる。
  裸葬もまた悪くはないではないか、
  よくよく生き様の如何を考えたいものだ

 顔回は孔子の弟子で、志高かったが常に清貧に甘んていて、30歳にして若死にした。栄啓期は、いつも飢えていて90歳まで生き長らえた。
 死後に名を残し、聖人だなどといって称賛されても、貧しくひもじい人生を過ごすのは、たった一度の人生としては余りにもさびしい、それより生きているうちに、生きることの喜びを謳歌することのほうが、どれだけいいことだろうか。
 このことは、私も充分に判るつもりです。
 この生きている、この世界で、充実した人生を送ることが出来れば、死後に何も残らないでよいではないか、漢の楊王孫のように裸のまま葬られるのもまたいいではないか、というのは、実にその通りだと私も思います。

 人生を、こういうふうに思い、そのまま生きてきた陶淵明は、思えば、よくこの世界、この人生を生きたのかもしれません。今はやっとそんなことを思うようになりました。なかなか読んでいても簡単には判ってこないのですが、どうやら、少しづつ到達できるかなあ、という思いがします。「酒を飲む」と言っても、昔のように、ただただひたすら量を飲んでいるだけではないのだ、なんていう思いがしています。

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 陶淵明の「飲酒」の十番目の詩です。

   飮酒 其十  陶淵明
  在昔曾遠遊 在昔(ざいせき) 曽(かつ)て遠遊し
  直至東海隅 直ちに東海の隅(すみ)に至る
  道路遙且長 道路 遥かにして且つ長し
  風波阻中塗 風波 中塗に阻む
  此行誰使然 此の行(こう) 誰か然(しから)しめしぞ
  似爲飢所驅 飢(うえ)の駆(か)る所と為るに似たり
  傾身營一飽 身を傾けて 一飽(いっぽう)を営(いとな)まば
  少許便有餘 少許(註1)しょうきょ) 便(すなわ)ち余あらん
  恐此非名計 恐らくは此は 名計(めいけい)に非(あらざ)らん
  息駕歸間居 駕を息(や)めて 帰りて間居(註2)す

  (註1)少許(しょうきょ) 少しばかり
  (註2)間居(かんきょ) 静かにのんびりとくらすこと

 私は昔かって遠くまで遊びにでかけ、
 東海の隅まで行った。
 道路はるかに長く、
 途中では風波に阻まれることもあった。
 このような旅行を誰がさせたというに、
 それは飢えのために追いやられたもののようである。
 身体じゅういっぱいの力を出してみて腹を満すだけのことをするならば、
 物は少しばかりあればそれでよい。
 よく考えれば飢えのために出仕するなどということは上等のことではない、
 それで私は車のかじを止めて、故郷へ帰って静かにくらすのである。

 この詩を読むと、陶淵明もかって、東海の隅にまで行って、仕官したこともあったようです。でもやっぱり戻ってきたのです。戻ってきて、閑居するということなのです。
 私はどうなのかなあ。昔はどうしても、この陶淵明が判りませんでした。それは高校生のときに初めて陶淵明を知り、その頃はもちろん同意できないのは、当たり前ですが、でもその後もずっと陶淵明を判るという段階には至りませんでした。いや、そんな胸中になることなど考えられなかったものでした。
 だが、今になって、やっと陶淵明の気持に少しは至ることができるようになったかと思っています。

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 陶淵明の「飲酒」の九番目の詩です。

 けっこう、この詩を解読するのは、私には大変な思いでした。陶淵明がただ酒を飲んでいるだけのことじゃないんだな、ということをしみじみ感じたものでした。

   飮酒 其九  陶淵明
  清晨聞叩門 清晨(註1) 門を 叩(たた)くを聞き、
  倒裳往自開 裳(しゃう)を 倒(さかしま)にして 往きて自ら開く。
  問子爲誰歟 子(し)に問ふ 誰為(た)る歟(か)、
  田父有好懷 田父(註2) 好懐(註3)有り。
  壺漿遠見候 壷漿(註4)もて 遠く見候(註5)す、
  疑我與時乖 我を疑ふに 時与(と)乖(たが)ふを。
  襤縷茅簷下 襤縷(註6) 茅簷(註7)の下、
  未足爲高栖 未だ 高栖(註8)と為すに 足(た)らじ。
  一世皆尚同 一世 皆な同じきを尚(たふと)ぶ、
  願君汨其泥 願はくは君 其の泥を汨(にご)せ。
  深感父老言 深く 父老の言に感ずるも、
  稟氣寡所諧 稟氣(註9) 諧(かな)ふ所寡(すくな)し。
  紆轡誠可學 紆轡(註10)は 誠に学ぶ 可(べ)きも、
  違己拒非迷 己に違(たが)ふは 拒(註11)ぞ迷ひに非らざらんや。
  且共歡此飮 且(しば)し共に 此の飲を歓(たのし)め、
  吾駕不可回 吾が駕(註12)は 回(かへ)す 可(べ)からず。

  (註1)清晨(せいしん) さわやかな朝
  (註2)田父(でんぷ) 年老いた農夫
  (註3)好懐(こうかい) 好感を持つ
  (註4)壺漿(こしゃう) 酒徳利に入ったどぶろく
  (註5)見候(けんこう) 訪問する
  (註6)襤縷(らんぬ) ボロの着物
  (註7)茅簷(ばうえん) 粗末な家
  (註8)高栖(かうせい) お住まい
  (註9)稟氣(ひんき) 生まれつきの性質
  (註10)紆轡(うひ) 手綱を巡らす。向きを変えることをいう
  (註11)拒 この字は言へんに巨 (なんぞ)
  (註12)駕(が) 乗り物、馬が引く車

  朝早くから門を叩く音が聞こえるので
  急いで服を慌てて着て、自分で門を開けに行った。
  あなたにおたずねしますが、どちらさまですか、
  農家の方は、好感をお持ちです。
  酒徳利に入れたどぶろく持って、遠くから来てこられた、
  私が時流に合っていないことを疑っていられる。
  「ボロを着て、ボロの家で、
  お住まいとするにはまだまだ充分なところではありません。
  世を挙げて、みな同じくともに推移することが大切です。
  どうか、(昔漁父の言ったように、世人が濁ればそれに合わせて)泥をかき揚げて濁らせてください。」
  長老の言葉には、深く感じ込むところがあるが、
  私は生まれつき、他の人と調和することが下手である。
  向きを変えることはたしかに学ぶことではあるが
  己の信念を違えることは、どうして迷いでないといえようか。
  いましばし、ともに酒を飲んで楽しく過ごそう、
  わたしが乗った車は、もうあともどりはできないのだ。

 思えば、この詩で始めて私は陶淵明の思いが判ったような、彼の人生が判ったような気持になることができました。
 思えば、高校一年のときに、「飲酒 其五」で始めて陶淵明の詩に触れまして、それから44年の月日が流れて、やっと陶淵明の思うところが、少しは判った気がしています。年を経ることは無駄なことばかりではないのだということを感じています。
 思えば、屈原が汨羅に身を投げたことを、結果としてこの陶淵明は否定していなかったのだなという思いがしました。そしてまた「青年日本の歌」も私の耳には甦ってきました。
 ………いやいや、これは私の思いがいいすぎてしまったことなのです。

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 陶淵明の「飲酒」の八番目の詩です。

   飮酒 其八  陶淵明
  愍昇濺豈 青松(註1) 東園に在り、
  衆草沒其姿 衆草(註2) 其の姿を没す。
  凝霜殄異類 凝霜(註3) 異類を殄(ほろぼ)さば、
  卓然見高枝 卓然(註4)として 高枝を見(あら)はす。
  連林人不覺 林に連(つら)なりては 人覚(さと)らず、
  獨樹衆乃奇 独樹 衆乃(すなわ)ち奇とす。
  提壺撫寒柯 壷を提(かか)げて 寒柯(註5)を撫で、
  遠望時復爲 遠望 時に復為す。
  吾生夢幻間 吾が生は 夢幻の間、
  何事紲塵羈 何事ぞ 塵羈(註6)に紲(つな)がる

  (註1)青松 冬の霜などの厳しい状況にも耐えている青い松。作者の生き様を表している。
  (註2)衆草 多くの草、雑草。陶淵明の周囲の凡愚のこと。
  (註3)凝霜(ぎょうそう) 降りて凝り固まった霜。
  (註4)卓然 ひとり抜きん出ているさま。ひときわ優れているさま
  (註5)寒柯(かんか) 葉が落ちた寒々しい木の枝。
  (註6)塵羈(じんき) 「塵」は世俗の。「羈」はたづな。きずな。つなぎとめる綱。

  青松が東の畑に生えているが、
  普段は雑草に覆われて目立たない。
  霜が降りて草が枯れ果てると、
  高くそびえかつ堂々たる姿を現す。
  林に取り囲まれていては人々は気づかないものだが、
  樹が一本になって珍しいものだと気がつく。
  酒徳利を提げて松の枝を撫で、
  時に遠くから眺めたりする。
  私の人生は夢のようなものだが、
  どうして世間の枠にとらわれるのだ。

 この詩を読みまして、陶淵明の誇りある孤高を思います。役人であったときよりも、今の自分は、こうして独りでも、ちゃんとここに立っているという気持なのでしょう。そしていつもすぐそばには、酒を入れた徳利があるのです。私もまた毎日独りで、ただただ飲んでいるところです。

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2017022709a7e9c569.jpg陶淵明の「飲酒」の七番目の詩です。

飮酒 其七 陶淵明
秋菊有佳色 秋菊 佳色あり、
濡露摘其英 露に濡れて 其の英(はなぶさ)を摘む。(註1)
汎此忘憂物 此の忘憂の物(註2)に汎(う)かべて、
遠我遺世情 我が世を遺るるの情を遠(とおざ)く。
一觴雖獨進 一觴独り進むと雖(いえど)も、
杯盡壺自傾 杯尽きて壺自ら傾く。
日入群動息 日入りて群動息(や)み、
歸鳥趨林鳴 帰鳥 林に趨(おもむ)きて鳴く。
嘯傲東軒下 嘯傲す 東軒の下、
聊復得此生 聊(いささ)か 復(ま)た此の生を得たり。

(註1)濡も摘も本当はまったく違う字ですが、でないのです。
(註2)忘憂物 憂いを消す物で、酒のこと。酒に菊の花を浮かべて飲む。

秋の菊には、綺麗な色がついている
露に濡れた花びらを摘む。
これを酒に浮かべて、
世の中のことなど忘れている。
一人で杯を重ねるうちに、
杯の酒もなくなり、壺は空になってしまった。
日が沈んであたりが静かになり、
ねぐらに帰る鳥は林で鳴いている。
自分も軒端にでくつろいでいれば、
すっかり生き返った気持ちになるのだ。

私も毎日飲んでいますが、愁いなんていうものは全くありません。ただただ、酒が美味いから飲んでいるだけです。毎日記憶がなくなり、そして何故か途中で気が付きまして、またパソコンに向かっています。このブログを書いたり、友人に手紙を書いたりしています。
あ、もっときょうは友人に手紙を書いて出してみようと考えています。

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  陶淵明の「飲酒」の六番目の詩です。

   飮酒 其六  陶淵明
  行止千萬端 行止(註1)は 千万端(せんばんたん)
  誰知非與是 誰か 非と是(ぜ)とを知らん
  是非苟相形 是非苟(いやしく)も 相形(あいけい)す
  雷同共毀誉 雷同して 共に毀誉(きよ)す
  三季多此事 三季(註2) 此の事多し
  達士似不爾 達士(たっし)は 爾(しか)らざるに似たり
  咄咄俗中愚 咄咄(註3) 俗中(ぞくちゅう)愚なり
  且當從黄綺 且(かつ)当(まさ)に 黄綺(註4)に従うべし

  (註1)行止(こうし) 行くと止ると。出所進退。
  (註2)三季(さんき) 夏、殷、周の時代。儒家はこれを中国の黄金時代と考えている。
  (註3)咄咄(とつとつ) 舌打ちの音を表す擬音「チェッチェッ」。
  (註4)黄綺(こうき) 秦の時代の隠士、夏黄公と綺里季。

  人の行動は、出所進退はさまざまなものがあるが、
  誰が、それが是であるか非であるかは知っていない。
  それでも是非の論がひとたび形に表れると、
  人はみな付和雷同して、一緒に貶したり、誉めたりしてしまう。
  三代の時代の後はこうしたことが多いが、
  道理の判った人はそうではないようだ。
  いまいましくも、俗世間というものはばかばかしいものだが、
  そんなものより、商山の夏黄公や綺里李の如き賢人に従うべきである。

f9e01de2.JPG この詩は私には難しくて、最初詩句を書いていて、そのままにして何日も経ちました。やっと今こうして書くことができました。
 この詩は、「飲酒」という題名なのに、酒が一つも出てこないのですね。だから私には難しかったのか、といまさらに判ってきた思いがしました。
 なんだか、自分に対して咄咄という思いですね。

 それから、「陶淵明『飲酒 其五』」の詩は、以下で扱っています。

   http://shomon.net/kansi/kansi5.htm#050920 陶淵明『飲酒』

 この詩は高校1年のときに読んでいたものでした。

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 陶淵明の「飲酒」の四番目の詩です。

   飮酒 其四  陶淵明
  栖栖失群鳥 栖栖(註1)たり 群を失へる鳥
  日暮猶獨飛 日暮れて 猶ほ独り飛ぶ
  徘徊無定止 徘徊して 定止するなく
  夜夜聲轉悲 夜夜(やや) 声は転た悲し
  匐岨彑怯 匐繊蔽陦押法\怯鵑鮖廚辧蔽陦魁
  去來何依依 去来 何ぞ依依(えいえい)たる
  因値孤生松 孤生の松に 値(あ)へるに因り
  歛カク遙來歸 カクを歛(をさ)めて 遙かに来り帰る
  勁風無榮木 勁風(けいふう)に 栄木(えいぼく)無きも
  此蔭獨不衰 此の蔭(かげ) 独り衰へず
  託身已得所 身を託するに 已に所を得たり
  千載不相違 千載 相ひ違はざらん

  (註1)栖栖(せいせい) せわしいさま
  (註2)匐繊覆譴いょう) 激しい叫び
  (註3)思清遠(せいえんを思ひ)

  群れにはぐれた鳥がせわしそうに、
  日が暮れてもなお一人飛んでいる。
  徘徊して一箇所にとどまることなく、
  夜毎に泣く声はいよいよ悲しい。
  激しい叫びは遠くの仲間を求めているのか、
  行きつ戻りつして後ろ髪を引かれているようだ。
  一本ぽつんと立っている松を見つけると、
  翼を収めて身を休めた。
  冷たい風に大方の木は葉を落としたが、
  この松だけは緑の影をたたえている。
  身を託するには心強い、
  千年たりともここからは離れずにいつまでもここにいよう。

 いつもこうして陶淵明の詩を読んでみて、私があまりに、陶淵明のことを知らなかったことに、いらいらしています。
 私はちょうど、この同じ時代に、符堅(ふけん)という英雄が居たことを思い出します。この符堅は中国五胡十六国時代に華北を支配した前秦の帝王です。
 この前秦の符堅が大軍を率いて中国全土を支配しようとして江南の東晋軍とが382年に肥水(ひすい、ひは「肥」にさんずいがついています。現在の安徽省寿県の東南)で激突しました。前秦軍は100万の軍勢だったといいます。
 だが、符堅の軍勢は、ここで東晋の軍勢にやぶれます。なんだか、私は中国の東晋の側に身をおきたいはずなのですが、このとき破れた符堅のほうに思いを寄せてしまうのです。符堅は、おそらく碧眼茶髪の容貌だったと思われます。その符堅が破れたときの哀しみを思います。私は昔府中刑務所にいたときに、この符堅のことを何度も書いております。
 思えば、このときに陶淵明はちょうどまだ18歳でした。東晋の勝利に胸を躍らせただろう陶淵明を思います。

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 陶淵明の「飲酒」の三番目の詩です。

   飮酒 其三  陶淵明
  道喪向千載 道喪(うし)はれて 千載に向ふ
  人人惜其情 人人(じんじん) 其の情を惜む
  有酒不肯飮 酒有るも 肯(あ)へて飲まず
  但顧世間名 但(た)だ顧(かへり)みる 世間の名
  所以貴我身 我が身を 貴ぶ所以(ゆゑん)は
  豈不在一生 豈(あ)に 一生(いっせい)に在(あ)らずや
  一生復能幾 一生 復(ま)た能(よ)く幾(いくば)ぞ
  倏如流電驚 倏(はや)きこと 流電の驚くが如し
  鼎鼎百年内 鼎鼎(註1) 百年の内
  持此欲何成 此(こ)れを持して 何をか成さんと欲する

  (註1)鼎鼎(ていてい) 年月が速やかに過ぎ去る形容

  古代の聖賢の教えが失われてしまってから千年になろうとして、
  だれもが、本当の気持ちを出し惜しみするようになった。
  うまい酒があっても飲もうとせず、
  ただ世間体ばかり気にしている。
  我が身を大事にするわけは、
  人間の一生の内にこそ在るのではないか。
  その一生は、またどれほどの時間があるというのだ、
  その素速さは電光の流れ去るに驚かされるようなものだ。
  速やかに過ぎ去る人生は百年以内のことだ
  世間体ばかり気にしていて一体何をしようというのだ。

 曹操の『短歌行』を思い浮かべます。

   http://shomon.net/kansi/sansou1.htm#tanka 曹操『短歌行』

 私にはこの詩は、実に大好きな詩です。曹操の詩として真っ先に知り、真っ先に覚えたものでした。

  對酒當歌 酒に対しては当に歌うべし
  人生幾何 人生幾何ぞ
  譬如朝露 譬えば朝露の如し
  去日苦多 去日苦だ多し
  慨當以康 慨しては当に以て康すべし
  幽思難忘 幽思忘れ難し
  何以解憂 何を以て憂いを解かん
  唯有杜康 唯だ杜康有るのみ

 曹操は、唯だ杜康(酒)が有るのみだと言っています(ただし、この詩は「酒があるのみだ」と言っているわけではないのです)。おそらくは、陶淵明も、この曹操の『短歌行』のことはよく知っていたことでしょう。「有酒不肯飮」とは、過去・現在・未来の私ともおいに違う存在です。
 思えば、少し前の時代の曹操のこの詩のことを、陶淵明も何度も詠んでいたことでしょうね。ただし、もう陶淵明は、このときには田舎田園で過ごしている人生になっているのです。
 いやどうしても、同じ時代、近い時代に生きた、陶淵明と曹操の思いをどうしても比べてしまいました。

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 陶淵明の「飲酒」の二番目の詩です。

   飮酒 其二  陶淵明
  積善云有報 善を積めば 報(ほう)有りと云ふも
  夷叔在西山 夷叔(註1)は 西山に在り。
  善惡苟不應 善悪 苟(いやしく)も応ぜず
  何事立空言 何事ぞ 空言を立てん
  九十行帶索 九十(註2) 行(ゆくゆ)く索(けん)を帯ぶ
  飢寒况當年 飢寒(きかん) 况(いは)んや当年をや
  不鮓乃臉 固窮(註3)の節に 髻覆燭茵砲蕕兇譴
  百世當誰傳 百世 当(まさ)に誰をか伝へん

  (註1)夷叔(いしゅく) 「史記」の伯夷叔斉伝に、殷を滅ぼした周の粟を食わぬということで、首陽山に隠れ住んでいたが、やがて餓死した。
  (註2)九十(くじふ) 「列子」に昔九十歳まで生きた栄啓期という賢人は歳九十でなお帯をしめていたという。
  (註3)固窮(こきゅう) 「論語」の「君子固より窮す」のこと。

  善行を積めば、良い報いがあるというが、
  義を貫いた伯夷と叔斉は西山に居て餓死することになった。
  善と悪とに相応したむくいがない場合には、
  何でなんでこのような空言「積善云有報」を言ってきたのか。
  栄啓期という賢人は縄を帯にして、楽器を打ち鳴らして歌を唱うという行為をした。
  その栄啓期の貧窮生活は、壮年時代よりも一層のものだ。
  貧窮を固守する節操に依拠しないとすれば、
  百年の後世に誰を語り伝えようか。

 私も毎日飲んでいます。2週間に一度止めるだけです。
 でも、陶淵明も毎日飲みながら、こういう栄啓期という賢人に自分を比していたのでしょうね。私はただただ、日々飲んでいるだけです。

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 陶淵明の「飲酒」は、全部で20の詩があります。私はそもそも高校1年のときに、「其五」の飲酒のみを知りました。
 これは私の以下に書いています。

  http://shomon.net/kansi/kansi5.htm#050920  陶淵明「飲酒」

 思えば、私の陶淵明に対する思いも随分変わりました。この「其一」を読んでさらに陶淵明のことを、素直に好きになってきている私がいます。

   飮酒 其一  陶淵明
  衰榮無定在 衰栄 定在(註1)無く
  彼此更共之 彼此(ひし) 更(こもご)も之(これ)を共にす
  邵生瓜田中 邵生(註2) 瓜田(こうでん)の中は
  寧似東陵時 寧(なんぞ)似(に)ん 東陵の時に
  寒暑有代謝 寒暑 代謝(註3)有り
  人道毎如茲 人道 毎(つね)に 茲(かく)の如し
  達人解其會 達人(註4) 其の会(註5)を解して
  逝將不復疑 逝(ここ)に将に 復(ま)た疑はざらん
  忽與一樽酒 忽ち一樽の酒と与(とも)に
  日夕歡相持 日夕に歓びて 相(あ)い持(じ)す

  (註1)定在 きまった存在・運命
  (註2)邵生(せいしょう) 秦の東陵侯であった邵平のこと。秦が滅ぼされた漢の時代には、庶民に戻って、長安の東で瓜を栽培して生活をした人物。
  (註3)代謝(たいしゃ) 入れかわること
  (註4)達人(たつじん) 道理に通達した人
  (註5)会 かなめ。要点。さとるところ。

  衰えることも、栄えることも、固定して存在していない、
  あの人もこの人も、かわるがわるにそれを受けるのだ。
  邵君が瓜畑で生活していたことは、
  東陵君であった時にどうして似ていようか。
  寒さと暑さは移り変りが有るが、
  人の世もいつもそのようなものだ。
  物の判った人は そのことをよく理解しており、
  絶対に疑念を抱かない。
  それで私もたちまち一樽の酒ととともに、
  この夕べも 楽しく過ごしていこう。

 私も毎日お酒を飲みますが(2週間に1度は断酒しています)、それはこの陶淵明がいうように、ただ夕べのときになると、酒を口に含むときに、実に喜ばしく思っている自分を見つめます。
 陶淵明のことが好きになれてきた自分のことがとても嬉しい思いです。

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 陶淵明には、飲酒 という詩があり、私は高校1年のときから親しんだ詩でした。でも「飲酒」ではなく、「止酒」という詩も書いていることを知りまして、読んでみました。
 でも、これで酒を止めるということになるのかあ、と思って読んでいました。

   止酒(さけをやむ) 陶淵明
  居止次城邑 居は 城邑に次(やど)るを止め
  逍遥自閑止 逍遥として 自ら閑止(かんし)す
  坐止高蔭下 坐は止(とど)まる 高蔭(こういん)の下(もと)
  歩止篳門裏 歩は止まる 篳門(註1)の裏(うち)
  好味止園葵 好味(こうみ)は 止(ただ)園葵(えんき)
  大歡止稚子 大歓(たいかん)は 止(ただ)稚子(ちし)
  平生不止酒 平生 酒を止(や)めず
  止酒情無喜 酒を止むれば 情(じょう)喜ぶ無し
  暮止不安寝 暮に止むれば 寝(しん)を安んぜず
  晨止不能起 晨(あした)に止むれば 起くる能はず
  日日欲止之 日日 之を止(や)めんと欲するも
  営衛止不理 営衛(註2) 止むれば理(おさ)まらず
  徒知止不楽 徒(た)だ知る 止むるの楽しからざるを
  未信止利己 未だ信ぜず 止むるの己を利するを
  始覺止爲善 始めて覚(さと)る 止むるの善為(ぜんたる)を
  今朝眞止矣 今朝(こんちょう) 真に止めたり。
  此從一止去 此従(これより) 一たび止め去りて
  將止扶桑挨 将に扶桑(註3)の挨(註4)に止まらんとす。
  胛宿止容 清顏宿容(註5)を止む
  奚止千蔓祀 奚(なん)ぞ止(ただ) 千万祀(せんまんし)のみならんや。

  (註1)篳門(ひつもん) 篳はイバラのはえた門
  (註2)営衛(えいえい) 血液の運行
  (註3)扶桑(ふそう) 東方日の出の処にあると考えられた仙境
  (註4)挨(あい) この字はさんずい。ほとりの意
  (註5)宿容(しゅくよう) 今まで通りの若いすがた

  住居は街なかには住むのを止めて、
  ぶらりとしてしずかにとどまっている。
  座るのは高い木のかげの下で、
  歩くのはいばらのはえた門のうちだ。
  うまいものははたけのあおいだけであり、
  自分を嬉しがらせるのはおさな子だけである。
  私はいつも酒をやめずにいるが、
  やめてしまっては心に何の喜びもなくなるからである。
  日ぐれに酒をやめたならやすらかには眠れぬし、
  あしたにやめたなら起き上がることができない。
  毎日やめようと思うが、
  やめたら血液のめぐりが悪くなる。
  やめると愉快ではなくなると知っているが、
  やめると自分にとっていいことだとは知らない。
  さて始めて酒をやめることが善いことだと覚り、
  今朝こそ本当にやめた。
  これからひとたびやめたさきには、
  扶桑という仙境のほとりへ行ってとどまろう。
  そこですっきり若やいだ姿顔をとどめて
  千万年どころかそれ以上かわらないことだろう。

 うーん、やっぱり酒を止めれば、若やいだ顔姿でいられるのかなあ。でも実際はどうなのでしょうか。
 思えば、私はもちろん成人になってから酒に親しんできたわけですが、でも20、21歳というときは、学生運動で、とくにそれで逮捕起訴勾留されていましたから、酒を飲んでいるどころではありませんでした。
 でもそのあととくに、社会に出てからは、さまざまな仕事に就きましたが、そのうちに日々大量に飲むようになり、でもさすが最初は一週間に1日は「休肝日」と称して止めていましたが、そののちはだんだん毎日飲むようになり、でも2週間に1日は休肝日としていましたが、35歳くらいからは、その休肝日もなくなりました。
 でも30歳のときに100日断酒して、そのあとはまた毎日飲みまして、つい2年前にも100日の断酒をしました。
 今は、二週間に1日の休肝日は設けるようになりました。いや、酒を飲まなくてはいられない感じがしまして、私はそうなると、そういう自分が嫌ですから、1日は完全に酒を絶つ日を設けます。
 でもでも、そんなこと、どうでもいいよなあ、という気持にもなっていましたが、こうして陶淵明の詩を読んで、やっぱり2週間に1度の断酒はやり続けようという気になりました。
 なんだか、昔はずっと好きにはなれなかった陶淵明ですが、今はこうして詩を読んでいて、いつも「ああ、これもいい詩だなあ」という気持がわき上がります。
 これからも読んでまいります。

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 21日朝、私は5時20分に目が醒めました。持ってきていた「石川忠久『漢詩を読む陶淵明詩選』」(日本放送出版協会)を読んでいました。
 私は陶淵明のことがだんだん好きになる私のことが、なんだか好きになれないものでしたが、今ではもうやっぱり陶淵明のことが好きだと言える気がしています。これだけいくつもの詩を知ると、こうなるのが当然な気がしています。
 そんなことを思いながら、6時20分にお風呂に入ります。いいお風呂です。
 お風呂から出ると、どうしても湯上がりにビールを飲みます。
 そしてワンセグでテレビのニュースを見ます。

 あ、そういえば、告別式は10時開始だから、その30分前に受付開始だとしても、まだ時間があるんだと思いました。
 それで、本を読むのと、パソコンを打つのと、ワンセグ見て時間をすごしていました。

 顔を知っている親族も、ご近所の方もきてくれます。長女もポコちゃんを連れてきてくれました。ポコちゃんはまだ0歳だから心配なのですが、式の間も彼の声がけっこう聞こえてきましたね。
 そして10時に開始しました。今回は正泉寺のの副住職(昨日の住職の息子さん)が務めてくれます。
 義母の世話で遅くなりましたが、私の妻も来ました。

 それで初七日も終えまして、喪主の私の兄萩原莞爾が挨拶します。

 兄は、昭和22年夏に、私の父が出征から帰って来たことを思いだし話してくれました。思えば、そのときは昭和17年2月生まれの兄は5歳なんですね。常磐線の列車は、みなたくさんの復員兵が乗っていたということです。列車の屋根まで兵隊が乗っていて、今なら、映画かテレビの画像で見るものを、本当にそのまま見たそうです。父は、そのとき、インドネシアのスマトラ島からの帰還でした。母と兄は、常磐線の佐貫駅に行きました。
 でも兵隊でいっぱいの長い列車から、大勢が降りてきますが、父はいません。もう母と、仕方ないから帰ろうかと言ったら、列車の反対側から父が歩いてきたそうです。列車が出てくれないとこちら側に渡ってこれないのです。そして父があちらがわに降りたのは、そちらがわが駅の出入口だったからでしょう。父は、サラリーマンとして、日中戦争から帰ってきてからは、この佐貫駅から日本橋まで通っていたのですから。
 この話は始めて聞く話でした。私は父はスマトラ島から、すぐに帰ったもの昭和20年の秋には帰還できたと思い込んでいましたが、約2年はスマトラ島で抑留されていたのですね。
 でもそうすると、私は昭和23年5月に生まれて、すぐに東京の巣鴨に引っ越して、またすぐに転勤に秋田へ引越することになったのですね。この秋田で25年4月に弟が生まれます。

 ただ、私の妻は、この話が終わったあとに、式場に着いたということでした。

 11時10分に火葬場に向かいます。ウイングホール柏斎場です。20分くらいで着きます。そして母が骨になるのを待ちます。
 その間、食事をしながら待ちます。私は母の親族と、父の親族とお話します。父の親族では、父の実家の長男である(私の従兄)の萩原嘉市さんが来てくれました。嘉市さんは、以下にあるように、もうこのアナログレコードの関係では世界で知られた人です。もういくつもの話を聞きました。彼のところへは、世界中から何人もの方が来るようです。彼もよく海外に出かけるようです。

   http://music.kek.jp/3-2/resume2.html

 もう彼は、これを長年やっているのですが、ちょうど母の親族の私の従兄の次男の方も、現在このアナログレコードを熱心にやり始めたようです。それで、いろいろと話されるのですが、私には無縁の世界ですが、どうやら、今のデジタルというのは、音楽を聞くということには向いていないようですね。

 でもそのお話も私は聞いていたいのですが、私の孫のポコちゃんもかまいたいのです。私の兄の長女みーねえの二人の息子が自分たちよりも小さいポコちゃんのことをとても可愛がってくれます。なんと二人は、ポコちゃんのためにモヤットボールを3つ持ってきてくれました。しかもポコちゃんは、そういうものをなめちゃうだろうから、綺麗に洗ってきてくれていました。あんな小さかったれいちゃんも、もう小学校三年生です。こうして亡くなった母のひ孫が3人こうして今そばにいるのです。私のポコちゃんも、喋り歩けるようになったら、これらの同じひ孫のお兄ちゃんたちの後を追うようになるでしょう。でもそのときにも相手してくれるかなあ。もう上のゆうやなんか、中学生で声変わりしているだろうからなあ。

 そんなところで、火葬が終わったようです。

 私は妻と母の骨を拾いました。思えば、私の妻もこの私の母と長くつき合ってくれていました。私の二人の娘の、祖母というよりも、私の母もまた二人の母親のようなものでした。

 それで、我孫子駅前の葬儀場に帰ります。そこで解散します。妻と私の長女とポコちゃんは、電車で帰ります。私は自分のパソコン他をかたずけて、兄の家まで送ってもらいます。ここで兄弟3人(と義姉と義妹)で打ち合せがあるのです。
 兄嫁も実にお疲れさまでした。これは今回の葬儀のこともありますが、長い間、母を看てくれていました。兄は、私には「悪い奴だなあ」という思いしかないのですが、告別式の最後に兄の挨拶と、母の思い出も喋りましたが、そのあとで、自分の妻への感謝の言葉も述べていました。私はその言葉に感動し、「あれ、俺の兄貴って、いい奴じゃないかな」なんて思ったものでした。
 そして、今回の葬儀をすべて仕切ってくれたのは、私の弟です。たよりない兄二人に替わってやりきってくれました。私の長女が言っていました。「パパって、ただうろうろしているだけで、何にもしていないじゃない」。あのね、そういう本質を見てはいけないのです。
 それと、弟の妻、義妹も実によくやってくれていました。それに義妹を見て私は驚いていました。義妹は現在57歳ですが、もう見ると驚きます。美人で40代前半にしか見えないのです。30代と言っても、誰も頷くんじゃないかな。
 あとで聞いたら、このごろ数カ月ディズニーランドのあるレストランでウェイトレスをやったそうです。なんだか頷くよなあ。全然違う仕事もやっているのですが、やっぱり素敵な女性です。この義妹が、義姉と実の姉妹なのですが、この二人が話しているのも、実に面白いですよ。

 そんなところで打ち合せが終わって、弟夫妻に我孫子まで送られて、私は王子に帰りました。

 あと母とは思い出の中と、私の兄弟姉妹との触れ合いの中で、また何度も思い出していくことでしょう。

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陶淵明像の生成―どのように伝記は作られたか
書 名 陶淵明像の生成
    どのように伝記は作られたか
著 者 上田 武
発行所 笠間書院
定 価 1,700円+税
発行日 2007年3月30日初版第1刷発行
読了日 2007年6月29日

 陶淵明というと、私にはなかなか簡単にいいきれない複雑な詩人に思えてきます。

 世を捨てたはずの淵明は俗世間を超越することなどできない存在であり、家族を機転とし、周囲の親戚、出入りの百姓、南村の若い知識人などと心を開いて交わる生活、あるいは政治の流れ、人間の生死の凝視を、何よりも大切にしていたからである。「おわりに(補遺を兼ねて)」

 どうしても、陶淵明が「世を捨てたはずなのに」、なにか違うなあ? という思いを私はいつも持ってきたものです。

 陶淵明の詩で私が最初に知ったのは「飲酒」です。

   http://shomon.net/kansi/kansi5.htm#050920  陶淵明「飲酒」

 この詩の最後に、「此中有眞意 慾辨已忘言」という句があります。ここの「真意」って何だろうかというと考えてきました。いややっぱり「私には判らないなあ!」という思いばかりですね。
 私は、この「飲酒」に書かれているような、田園に隠遁するということが、どうしても理解できないのです。「田舎の田園で、何をするんだ?」。私は、「結廬在人境 而無車馬喧」という最初の句でも、「いや、車馬は喧(かしまし)いほうがいいよ」と思ってしまうのです。そうでないと寂しく感じてしまいます。
 それと第一田舎の田園では、今は自動車がないと生活できません。車に常時乗ると、私の毎日のように酒が飲めません。だから私は田園になんか住む気はないのです。

 ただ、少しづつ陶淵明の詩を読んできて、いくつもの詩をそらんじてみると、だんだん、その詩句に魅せられている私ではあります。少しは歳を重ねて、私も違う感慨を持ててきたのかもしれません。

07060502 陶淵明に『飲酒』という詩があります。私が高校1年のときから親しんできた詩です。

   http://shomon.net/kansi/kansi5.htm#050920   陶淵明『飲酒』

 この詩をおおいに参考にしているのかなという、杜牧の詩がこの五言古詩です。ちょうどこの陶淵明の詩にも、「採菊東籬下 悠然見南山」という句があります。この杜牧の詩にも、「南山」という句が使われています。

    送別    王維
  下馬飮君酒 馬を下りて 君に酒を飲ましむ
  問君何所之 君に問う 何(いず)くに之(ゆ)く所ぞ
  君言不得意 君は言う 意を得ずして
  歸臥南山陲 帰りて南山の陲(ほとり)に臥(が)せん
  但去莫復聞 但(た)だ去れ 復(ま)た聞こゆる莫(な)かれ
  白雲無盡時 白雲尽くる時無し

  馬から下りて 君にお酒を飲ませましょう。
  君にたずねたい。どこへ行くのですか。
  君は応えます。思うようにもいかないから、
  故郷へ帰って、南山のほとりで寝そべりますよ。
  判りました、もう行きなさい。あなたのことが聞こえることにないように。
  白雲は立ち上って、尽きることはありませんよ。

 けっこうこの詩の真意は難しいところだなと思いました。陶淵明の数々の詩も、私には素直に読めないところがありますが(それは私の側に問題があるのでしょうが)、この詩も同じようなことなのでしょうか。「但去莫復聞」とは、私はもう誰にもいえないなあ。もう自分に対しても言えないことをずっと感じています。

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